交流 in 木の花ファミリー PART III

《向野文敏さん日記》

4月22日第1日目

「なぜ木の花交流に来たか?」
木の花というコミュニティの持っている空気に触れたかったからです。きっかけは自分の出した提案が受けてもらえなくて、おもしろくないなあーという気分をかえたいと思うようになったとき、木の花の交流便があるのを思い出して、その車に同乗させてもらってきました。その提案以前にも、日々豊里実顕地というところで暮らしていて、自分にも回りの人達のつくっている環境に対しても、どうにかならないかという気持はずっとあったのですが、今回の提案をきっかけにフン切りができました。

こちらに来て、少しの時間ですが、食事準備のお手伝いをさせてもらいながら、厨房の人と色々とお話しできて、とてもたのしかったです。これからの一週間を楽しみにしています。

~これからですね。よろしくお願いします。BYいさどん~

4月23日第2日目

昨夜の大人会議、特に宇宙図書館の内容等がとても興味深かったのですが、自分の理解がなかなか届かず、その事が気になったのか、浅い眠りで朝(午前中)ずっときつく、午後は休みにしてもらいました。床の中で議事録を読みながら、一寝入りできたらいいなと思っていましたが、緊張があるためか眠るモードにならず、きつさがなかなかとれませんでした。

夕食の時、ヤマギシのグループのテーブルの中に道代さんが入ってくれて、色々話しているうちに、自分の閉じこもりの癖に気づかさせてもらい、改めて人とのつながりの中に生きていくことの大切を思い知らされました(少し大げさか?ボンヤリした頭で書いているせいか、何か雑な内容を書いているような気がします)。

~物事の道理を理解できなくても、その場所の空気を感じることができれば、
何が大切なのかは伝わってくるものだと思います。
理解できないことこそ、自らの理解レベルを引き上げてくれるものです。
決めつけないで前を向いて行きましょう。BYいさどん~

4月24日第3日目

朝起きたとき、いく分気持が楽になったように思ったが、ハウスの中で草取りをやっているうち、腰の痛さとともに眠りの浅さが体のきつさとなって現われてきた。そういう少し重たい気持になっていたとき、仕事の休けい中に畑隊の男の人のある行為に引っかかって気持がさらに暗くなっていった。午前の後半は育苗の方に仕事を変えてもらい、日陰でイスに座って作業しながらいろいろ話しているうちに気持がほぐれてきました。(長い間かかえている被害感情という癖があります。)

お昼前から話したいと思っていたミカちゃんが同じ食事のテーブルに入って来てくれて、話ができたのがよかったです。特に心をオープンにして素直な気持を出していく姿には、とても学ばされるものがあります。(夜の食事のときもカズちゃんが入ってくれて同じことを感じました。)

~相手の人から相手の人を観るのではなくて、
相手の人を通して自分を観ていけると良いですネ。BYいさどん~

4月25日第4日目

昨夜大人会議の終りごろヒーリングをしてもらって、ウツラウツラして頭が回復した。朝も何日かぶりによく眠れて、頭と体が回復してすっきりした感じでうれしかった(昨夜のコンサートで歌の歌詞が心に入って来て涙が出た)。

午前中、育苗でいくえちゃんと向い合せでポット苗の植え換えをしながら、深い話ができてうれしかったです。いくえちゃんがいい顔をしているね、と言ってくれました。自分にとって大事に思っていることを仕事の場や食事の場で確認できて、その人と心がつながっていけるのはとても貴重な事に思えますし、自分にとっての長い不安も、人との心の奥底でのつながりを通して解消できていけるようにも思えてきました。

~毎日毎日自分の中から湧き出してくる感情の素性をていねいに観ていけるといいですね。
それと、相手の人や出来事に対する自らの反応を通しても学ぶことができます。
その学びが進んでいくと、喜びや希望が湧いてきます。BYいさどん~

【 ☆ 4月25日の大人会議にて・いさどんから向野さんへのコメント☆ 】
僕は今、ヤマギシの皆さんの日記を読んでいますが、向野さんの日記を見ていると、道を足踏みしている、想いがあるのにそこを踏み越えないという状態が感じられます。自分でよく心の動きを観察して次の段階に行きなさい、というところに来ていますが、ヤマギシという環境がそれを提供していなかったということもあり、本人に意思はあると思いますが、このまま行っても意思があっただけで踏み越えずに今生が終わってしまうかもしれません。せっかく今回ここに来ているのだから、ぜひそれを超えてもらいたいと思います。

4月26日第5日目

朝、又眠りが浅くすっきりしない。昨夜の大人会議でイサドンに言われたあたりがプレッシャーになって不安が出てきたのかも知れない。

午前中の面談でも自分について言われることは、そうだろうという感じでは聞いているが、今ひとつすっきりとは受けとめられていない。頭で理解していることを現実に自分に落とす段階ではアップアップしているというのはその通りだと思う。

~僕の伝えたいことは強制ではありません。それは情報なのです。
あなたの価値はあなたが創り出すものですから、よく考えて生きて下さい。BYいさどん~

 

【★4月27日の大人会議にて・交流滞在の振り返り★】

《安美さんの振り返り》
今日まで6日間過ごしてみて、良い時間を頂いたなと思います。私が持って来たテーマは、ベクトルを相手に向けない。宇宙の理から外れない生き方をはっきりさせたい、というものでした(木の花の“宇宙の子ども”に歌われているような生き方をしたいという事)。それと、これからヤマギシの中で、私がどうあったら村が良くなっていくのか?(私が変われば世界が変わる)というものもありました。

日々やってみて、と言うよりも暮らしてみてと言った方がいいかな。木の花に満ちている温かさ、清燈感、エネルギーの中で、人が癒し満たされ、一人一人が心磨きを生涯の仕事として楽しみながらやっているのを、肌で感じさせてもらいました。幼い子も、心に病を持った人も、子どもも大人も、皆ひとり一人が大切な存在として扱われ認め合う木の花だから、そんな空気が流れているのだと思います。そんな空気の中で花や鶏や野菜、そして人が育っているのです。また、ここでは皆がお互いを真の愛情で見守り合っているので、何でも正直に素直な心を出し合っています。

残念ながらヤマギシでは、青本には“物財よりも人材が大切”と書かれていますが、実際にはひとり一人が尊重されず組織の拡大が最優先されて来ての今があると思います。「はい、でやる」とかNHKの人体シリーズから「手や足が頭の役割をするとおかしくなる、考えるのは頭のやること」として殆どの人は本当に手足となって働き、自分で考え意見を出すことをしなくなったし、出せない雰囲気も充満していたように思います。「大人と子どもは違う」として大人と子どもどちらにも壁を作り、木の花のような和やかさはなく、緊張感さえあったと思います。ここでは、食事時、「あやな」や「まりん」など2歳、2.5歳のこどもや「陽美子」などが「ねえ、ここに座って」と言ってくるし、須佐は「スマイル」に「ただいま」と寄ってくる。栄子バァに「まりん」が「誕生日おめでとう」と言うし、ホント和やか。仲がいいです。ヤマギシでは老蘇は老蘇だけ集めて管理しやすいようにしています。子どもが傍にいると老蘇さんも楽しいだろうし、子どもにとってもいいと思うのですが。

木の花では常に最先端の事に触れる機会が多く、それも皆で学んでいます。国内外の学者や研究者との交流も肩書きや地位でなく、その中味をよく吟味しているなと思います。引きこもりやニートだった若者が生き生きとその人らしく生きられる木の花。いつも全ての地球生命のことを考えて活動する木の花。名実ともにアースファミリーだと思います。昨晩いさどんが「山岸さんが言った全人幸福と今ヤマギシで認識されている全人幸福は違うのではないか」と言いましたが、そのあたりを皆で検証していきたいと思います。

これからは、人の中にある素直な心、それを表現できる村の空気を心ある人と共に創って生きたいと思います。一人一人がオリジナルな存在である事を認めて、つつかず観てあげられる私になりたいと思います。若者が木の花に交流に来たくなるようやっていきます。今までネガティブ思考で生きて来ましたが、これからは木の花を手本として、ポジティブに考え、明るく穏やかに生きて行きたいと思います。ちなっPみたいに強く願えば、きっと叶うよね。

子育てや育苗に入らせてもらいましたが、忙しくてもゆったりとしていて、心地良かったです。心磨きを生業とする木の花と産業を生業とする(?)ヤマギシの違いがこういう処にも表れているのでしょう。でも、これから段々暑くなってくると寝不足は事故の元にもなりますから、皆さん、気をつけて下さいね。有難うございました。感謝、感謝です。

~こちらこそありがとうございました。
全人幸福のためにこれからもよろしくお願いします。BYいさどん~

《ちづちゃんの振り返り》
今、一番に思うのは、人に囲まれて生きているのだなということ。昔、ヤマギシの研鑽学校に行き、鶏舎での作業をしている時にああこのままずーっと鶏舎の中にいたい、みんながいる研鑽の場に戻りたくないと思った自分がいました。それ以来、私は人の中にいるのは苦手なんだと思っていました。けれども、26日に地球暦の面談を受けた時、私はキャパシティが小さいと言ってもらった。なかなか小さいということが受け切れなくて、心がモヤモヤしていました。その反面ホっと安堵している自分にも気づきました。どうしてこんなことも出来ないんだろうと自分を責めている時があり、それが他の人と比較して自分のことを見ていたのだと思います。キャパが小さいのだから、自分はもっと出来るはず、あの人に出来て、なぜ私はと思う必要がなくなったなと軽くなりました。そういう自分を責める作業を人の中に入るとコツコツやり続けたのだと思う。畑やキッチンで作業をしている時、木の花のメンバーが常に会話をしながら淡々と作業をやり続ける。頭の中にマイナスの思考が全くないので疲れないのだなと思う。

大人ミーティングの中でさのっちとのりちゃんがいさどんからキビしいことを言われていた時にも、私は私が言われているかのように、あー私はまだまだ甘っちょろい位置にいると自分を責めていました。日記の中でいさどんに他者と自分をダブらせないようにと書いてもらい、えっそうなの?と新鮮でした。ダブらせなくていいんだ、私の中であらゆることを自分の反省材料にしていくのが良いといった思考があったことにビックリした。これじゃあ、人の中にいるのがいやになるのはあたりまえだなと今、思います。まり姉に言ってもらった、人は自分の鏡だということ、私が気に入らないことを言われた時は私がそう言わせている、このことについてもっと詳しく書きたいが書けません。キャパオーバー!

ひろしくんが滞在目的について発表した時のこと、発表している時私は聞いているような、ないような、これと言った感想はなかったが、みんなが次から次に感想を言い、その後のひろしくんの言葉がはっきりしていたこと、最初話し出した時の口調とは全く違っていた。ひろしくんの中で何かが変化した。人が変わっていく様を見させてもらった。人の中にいて、人の愛ある言葉で人は変わっていくんだ、私もそんな人になりたい。いろんな場で少しずつ言葉を発していきたいと思いました。立派な言葉じゃなくても私のうちから出た言葉で。

~あなたらしく生き生きと暮らしていけたらいいですね。
そのためには他者と自分を比べず、出来事から学んでいくことが大切かと思います。
キャパは小さくても広い世界観は持てますので、心を開いていきましょう。BYいさどん~

《浜子さんの振り返り》
私が木の花ファミリーに長期交流に来たわけは(1日目の日記から)、
・持続可能な真実の世界をめざしているヤマギシの村に22年前に参画しました。腹の立たない無所有一体で、全人幸福親愛社会の実現に生きがいを求めて。残念ながら、今の私は日々それを強く望んでやり続けて来たかと言うとうすれて来ていました。ところが木の花ファミリーの皆さんは、この持続可能な生活を実践している社会のすべてを、そのまんまどこからでもどうどうと胸をはって、どうぞ観て下さいと、世界中に発信しておられます。その中に6日間滞在させていただいて感動の連続です。逢う人あう人の笑顔、やさしい声かけ、心にしみわたります。幸福を感じるひとときです。

・食生活と健康は私の最大といえるテーマです。お肉、魚などおいしいものを腹いっぱい食べている時に、食べられなくて死んでいく子供達のいることが頭をかすめ、ため息が出る私ですが、何とか出来ないものかと思います。木の花ファミリーの野菜だけの食事とみそ汁、十二分満足しておいしくいただきました。これもクリアーです。体得です。

・大人ミーティング、予想以上の驚きです。ここまで言い合えるものかと。私はどこでも本音で自分の気持を出していると思っていました。木の花ファミリーの皆さんのシェアを聞いていると、その時その場で出しています。間髪を入れずに。

昨日の朝の一コマ
A:AさんがBさんに何かを伝えました。
C:そばにいたCさんが、「Bさんに言って、私には言ってくれない。私はとても疎外感を感じる。どうせ、私は何もしていないから。」
A:「たまたまBさんがそばにいたので言っただけだよ。」
C:それでも気持ちがおさまらずに何か言っていました。
しばらくして、Aさんがお茶をしているところに来て
C:「Aさん、さっきの事はわかったからね。」
A:「あなたはそれでいいかも知れないけど、言われた方としては気持の整理に時間がかかるのよ。聞きたかったら、私にも教えてと言ってもいいのでは。・・・」
私だったら最初の会話で終りにして、しょうがないわ、いつもあの人はそうなんだからとおさめてしまって、こうしてもいいのではまでは出していないだろうと思いました。ここまでで、最初の交流の目的が少し体得できたかなと思います。

4月22日 アースデイとかで、世界中の人達と、木の花ファミリーの人達と全員輪になって瞑想をしました。すごかったです。

いさどんが言われる宇宙図書館では、「無限の知恵の泉は、意識を高めていってたどり着いたところではなく、実はそういう意識をなくしたところ、無意識というところに湧き出してくるものです。そして、それこそが、誰しもの中に眠る宇宙図書館なのです」とか、「日常に宇宙の法則が働いていて、その中に自分がいるんだなと認識する。それを感じた時に、そのスケールが大きい。するとちまちましたことは必要になる?僕らは1秒間に30㎞移動する。そんなものって地球上にある?そんなものはない。それに乗っかって僕らはいる。そう思っただけでいろんなことが解決されない?ばかばかしくならない?・・・・・」と。しばらくぶりにヤマギシの宇宙の真理、保ち合の理、愛が浮かんできました。太陽、地球、月、その他の星々も宇宙の法則で保ち合っている。

次に「美しくなるにはどうしたらいいのか?」
美しくなろうと努力することでなれるものでなく、いただいてなるもの、無意識になったら感じるもの。ヤマギシの中で無現象界をそのままにしておいて、現象界を整えようとしてもが出てきました。

それにしても木の花には若い人たちが生き生きと、ねるひまもなく活動している姿にはおどろきの連続です。夕食を食べながら、若者が木の花にひかれて来るのはなぜ、とたずねると、全てがオープンで開かれていて、いろんな切り口があって、やりたいことがいっぱいある、と生き生き輝いていました。若者がどんどんひかれて集って来る木の花ファミリーと若者がよりつかない私達の村。これから帰って私のできることからやらせてもらいたいと思っています。

ヤマギシの理念はスバラシイものもあると思いますが、新しい時代に向けて素直に出し合って、木の花の体験、体得した事もシェアして、楽しく、ユーモラスに行きたいです。ありがとうございました。

~こちらこそ、ありがとうございます。
これからあなたも発信者になってください。BYいさどん~

《向野さんの振り返り》
22日に木の花に来てはや6日目になりました。最初の日、車の中で眠ってすっきりしたのと、4日目の就寝前にヒーリングをしてもらって、その夜ぐっすり眠れた以外は夜の眠りが浅くて朝の寝起きが悪く、日中体のきつさがずっと続いていました。そういうきつさはあったのですが、仕事の場で仕事をしながら、食堂で食事をしながら木の花の人達と話していくにつれて、ヤマギシでいう一体の心で生きようとしている人達だなと、自分が生活しているヤマギシの実顕地とくらべて、なんという違いだろうとうらやましくなりました。

自分自身がある時期から実顕地のあり方に見切りをつけて、自分の空虚さを満たしてくれるものを求めて、スピリチュアル系のセミナーや講演を聞きに行って、なんとか心のバランスを整えるということを長年やってきて、それでもそのことが生活の中に根づくことができなくて悩んでいた折り、一昨年の11月から実顕地をあげて木の花との交流が始まり、自分もその流れの中で去年の2月に初めて木の花訪問させてもらいました。夜の大人ミーティングでの心のシェアの内容や接する人達との話を聞くにつけ、自分にとっても、ヤマギシの村にとっても、ひとすじの光を見たような気がしました。

けれども実顕地にもどって暮らすうちに、次第次第にそれまでの古い自分にもどって安住している自分とそこから脱け出ようとする自分のジレンマにもがいていました。年齢的にも死を身近に感じ、心の奥底での不安に駆り立てられるようにして再度(実際には3度目ですが)木の花訪問をさせてもらい、共通の関心と波長をもった人達との接触はとても心安らぐものがありました。5日目の面談でイサドンに人生の総仕上げの時期だと言ってもらい、あらためてこれからの自分の人生に対する覚悟が問われる思いでした。実顕地にもどってからの生活に不安がない訳ではないのですが、木の花訪問の経験者達のつながりを持ちながら、本当のことをこの身に現わしていきたいです。

~この世界には死はありません。
次の生まれ変わりにつながるためにも、人生を完全燃焼させましょう。
ノンビリでいいのですよ。BYいさどん~

いさどん:人はついつい外観でその人柄を見てしまうところもあります。今回ヤマギシから来た4名は一見寡黙な人たちです。人生を生きることについては真面目というより器用ではないのかなとも取れるのですが、自分が生きる本当の目的に出会うと、水を得た魚のようにこのように生き生きしてくるのだと思います。この六日間の振り返りが、こんなにも心に響く言葉となって表現されているということについて、僕はとても評価します。ただ、テーマとしては、それをこれからどのように現象化していくのか。今までは高い理想のもとに生きてきましたが、それが理想で終わっていました。これは残念なことにも受け取れますが、どの人も年齢は高いですので、残りの人生の中で自分に託されるところがあると捉えてもらえればと思います。それを「あぁ大変だ」とネガティブに捉えずに、若返ってもらって活躍してもらいたいと思います。振り返りを聞いてみると、その人も情熱を持っているのが感じられます。一人ひとりがその人らしくその情熱を表現し、望む世界をみんなでつくっていきたいと思います。僕は励まされ、希望を持ちました。本当にありがとうございました。

こうちゃん:本当にいい文章だなと思います。ぜひ、村ネットか何かにこの振り返りを載せてほしい。ヤマギシの人と共有してもらいたいなと思います。どこにいても想いは変わらず、みなさんと共に歩んでいます。

もとやん:みんなの感想を聞かせてもらいました。2月に自分が行かせてもらった時の大人会議の様子を思い出していました。明日帰ってきて一緒にやっていくことになるが、木の花と出会って3年目になります。議事録配信もリセットになったりしたが、ヤマギシの村づくりについてもこの4人がきっかけになって新たに展開していくことが楽しみです。帰ってきて話を聞くのが楽しみです。

でこちゃん:今回来てくれたみなさんは私と同年代。でも、村にいたときは顔は知っていたが、話したことはなかった。今回みなさんの滞在中に今まで苦労した話も聞かせてもらって、本当に仲間という感じがしました。感想を聞いて感動しました。これからはポジティブに、明るい方向に向かって、素直な気持ちを出し合っていけば変わっていけると思うので、がんばって・・・。いやいや、がんばってという言葉は好きではないので、一緒に楽しくやっていきましょう。

みちよちゃん:今まで来られた方は普段からコメントを多くくれる、ある意味で木の花ファン的村人だったのかと思います。今回の4人は今までコメントをたくさんくれたわけではない。そういう意味では普通のヤマギシの村人です。そういう方々が今回のコメントを残してくださることに意義があるなと思いました。ヤマギシに戻られて、受け入れや暮らしの中でここで感じたことが生かされることによって、少しずつヤマギシも変わっていくのではないかと思いました。交流に来てくれてすごくありがたいなと思いました。

かずこちゃん:今回、ヤマギシの方々と一緒に苗の作業を楽しくさせてもらいました。ふみさんは「居心地がいい」と言っていて、ここの空気を感じて溶け込んでいるのがすごくいいなと思いました。それをヤマギシに持ち帰って交流が深まったらいいなと思いました。

えいこばぁ:私は昨日で73歳になりましたが、浜子さんは私の一つ年上です。今の振り返りを聞いて、こちらもすごく励まされました。私もこれからヤマギシの方たちとやっていきたいです。これまでは若い人たちが多く来たが、年齢の高い人とも一緒にやっていきたい。来てくれて嬉しいです。

いさどん:これからが楽しみの一言です。その楽しみは木の花にとってというよりも、ヤマギシ流に世のため人のための追求をしてもらいたいと思います。そういった意味で楽しみということです。

みかちゃん:向野さんが前向きな感想を言っていたのがすごく嬉しいです。実は、向野さんが「宇宙の子ども」の歌をつくるきっかけになっていました。前回ヤマギシから沢山の人が来られたときの座談会の中で、「この年になって死ぬことを思うと不安になる」と話していました。それで、何かメッセージはないかと古いノートを探して、さらに歌詞を付け加えてその場で歌ったのがこの歌でした。そのとき中継もしていて、あれは震災の前のことでした。

向野さん:確か2月でした。死生観が変わりました。

みかちゃん:「宇宙の子ども」の生みの親とも言えます(拍手)。

みっちー: 私も、これから場所は違うけど一緒にやっていけるのが楽しみです。そのとき思ったことを、「良い・悪い」と決めて出さないのではなく、思ったことを出していって気持よくやっていくということを、自分も含めてやっていきたいと思います。

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交流 in 木の花ファミリー PART II

《寺田ちづ子さん日記》

4月22日第1日目

「どうして木の花ファミリー交流に来たのか」
いさどんに地球暦とか家系図で私のことを見て欲しい。今まで2回の面談をしてもらったが、どちらもうつの娘のこととか長男のことで面談してもらいました。5人の子供がいます。この春5人目の子が東京へと巣立ち、うつの娘もずい分元気になり、気にならなくなっています。離婚後、子供たちが1人立ちするまではとがんばってきたつもりで、5人共いちおう出発していき、一応の区切りかと思います。これから私は何をしていくのか、じっくりと考えたいと思い来ました。

5人の子供達を期間の差はあるが、皆ヤマギシズム学園に入れ、子育てをしてきました。学園のやってきたことに間違いがあったのでは、とささやかれる中、私は学園に子供を送ることで加害者の一端を荷っていたように思います。これを教訓に1つ1つのことを心して対処していこう、考えられる自分でやっていきたいです。最近村の生活の中で、相手の言っていることが聞けていない。自分の思いの中で聞いていて、勝手に理解(誤解?)して、自分の思いにふり回されていることを実感しています。聞ける人になりたいです。

到着してこれまでやってみて、人と話をするのがとても楽です。ヤマギシの村の中ではどうして人と話をする時にあんなにかまえて話をしているのか、不思議です。1人仕事が好きな私ですが、こんなに話をするのが楽なら、もう少し人の中でも楽しくやれるかもと思う。

~承りました。よろしくお願いします。BYいさどん~

4月23日第2日目

朝から畑に行き、出荷をやりました。作業はゆっくりで、作業時間は長いのに、村にいるより疲れません。村にいる時は早く早くとはりつめた時間の中で作業をしているような気がしました。途中で眠気がきましたが、ああ眠いなあと思いながらいつの間にか過ぎてゆきました。積極的に話してゆこうとあらゆる場面でその場の人と言葉を交わしました。いつもの生活ではこんなに人と話しをしていません。必要最小限、気が乗れば話しをするぐらいのことです。

村の生活で、いろいろどんどん話しを押してくる人に弱く、その中でも安美さんも苦手な一人で、あえて安美さんと一緒に木の花に来ようと思いました。ただ言っていることを言われたととらえる私の傾向が苦手意識になっている。

今年になってからそれまで、1日10本喫っていた。3本にへらして身体の調子もよくなってきましたが、こちらに来てなんだか喫いたい、喫いたいの気持ちが強くなっているように思います。眠る時間も少なく、きっとすぐに寝れなくて、眠い眠い頭がめずらしく痛くなってきました。

~問題は私たちが自らを超えていくために起こるように設定された仕組みです。
辛いことの先に何があるのか、楽しみにして行くような気持ちで
一日を過ごして行きましょう。BYいさどん~

4月24日第3日目

昨夜の大人ミーティングの中で、いさどんとさのっちのやりとりと、いさどんとのりちゃんとのやりとりを聞いていて、ゲッ、キビシイ!と思う自分がいました。私はとても安易なところに立っているなと感じられました。それでどうするか・・・。
午前中本宅でよう子ちゃんと話しをする時間があり、地球暦のことを聞かせてもらい、とても興味深く、木曜日にやってもらえるのがとても楽しみです。

~僕は常に相手の人に今、必要なことを伝えるようにしています。
ひとりひとり人生のテーマはその時々により違うものです。
他者と自分をダブらせないように自分と向き合っていきましょう。BYいさどん~

4月25日第4日目

今日は午前も午後も畑に行かせてもらい、いろいろ気づくことがありました。午前中、里芋定植用芋を掘り上げている時、迅平君と一緒にやっていた。フォークで芋を掘りおこしているシンペイ君が、掘り上げた芋の根の上に乗りそうになった時、思わず「シンペイ、踏んじゃう」と大きな声で言っていました。6、7人で作業をしていたのですが、あとで思うと異様に強い口調でその場が瞬間止まってしまった気がした。批難する気持ちはなかったと思うが、いつもの私の言い方だなと思った。木の花に来て、みんながとてもやさしい口調でずーっと過ごしているのがいいなあと思っていたのですが、私の実態を見た気がしました。シンペイ君はどう思ったのか、聞きたいと思います。言い方ひとつで、他に及ぼす違いがあるなあと思う。

今日で4日目。安美さんの言っていることが聞けなくて、やはりしんどいです。安美さんと言葉を交わす時はヨイショと腰を上げる気分で、自分をふるい立たせているようです。

作業をしながら、村にいた時の私は、いつもいつも早く早くやらなくちゃという気持ちが頭のすみにある気がしました。木の花の人たちの会話を交わしながら、ゆったりと作業を進めていく姿がとても新鮮です。

~せっかく違う文化に出会ったのですから、
それをあなたの次のステージのために生かして下さい。
いつもあなたの心があなたを観せてくれているのですよ。BYいさどん~

4月26日第5日目

午前中 地球暦面談(4人で)
あまり、心の中に残っていません。キャパシティが小さいと言ってもらったことだけが、強烈に頭の中を駆けめぐっている。どのように考えていったらよいのか。そうか、キャパが小さいのだから、無理に考えていきたくないようなことは、初めから手をつけないでいったらよいのかな。自分の考えれる範囲で楽しくやっていくことかな。考えられないことまで考えようとして苦しかったのかな。

~そのとおりですね。BYいさどん~

午後、じゅんちゃんに果樹をいろいろ見せてもらった。じゅんちゃんがあちこちに果樹を植え、楽しんでやっているのが感じられた。私も豊里でびわ、ぶどう、桃をやっていて、もっといろんな木を植えていきたいなと思いが拡がっていく。

私は私の心磨きをやっていこうと思う。キャパ以上のことはできない自分なんだということを知って、余計な思いこみはポイと捨てて、次に進んで行きたいと思う。

~そのとおりです。BYいさどん~

やはり、安美さんは私にとってキャパ以上の存在。一緒にやっていける人に思えない。そこを乗り越えようとやってきたのに・・・。どう考えていったらよいのか。

~安美さんはあなたには大切な人ですよ。BYいさどん~

食事の時にまり姉と話しました。キャパが小さいと聞いて、そんなに気になるというのは・・・(どう言ってもらったか思い出せない)。何となく自分のことをそれ以上に見せたい。それ以上も以下もなく、ただキャパが小さい。それだけのこと。安美さんがいろいろ私の気にいらないことを言ってくるのは、私が言わせているのだ、とのことが心に残っています。なんか、スパッと言ってもらって今、心が軽くなっています。そのことが腹に落ちたかまではわからないが、心にモヤモヤしていたものをすぐにまり姉に話していけたことがうれしい。

~あなたはあなたらしく、他人と比べないで、
自分と向き合っていくことが大切だと思います。
少しずつ、無理をせず、歩んで行って下さい。BYいさどん~

 

《松浦浜子さん日記》

4月22日第1日目

「どうして木の花ファミリーに交流に来たのか」
持続可能な真実の世界をめざして、ヤマギシに参画しました(22年ぐらい前です)。腹の立たない無所有一体の仲良社会を実現しようと。今もその事を実顕中です。

木の花と交流するようになって、持続可能な社会を実顕して、どこからでもどうぞそのままを観て下さい、と胸をはってどうどうと世界中に発信している木の花ファミリーの皆様がまぶしくて仕方がありません。まぶしいとうらやましがっていてもどうにもならないので、たった6日間ですが、まずは、私が出来ることを体得出来るキッカケがつかめたらと思っています。食生活にもとても関心があります。食生活と健康、特に野菜中心の食事も体得したいです。それから、大人ミーティング。私は話したい事は、いつでもどこでも素直に話していると思っているけど、はたして本音を出しているのか、人の話も本当に聞いているのか、それをお互いにシェアするとはどういうことなのかと、本当の仲良しをして行きたいです。

~よろしくお願いします。BYいさどん~

4月23日第2日目

昨日のミーティング後、ほとんどねむれませんでした。それで瞑想から一連の流れをふりかえってみることにしました。宇宙図書館とヤマギシの宇宙の真理、保ち合の理、愛、太陽、地球、月、その他の星・・・・・が空間に広がって、最後に皆んなで丸くなって手をつないだ時、頭からそっくり降りて来て、すべての人、一人一人もかけがえのない小さな宇宙、あなたは私、私はあなた。その間に空間はあっても、へだてるものは何もなく、まして国境など何にも見えませんでした。見えないものを自分で作ってしまう元はどこにあるのでしょう。何の利害関係のない、この地にいると、今までの事がすべて解放されたような感動にうれしくなって、ますますねむれなくなって朝を迎えました。木の花ファミリーの方々からふりそそがれているエネルギーが私をそうさせたのだと思います。

宇宙図書館「美しくなるにはどうすればよいか。」
美しくなろう、美しくなろうと努力してなれるものでもなく、いただいてそうなる?よくわかりませんでした。無意の意識になったら(自覚はないと思う)、感じられるものなのだろうか。ヤマギシの中でも、無現象界をそのままにしておいて、現象界を整えようとしても何にもならないのではと思い出しました。親鸞さんは難業苦業、千日修業をしても悟りが開けたわけでもなく、向行にひたすらおまかせのようなことを読んだことがあります。だからといって求めなければ得られないと思うし。

~短いスタンスでわかることと、長いスタンスでわかることがあります。
今、理解出来ない事も未来に答えが待っているものです。
そのためには、決めつけない、あきらめないで進んでいきたいものです。BYいさどん~

4月24日第3日目

昨日のミーティングでは、ヤマギシにはうそがあると。うその所もあるかと思うけど、一人一人あたって考えてみると、みんないい人だし、信じて毎日をすごしています。ただお金の事はオープンに出来ない部分があるようです。ヤマギシに不信感を持っている人の中にはそれが大きくて、心を閉ざしている人がいるように思います。木の花ファミリーの人達はそれがない。子供も大人もすべてオープンで、のびのびとわだかまりのない間がらというか、言葉では表現できません。そこに身を置いている自分も木の花の一員になっていますが、帰った時の事を想うと、もっと体得していきたいです。

~そうですね。あなたの姿勢がヤマギシ全体を創っているとしたら、
ヤマギシの未来はあなたの姿勢にかかっていることになりますね。
少しずつでも自分から変身(心)していきましょう。BYいさどん~

4月25日第4日目

今日キッチンでタマネギをむきながら、いさどんと茂ちゃんの会話の事を思い出していました。

いさどん:茂ちゃん。
茂ちゃん:茂ちゃんなんて言われると背中に虫唾が走る。

いさどんがまず茂ちゃんの気持を受けとめる。その上で、「私が親愛の情をこめて、茂ちゃんと呼びたい気持はどうする?」と言う会話のように受け取りました。まずは茂ちゃんが「気持が悪い、背中に虫唾が走る」と私意を出したことで、いさどんが親愛の気持で茂ちゃんと言いたい私意を出す。そこから研さんがはじまるのかなあと思いました。

私が木の花に行きたいと職場に出すと、
Mさん:どういうところで行きたいの。
私  :木の花の持続可能な社会をめざして実践しているところに行って、いろいろ体験したい。野菜中心の健康な食生活なども勉強したい・・・等々
Mさん:それなら木の花に行ってやったらいいじゃん。
私  :そんなにかんたんにヤマギシがやってないから、外に行ってやると言うような、軽い気持で参画してきたんじゃない。真実の生き方に命をかけて参画して来たんだから。
Mさん:木の花に行ってやった方が速いじゃない。
私  :速い遅いの問題じゃないし、木の花だけが良くなったって世界中がそうならなければと。

この程度が今の自分です。まず相手の私意をよく聞いてから、自分の私意を出して、本当にどうしたら良いかを見い出していくのが研鑽だと思うのです。木の花ファミリーの皆さんの会話を聞いていると、いそがしいのに、とてもゆったりした会話が心にしみて来ます。

~僕も毎日がとても充実して満足しています。
あなたが木の花で生きていくことより、今生で与えられたヤマギシという場所で、
あなたの満足を追求していくことだと思います。
共に助け合ってやっていきましょう。BYいさどん~

5月26日第5日目

ありがとうございます。40才の時特講を受けて、腹が立たない事を一つ取っても、腹が立つのがあたりまえと思っていたこと。それが相手の性だと思っていた事が二日間かけて頭が痛くなるほど腹の立つ原因を探りましたが、どこにもありませんでした。あるとしたら、自分の我執だとそのことを知った時、パッと目の前が開けて宇宙にとんで行きたいような、見るものすべてきれいで美しく、私が変われば世界が変わると本当に思いました。

生きがいと言うものがあるとすれば、私にはこれだと確信して特講送りとたまごグループ生産物を10年ぐらいして、研さん学校に行って、この生き方を知って参画しないのは人間ではないとまで言われて、すべてを売り払って参画しました。

愛児に学園を、と皆さんも参画して来たと思うのですが、その愛児が村にほとんどいません。若い人がどんどん村から出て行く時に、一番の理由を聞くと、まかせると言っても全面的にまかせてもらえないからやりがいがない、と言っていました。

ヤマギシさんがいらした時は、こんなふうにやりたいと持って行くと、“ええなあ!!”としか言われなかったとか。

昨日の夕食の時、りょうちんに若い人がこの村にひかれる理由を聞きました。すべてオープンで、いろんな切り口があって、やりたい事が開かれていて、と生き生き輝いてみえました。若ものがどんどんひかれて寄って来る村と、若ものが寄りつかない村。これから私にも何かできる事があるのだろうか、と思います。

ヤマギシの理念はすばらしく、どこでも通じる一体の仲良しをもっと素直に正直に出して、対立のないところでやっていきたいです。

~あなたの希望をヤマギシ全体や世の中の希望につなげられたらいいですね。
そのために、まずは足元の一歩から進めて行くことかと思います。BYいさどん~

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交流 in 木の花ファミリー PART I

4月22日から28日までの7日間、ヤマギシの豊里実顕地から中村安美さん、寺田ちづ子さん、松浦浜子さん、向野文敏さんの4名が交流のため、木の花ファミリーに滞在しました。この4名がメンバーと交流していく中で感じたこと、思ったこと、考えたことが赤裸々に語られている日記と滞在の振り返りレポートを3回に分けてご紹介したいと思います。

●PART I:中村安美さん日記&「交流について」

●PART II:寺田ちづ子さん日記&松浦浜子さん日記

●PART III:向野文敏さん日記&4名の振り返りレポート

《中村安美さん日記》

4月22日第1日目

頂いたテーマ「何故、どういう処で交流に来たか」
4月3日のコンサートを聴き、その後CDを購入して殆ど毎日聴いていました。その歌声もよかったですが、中味(歌詞)がとても良くて、この宇宙の在り方、人間の本来の在り方は、ここに書かれている通りだろうと思いました。

昨年11月に何かの縁で木の花に巡り合い、私の中に長い間積み重なり固まっていたものが、すっ~と融けていく感じがありました。それから少しずつ自分をふり返っていくうちに、私の中に相手に矢印が向く、これを何とかしなくてはという思いがはっきりして来ました。私が“ひとつ”という理から外れた考え方をしているのです。

ここに来る前に、調正所から何故行きたいのか聞きたいとお呼び出しがありましたが、何で?と思わずに、“貴女は私”と思ってケーキを持って出向き、いい雰囲気で話すことが出来ました。でも、長い間の私のクセですから、受けきれない時はまたベクトルが相手に向く時もあるでしょう。今、ここ、自分という処でこの場を借りて学ばせてもらい、ヤマギシでも、私からひとつ、親愛の情を表わして行けたらと思います。

15:00~子育てチームで受け入れ
15:30~おやつ
16:00~18:50子どもの風呂入れ
19:00~夕食
19:50~交換ノート書き
20:30~アースデー意識合せ
21:00~大人ミーティング
0:40迄、その後歯磨き

~ゆっくり話をしましょう。BYいさどん~

【 ★4月22日・大人会議に参加してみた感想 ★】
安美さん:昨年の11月以来ですが、レベルが上がっていて、理解できるところもありますが、なかなか難しいなと思っています。私は歌の世界で行きたいと思います。

ちづちゃん:私はとっても眠かった。理解できる域を超えています。

浜子さん:宇宙図書館を初めて聞きました。座っていると眠くなるので立って聞いていました。自分たちは宇宙とは大分遠ざかっているなと思いました。よくわからないですけど、「自由に自分らしく」というのが今日わかりました。

向野さん:宇宙図書館を聞きながら、面白いと思っていました。色々な話を聞いていて、  なんだか不思議な感覚になりましたね。僕らの住んでいる世界とは全然違うなと思いました。面白いなと感じました。

いさどん:僕がみなさんのコメントを聞きたかったのは、自分がいたところと違うところに来ると違和感を感じるということがあるのですが、その環境に慣れるとわかっていくることもあります。初めて食べたものでもその刺激になれると美味しくなる、ということもありますよね。せっかく六日間の滞在期間があります。ぱっと味わってぱっと感想を出すのではなく、ぱっと味わって感想を出したことが自分の中でどう変わっていくか、というプロセスを味わってもらうと今回の滞在の目的を達成するのかなと思います。滞在最後の日にどういうコメントが出てくるのか、みなさんにも比べてもらうと面白いと思います。

4月23日第2日目

7:00~子育てチーム(トイレ、手洗い、食事)
12:30~昼食
15:00~子育てチーム
15:30~子どもおやつ
16:00~大人おやつ
16:30~子どもとお風呂
17:30~交換ノート

(宇宙図書館テーマ:美しくなるには)
昨晩のMTGはかなり高度なものでした。私は“醜いものにも醜いだけの(?)美しさがある”とはどういう事だろうと一番初めに疑問に思いました。手を挙げて聞くことも出来ましたが、次々に手が挙がるので、皆の話を聞いている内に、皆は毎日のMTGでもっと意識の高い処の話をしているんだな、と思いその事は置いて聞いていました。言葉では上手く表現できないけれど、こんな事を言っているのかな?と思う処もありました。印象に残ったのは、いさどんが終わり頃に、「栄子さん、聞いていてどうですか?」と声をかけ、毎晩栄子さんや朝ちゃんが夜遅くまで皆と一緒にMTGに参加して、どう思って聞いているのか知りたかったとの事。普通なら、聞いていて難しい、理解できないとかの思いが出てくると、こんな私がここに居ていいのかな?と不安に思い、居心地も悪くなるかも知れません。でも、ここにはそれは無いんだよね。その場の空気で子どもも植物も育つと言うから、自分が理解できないと思うことでも周囲の意識が高まれば、同じようなレベルで暮らせるのかな?と思いました。

それと私の心のシェアですが、私は意地が悪いです。昨晩MTGが終わって歯磨きをし、早く寝ようと思って布団に入ったのですが、ちづちゃんが遅れて入って来て、やっと布団に入ったかと思ったら、メールをピッピッピッと耳ざわりな電子音を立ててやり始めました。すぐに終わるかと、少し我慢しましたが、眠いのに寝れず、勘にさわり、「ちづちゃん、もう遅いから早く寝よう」と言いましたが、まだ続けていました。明日もこんなだったら部屋は別にしてもらおう(追い出そう)と思ってました。

そして今日、子どもと入浴した後にノートを書く時間をもらい、座卓のある部屋で浜子さんと書いていました。途中で浜子さんが部屋を出て、トイレかな?と思ったら、私達の部屋に行き(ちづちゃんが戻っていたら、こちらで書かない?)と声をかけに行っていたようです。その時、私はハッとしました。私って意地悪だなぁって。これも初めに出て来たのは、こんな事正直に出して私の醜い面を曝したくないと思ったのですが、これをやらなくてはここに来た意味がないと思い、戻って来た浜子さんにも、私ってホント意地悪なんだよねって言ったのです。貴女は私、私は貴女なんて言いながら、「こっちの部屋使わせてもらうから、こっちで書いたら」なんてちづちゃんに言いたくなかったのです。

もうひとつ。夕食後部屋に戻る途中のちづちゃんとの会話。ちづちゃんが「もう眠たい」と言った事に対して「貴女はMTG中も寝てたし、夜もすぐにいびきをかいて寝てたよ。私も浜子さんもホント眠れなかったわ」と返したのです。ちづちゃんはそれに対して私のああいう言い方が聞けないと

~良いところに気付けたと思います。日記が途中で終わっているのはなぜですか。
続きがあったら書いて下さい。BYいさどん~

【 ☆ 4月23日の大人会議:宇宙図書館「交流について問う」☆ 】
ようこ:昨日からヤマギシの4名が交流の目的で木の花に滞在しているということで、「交流」についてお話ししましょう。

天界チーム:あなたがたの世界で言われる「交流」といったものが、私たちの世界にもあるのかといったら、少し内容が異なります。私たちの世界では魂のグループごとにしっかりと役割分担がされております。各グループにはそれぞれに属する魂たちが存在し、魂の集団としてひとつのグループを形成し、それぞれのグループの目的、役割のもとに活動しております。そういった中で、他のグループといわゆる「交流する」といった機会はあまりありません。無限なる魂のグループが存在するのですが、それぞれがある秩序のもとに活動しておりますので、ある意味他のグループと交流する必要がないとも言えるでしょう。魂のグループ同士が情報交換しなくても私たちの世界は成り立っているというのが現状です。今、湧いて出てきた想いとして、私たちが他の魂のグループといわゆる交流というものをしたら、上の世界でもどのような世界が展開されるのか、というのはある意味興味深いことだと感じました。

「あなたがた人間の役割は、表現することです。」あなた自身の魂の形、個性を表現するために人間同士の交流といったものは欠かせません。というのも、あなたがたが何を表現するのかと言えば、心の動き、心の変化するプロセスを表現することがあなたがた人間に託された役割なのですから、あなたがたに心の変化をもたらすためには外からの刺激、交流が必要不可欠だということです。あなたがたは一人でいても心の動き、変化があると感じられるかもしれませんが、それはあくまであなたという枠の中での出来事であり、それによってあなたの魂の状態が大きく変化することにはなりません。私たちは魂の心の設定において、どういった魂と交流していくのか、どういった魂と関係性を持って心を変化させていくのか、ということをある程度プログラムして魂を降ろしております。その交流の目的は心の動き、心の変化にあるわけですから、そこにどのような心の動きが展開されるのかを私たちは興味深く見ております。そこにはあなたがたが判断するような良い悪いといったものはなく、どの交流においても双方の魂、時には複数の魂の心の動きがダイナミックに変化していくのです。

あなたがたが地上に降ろされる前に設定されている交流というものもあれば、あなたがたに与えられた自由意志のもとに交流が生み出されていくという場合もあります。それについてもあなたがたがどういった魂を選び、交流していくのか、たいへん興味深く見させていただいております。しかし、あなたがたの意識において、これはどちらの交流なのか、生まれる前の魂の設定としてあった交流なのか、それとも自らの自由意志のもとに生み出した交流なのかを考える必要はありません。あなたがたがフォーカスすべき点は、この交流のもとに何を生み出していくのかということだけなのです。私たちとあなたがたとのこのコミュニケーションも、ある意味交流と言えるのですが、こういった交流が生み出すものが何であるのか、ということを私たちが確信しているわけではありません。私たちも瞬間瞬間、あなたがたとの交流のもとに何が生み出されていくのか知っていく、というプロセスをたどっております。

みちよちゃん:今日夕食のときにヤマギシの4人の方たちとお話をしていて、ちょうどこれに関係する話をしていました。本当にタイムリーで面白いと思っています。どういう話だったかというと、ちづちゃんが「安美ちゃんに何か言われると嫌な感じがする」と言っていて、「だけど、それが大事なんだよね」という話をしていました。結局、コミュニティでの暮らしというのは、自分ひとりだと自分のことは見えない、自分のことは鏡に映さないと見えないのだけど、その鏡はコミュニティで一緒に暮らす人の数だけある。違った切り口で自分を見せてもらう。生きるというのは自分を知る旅なのだと思ったときに、そういった他の人が言ってくれることは自分を映してくれる鏡になる、ということ。あと、昨年の夏にスイスのメタニタというコミュニティに行ったときに、120人の人が共に暮らしているのに、心磨きは単独でしているという話を聞き、信じられない、と思いました。結局、ひとりひとりが神様とつながろうとしてやっている。そうすると、わざわざ共に暮らしている意味がない。木の花がこうして若い人を引きつけ続け、活発化している背景には、自分自身を真剣に知りたいと思う人たちがいて、プラスみんなで一緒に学びをしていくことでそれを加速化している、というところなのだと思います。だから、この中に「心の動き、心の変化するプロセスを表現することが私たちの役割だ」と書いてあるけれど、それをみんなでしながら自分自身を知って変化していく、そういう交流だと思いました。

まっちゃん:今日の昼食のときに安美さんと一緒にご飯を食べていて、「そういえば、今回の目的って何でしたっけ?」と聞きました。「うーん」という感じだったので、「交流ですか?」と聞いたら、「交流って何ですか?」みたいな話になって、ちょうどその答えがここに出てきたと思いました。要するに、こうやって会話したりして感情が動く。そこでお互いを知って高め合っていく、そういうことだと思いました。面白いなということを想っています。

ちづちゃん:村で暮らしていて、安美さんとかどんどん出す人がすごく苦手で、言われる感じが弱いというところがあります。だから、あえて今回安美さんと一緒に行こう、と思って来ました。でも、昨日、今日といて、安美さんが向野さんにいっぱい言っているのを聞くと、見ているのがしんどくて、そういうのを感じたときに、さっきみちよちゃんに色々と言ってもらって、それをヤマギシでやっていくんだ、とみんなで確認できました。

安美さん:私もここに来ようと思ったのは、「自分が変わらないと」と思ったからです。「私が変われば世界が変わる」というのは本当にその通りで、「宇宙の子ども」の歌やCDの中でもそのことがいっぱい言われていて、本当にその通りだと思っています。ヤマギシ用語を使わなくても、すごくわかりやすく簡単な言葉で書いてある。自分がそういうふうになりたいと思って来たんですよね。やっぱり自分の中にはベクトルが相手に向いているというところがあると思っていて、そういうことは外に出さないといけない、だからこれからどういうふうにやっていったらいいのかなというのがありました。人に言われるのはできれば言われたくないという思いもあるのだけれど、今のヤマギシの中の様子を見ていると、自分の思っていることを言う人が本当に少ない。これを言ったらあとでどうなるかなという感じで言えない人も多くて、私みたいに言う人は数少ないと思っています。民ちゃんはよくやっていると思うのだけれど、そういうことをやっていかないと、みんなが思ったことを正直に出して行かないと、変わらないという気がしています。そういう私は、どういうところでそれを言っているのかが問われると思っているから、そこを自分は掘り下げていきたいと思っています。私もちづちゃんの件で、昨日の夜と今日と思うところがあって、そこを自分のチャンスにしていきたい。ダメだとへこむのではなくて、最初、私はそういうことを言いたくないという思いが自分の中に出てきたときに、やっぱりそれを出したほうがいいと思ったし、出していかないと変わらないと思って、「私、こういうのが出てきたんだよ」と出しました。そういうことをやっていきたいと思っています。よろしくお願いします。

でこちゃん:交流に4人来ていただいてね、昨日厨房で洗い物をしながらちづ子さんと一緒に私の知っている人の話とか、他愛もない会話だったのだけど、「ここにいると何でも話せるんだね」と言われました。それは村の中で話せない雰囲気があるのか、それからちづ子さんの中にも話せないものを持っているのか、両方あるんじゃないかなと思いながら、ここと交流する中で色々なことに気づいて新しい発見があるといいな、と思いました。

浜子さん:交流の話を一緒にしていて、「私は交流というよりは、木の花の生き方を体得交流したいんです」と言いました。「木の花の料理は野菜だけで、みんな美味しいんだけど、出汁の入っていない味噌汁だけは・・・」と前に来たときには言っていたと思うんですけど、味噌汁も美味しく飲めるようになりました。それから、村で洗剤を使って食器洗いをしていることも何とかしたいと思いながら暮らしていて、ここでは石鹸で髪や体も全部洗っていて、そういうことを色々と体得したいと思っています。

たっちゃん:僕は交流ということを聞いて、自分が今回「チームちきゅうれき」の色々な人たちとのやりとりの中で起こる自分の心の揺れとか、そういうものを思いました。ついつい、僕らは肉体を持っているし、感情も3次元世界のものをまとっているわけだから、個人の肉体として色々なものを味わう。例えば、人とのやりとりの中で怒りや悲しみを感じたりして、それを味わうことも大切だし、その味わったことを元に個人で振り返ったり、いったいこれは何だったのか、どう成長していけるのか、という振り返りもすごく大切なのかもしれないけれど、その延長では見えないものもひょっとしたらあるのかと思いました。やっぱり3次元での肉体だけの視界で捉えていると、すごく限界を感じてしまいます。3次元の肉体をもらっていながらも、意識として僕らは別の次元にもいるわけで、そのもう少し別の視点、高い次元の意識で客観的に交流を捉えていき、その両方の視線を持つことによって、よりクリアに相手と自分の関係を俯瞰できたり、そのことの本当の意味や味わいというもの感じていこう、それをこれから意識していこう、と思っていた矢先にこういう話があったので、なるほどなるほど、と思いながらシェアしました。

ひとつ聞きたいことは、いさどんは色々と矢面に立って、木の花のクレームを受けたりすることがあるけれど、それもまた外との交流だったりするわけだよね。そうしたときに、いさどんマジックではないけど、「丸めてポン」したりとか、僕ならそんなクレームを言われたら結構きついなと思うことでも、最終的にはアッハッハと笑って、良い方向に「丸めてポン」してきたりする。それは自分の視点といさどんの視点が違うのではないかと感じていて、人と交流するにあたっての意識の持ち方もあとで聞けたらと思います。

りゅうしろう:人と交流するときに、情報の交流はしているが、心の交流はしていないから、それなりに時間は経っているのだけど、お互いの距離があまり近づいていないと感じることが今までよくあったと思います。一緒に作業をしていても、情報の交流だけに自分はとどめておいて、見せたくない部分はずっとキープしていたり。最近はそういうところも小出しにして(みんな:小出し?笑)、「心の動きをつくるのが目的」と書いてあったので、そこにフォーカスして変化していければいいかなと思いました。

安美さん:さっきのたっちゃんの言うのを聞いていて思ったのですが、4月3日に豊里でコンサートがあって、4日に秋山さんという人を入れて懇談会がありました。そのときにいさどんやようこちゃんが秋山さんのことを「しげるちゃん」と名前で読んだんです。そうしたら、秋山さんは「それはやめてくれ。背中に虫唾が走る」と言ったんです。それでも、いさどんは「でもね、しげるちゃん」と言ったんです。それでようこちゃんもそのあとに「しげるちゃん」という感じでまた言ったのです。ああいうふうに「やめてくれ」と言われたら、「ああそう、それなら秋山さん」という感じで声かけすると思うのですが、いさどんはそれぐらいではひるまずに笑いながら、「でもね、しげるちゃん。僕はしげるちゃんって呼びたいんだよ」って言いましたよね。そのあとで民ちゃんたちと話していたときに、民ちゃんが「あれはヤマギシで言う“私意尊重公意行”だと思う」って言ったんです。私は、民ちゃんやちえちゃんは、木の花で言っている言葉をヤマギシのイズムに置き換えて、このことはどういうことかと考えている節があると思っています。だけど、私はそっぽむいて「言っていることとやっていることが違うんじゃないか」と思ったりして、そういうふうにイズムのお勉強はあまりしてないので、そういうふうには見なかったし、民ちゃんが言ったことに対しても「ふーん」と思っていました。でも、民ちゃんが「それは本当にどちらの思いも受けているよね」と言ったのです。いさどんはそういうのがすごく見事というか、たっちゃんが言ったように木の花が他の団体や地元の人などと何が問題が起こったとしても、物事がすごく上手に収まっていくというのがあるのかなあ、と私も思っています。いくら孫悟空がお釈迦様の手のひらで暴れまわっていても、そういうものとして見ていけたら腹も立たない、と前に言われたのですが、やはりいさどんの中にはもっと理にかなったところに立っているところがあるんだろうなあ、と思うのです。だから、相手も怒らないし、収まるところに収まるのだと思います。ついでに言っておきますと、秋山さんはそのあと会ったときに、「俺の評判は悪かっただろうな、嫌われているだろうな」と言っていたので、「そんなことはないよ」と言っておいたのですが、でもそう言いながら彼はニコニコ笑っていました。

ファシリ:「虫唾が走る」と言いながら、そんなに悪い気はしなかったのかもしれませんね。

いさどん:しげるちゃんのことですが、彼は人に対して距離を置きたがるように表では見えるのですが、ああいうタイプの人はとても愛情を求めているのです。僕は彼からそういう情報を聞いてはいませんが、間違いないのは子どもの頃から、現在もそうですけど、愛情不足で育ってきました。ですから、本当に信頼できる人を求めているということです。彼は自分の立場で、自分の目線からの主張をしているのです。そこで、僕は彼に道理を問うたのです。「あなたがしげるちゃんと言われることを嫌だ、虫酸が走るということを理解しました。それはひとつ理解しましたよね。あなたを尊重しました。そこで、しげるちゃん。私はあなたをしげるちゃんと呼びたい。この私の意志をあなたが尊重すると、僕らはお互いを認め合った関係になるね」と伝えたかっただけなのです。もともとが濃い人間関係を信頼のもとでつくりたい人ですからそう伝えたのであって、タイプの違う人に僕はそういうことをしません。彼がノーと言ったことに対して、多くのヤマギシの人たちは彼の少し過激なアピールに引いてしまうのですが、そこは変に引かないで彼の心の中に入っていくと、非常に強い信頼関係ができるのです。だから、僕は村で暮らしていたら彼とはとても良い関係をつくれると思うのですが、たまにしか行かないものですから、距離ができるとまたそこで埋め合わせるということを今までもしてきました。たとえば、会わなくても彼も議事録を読むようになりましたので、議事録からメッセージを送るということもあります。そうやって、直接彼に語りかけていないようで、実は「これは俺のことを言っているな?」という感じで話しているところもあります。この話を彼が聞くと、「作戦だったのか」と思うかもしれませんが、これが僕の相手を想う愛情表現なのです。あのときの「虫酸が走る」という表現は、本当は逆のことを言っているのです。本人もそのことを知らないかもしれません。だから、本人が知らないことを伝えるのは醍醐味ですよね。

次に交流についてですが、交流というのは何か目的を持ってこちらにあるものを相手に提供し、相手にあるものをいただいてくるというギブアンドテイクのものも世の中にはありますが、僕はそういうふうに交流というものを見ていません。交流というのは文化と文化の出会いであると思うのです。文化というのは個人にもありますし、団体にもあります。文化とは、その特定するものを長年やってきた結果、日常の中に当たり前に浸透しているものであり、それぞれの世界では当たり前になっているのです。ですから、交流は異文化と出会うことによって、実は相手のものをもらってくるのではなく、自分が他人と違うことを知るチャンスなのです。さらに、異文化と出会うことによって、今まで自分が常識としていたことにプラス何かが加わるわけですから、進化するチャンスでもあるわけです。そうすると、ここで言う交流は、この天界チームが「結果はよくわかりません。しかし、それをやってみる必要があります」と言っているのと同じことです。情報と情報が出会うとプラスアルファどころか、100あったものが200にも300にもなるような進化につながるもの、というのが本当の意味での交流だと思います。つまり、全く知らなかったものがそこで生まれるのです。

僕はよりどんと出会ったときに、新しい社会に向けての、ヤマギシで言えば「全人幸福」、木の花で言えば「世のため人のため」に私たちは生活しているわけですから、お互いにタグを組むことによってバージョンアップして、さらに大きなメッセージを送れるのだと思いました。これにはとても大きな意味があります。なぜかと言うと、今の時代が本当にそういったものを求めているからです。そう思ってよりどんにも伝えたのですが、どうもよりどんとつきあっていると、これはヤマギシ全体にも思うのですが、損得感情で物事を見ているのです。木の花のみんなにも聞きたいのですが、そうですよね?(みんな:そうです。)その損得勘定は、最初に言ったギブアンドテイクの単なる浅い交流といったものです。私たちが文化として維持してきたものは、文化ですからもっと深くて広く、つまり文化というのは広がれば広がるほど国をつくり、地球の歴史をつくっていくわけです。ですから、そういう意味で発展的なイメージを持っていたのですが、それが今のヤマギシには理解できていないし、ないのです。それは何かというと、常にヤマギシで行われている教育(特講、研鑽学校)であり、その象徴的なものが学園の教育です。これが何を目的に行われてきたかというと、ヤマギシのために行なわれてきたということなのです。看板では全人幸福だと言っているのですが、木の花を訪れたある人が言っていたように「よく考えてみたら、全人幸福というのは共産党もキリスト教もオウム真理教も全部、全人幸福だよね」と、木の花に出会ってそのことに気付いたのだと思います。しかし、どこかでヤマギシ的全人幸福になってしまい、そしてその全人幸福もいつしか忘れられ、ヤマギシ的価値観で世の中が幸せになれる、しまいには産業が発展することが幸せになれるようなところに至ってしまったのだと思います。文化というもののベースにあるものが何であるのかが大切なのだ、といつもヤマギシの人たちに伝えたいと思っています。昨年の7月2日によりどんが来たときに、「ヤマギシの人たちが今なぜこういう状態にいるのかといったら、それはひとえに世界観が狭いから。その世界観を広くしないと、自分たちが何のためにこれをやっているのかは見えない。だから、ヤマギシの春日や豊里のような大きな実顕地で講演会をやりたい。そして、小さな実顕地ではあなたが僕を連れて、そこで一緒に座談会をやり、ヤマギシの将来について実顕地の皆さんと語り合いたい。そこで、もう少し広い世界観を伝えることによって、僕たちが出会った意味が本当に生きて、全人幸福、世の中のためになっていく」という話をしました。これはすべてようこちゃんが録音していますから、嘘ではないのです。ある人は「よりどんはそんなこと約束していないと言っています」と言うものだから、「それは何と言おうと構いませんが、少なくとも木の花や僕は嘘がない生き方をしていますので、いずれはどこに嘘があるかはわかるのです。そして、嘘があるところは、必ず天がその後ろ盾になりませんので行き詰まるようになるのです」と伝えました。

ヤマギシ社会にはどことなく本当が見えない、簡単に言うと嘘でつくられている部分があるのです。木の花の社会というのは、正直をいかに表現するかということに努力している社会です。努力というのは、人間ですから肉体を持っていると心を全部出せませんので、100%かどうかというと、ものの捉え方によってはそうとは言い切れません。しかし、心情のところではいかに正直に、風通しよく生きるか、ということに努めています。これがヤマギシと木の花の一番違うところで、一般社会や政治の世界でもそうですが、対立や行き詰まりがあるところには嘘が横行しているのです。

そんなふうに考えると、交流という今日のシェアは新しい文化に出会って、そして自らをそこから知る。そして、さらに異文化と出会うことで、相互が進化する。そういう場所だと僕は捉えています。

今回、ヤマギシから4人交流に来ていますが、昨日の大人会議の終わりに僕は、「とりあえず、今日一日目の心境を言ってください」と言いました。日記も見せてもらっていますが、「眠い」、それもいいのですよ。それから、「わからん」、それもそれでいいのですよ。あとは「ちょっとむっとした」、それはそれでいいのですよ。でも、それが今までの自分の歩んできた文化であり、ヤマギシのベースの文化なのです。さて、木の花の文化に出会って、一週間後にどういう自分になっていくのか。未来が答えをくれますので、それを楽しみにして帰っていただきたいと思っています。

ファシリ:他にありませんか?

たっちゃん:では、さっきの僕の質問に対するいさどんの答えを聞きたいです。

いさどん:まず、たっちゃんは意識が高いからそういう質問が出来るんですよね。腹が立つでも、理解できないでも、疑問でも何でもいいのですが、同じことに対して次元の高い「理解できない」もありますし、次元の低い「理解できない」もあるのです。自分の程度がどのあたりなのかは、わかっておく必要があります。そういう意味では、たっちゃんは高い意識があるからこういう質問が出るのだと思います。

まず前提として、僕は何か事が起きたときに、その行く末、未来に対して結論を持ちません。たいていトラブルが起こると、人は何かをしますよね。そうすると、みんなは先に「こうしたい」という想いが出てきてしまうのです。それは「自分の考えのようにしたい」ということですから、それはヤマギシ流に言うと我執だらけなのです。無我執ではないのです。それは自分の道を生きているわけです。つまり、この世界の法則にのっとって生きているわけではないのです。この世界は宇宙の法則にしろ、自然の法則にしろ、ものすごく緻密で高効率の法則のもとに運営されているわけです。私たちには非常に難しいから理解しがたいのですが、完璧な道理が通っているということです。これは地上の道理に対して天の理、天理教というものもありますが、天理によって運営されているわけです。そこをまず第一に信頼しているかどうか。そこに信ずる心があるかどうか、ということです。そうすると、理解していたら結論を先に持ってきてしまいますが、人間ですから未来の答えは理解できません。そうすると、信じるという延長に何を信じるのかというと、自分に起きることはすべて自分のために表わされているということです。どんなことでも自分のためになることならば、それはすべて善きことではありませんか。そうすると、それをまず善意で捉えるということです。

それから、結果は行ってみていただくものです。木の花語録の中に「見通しを立てるが、予定は立てない」という言葉があります。今ある材料を使って見通しは立てます。しかし、その見通しの延長に結果を決めない。予定というのは結果を決めるということなのです。だから、それをしません。僕らはとりあえず段取りはしますが、流れが悪ければすぐに変えます。ヤマギシの人たちと付き合っていても、あまりにわからず屋ならば、「それではやめましょう」というだけのことなのです。ただ、そういう覚悟は常にありますが、そんなに浅い生き方はしていませんので、すべての意味、やめるならやめるような意味、続けるなら続けるような意味を常に理解しようとしています。それは自分が組み立てて理解していくというよりも、結果、いただくということです。だから、予定は立てない、予定もいただくもの、という考えなのです。

そこで、何かが起きたときに何をするかというと、まず自分の正直を出します。そのときに、自分の正直でも自分にとって都合のいい正直を出すようなことではダメです。それはトラブルの元です。我を出しているだけですから。相手の側にも自分の側にも立たない自分の正直を出す、それが出来る人でないといけません。それをやり続けていけば、必ず、「これはこういうことで学びになったな」とか、「これはこういうふうに収まるべき流れだったな」とわかるような仕組みになっているのです。それが宇宙の法則ですから。その法則が信じられていれば、さらに自分の側にも相手の側にも立たず、その中間に立って、そして自分の正直が出せれば、自ずと答えが出てきます。

僕の中にはたっちゃんが質問したように、自分の思惑のように事を落とすという意思はあります。しげるちゃんの話もそうですが、しげるちゃんが嫌だと言ったときに、そのあとも僕は「しげるちゃん」と声をかけ続けながら、結果として彼がそのことにゴキゲンになるという僕の思惑の通りにするという思いはあるのです。しかし、そこに「俺の思うとおりにしてやる」という心があったら、これは裏目に出ます。そうではなくて、これが天理なんだと。そして常日頃から、自分は自分を生きるのではなくて、天理を生きているんだ、それを信じてこのいのちをいただいているんだ、という心があれば、それができます。だから、たっちゃんが言った3次元的思考ではないのです。でも、4次元的思考でもありません。これは5次元、6次元、もっと上かもしれませんが、そういった思考で事がまわっていると思います。それはその瞬間瞬間にそれを組み立てているのではなくて、自動焦点装置と同じように、自動的にその場の状況に合わせて思考がコントロールされるようになっているのです。それは僕の感覚からすると、自分がやっているのか、それとも、僕という人間が単なる媒体だと考えると、神様という意識が僕の体をモビルスーツとしてこれをやっているのか。そうすると、そういう意識になったときには、僕は別にいるのです。その僕が自分の言葉や行為を見て、「こういう手法もあるな」とか、「これは新鮮!いただき。勉強できたな」という感じのところもあるのです。だから、僕は自分の言葉や行動からいつも勉強しています。それは違う言い方をすると、僕が僕に執着していない状態です。

みかちゃん:まさにみんな、そこを目指していると思います。自分のエゴの部分を置いておいて、と言っても別に排除するのではなく脇に置いておいて、中に神様というような天界の方々に入ってもらって動く。そのときに出てくる自分の言葉や動きに自分がびっくりする、新鮮に感じるということをいさどんは言っているのだと思います。

いさどん:少し訂正しますが、僕はオヤジだから、シャーマニズムのように明け渡しというのはできないのです。みかちゃんもそれができないように。ただ、このいさどんというオヤジが、この世界の法則を知って、そのものに自分が信頼を全部寄せて、そこに周波数を完全に合わせてしまうと、僕という受像機を通じて上の意志が表現されるのです。それが宇宙図書館です。アカシックレコードのようなものです。ですから、ようこちゃんタイプとか、一般のシャーマニズムタイプには、残念ながら僕はなれません。

みかちゃん:そう言われると、私はそれを昔から感じていてシャーマンにはなれないと思っています。

いさどん:シャーマンになりたいのだけど、なれないから、まあしゃーまんないか(笑)。

まっちゃん:仕方がないか、と言いたいようです(笑)。

みかちゃん:正確に言うと、たとえばいさどんは自分もそこにいて、話していることもちゃんと把握していて、まったく天の方々にただ話させているというのは確かに違う。私も自分はそういうタイプだと思っています。タイプが人にはあるのだろうと。自分を生かしながら話していて、それでいいんだろうな、とも思っています。

いさどん:それはキャラクターだから、僕がようこちゃんみたいになったら・・・美しいか(一同、笑)。

みかちゃん:それぞれが個性に従って天とつながった独自の表現方法があるのだろう、ということに尽きるのだと思っています。それが最近のテーマだと思っていて、試行錯誤の日々です。

いさおちゃん:そうすると、そのオヤジ的スタイルでみんなが学びながら来た木の花の歴史の中に、すごいピュアなものが加わったというのは、何か意味があるのだろうと思っています。

いさどん:このようこちゃん経由の天界チームは、木の花の今までの文化にはないものです。これはすごいことだと思うのは、普通地球上では人間たちがそれぞれに歩んできた文化のつながりの中で進化してきました。ところが、天から降ろされてきたというのは、ものすごく貴重な出会いで、これは学術的資料にもなると僕は思っています。だから、「神との対話」を超えるものだと思っていて、このシリーズをいつか世の中に出す必要があると思っています。これは、僕が未来を所有しているのではなくて、見通しているということで、どんな宗教よりも実践レベルですごく貴重なものだと思っています。

みかちゃん:ちょっとマニアックな話をしてしまいますが、私は昔ニューエイジの世界に首をつっこんでいたもので、いろんなタイプのチャネリングを見て、自分も経験してきています。いわゆる、昔いさどんのそばにいた巫女さんみたいな、本人の意識がなくなるタイプもあれば、そこにその人の意識がありながら降ろして話すタイプもある(いさどん:ようこちゃんはその中間かな)。今までは天界の方々が一方的に教えるという形だったなと思っています。それは少し前のニューエイジのレベルとして、その頃は仕方なかったと思うのだけど。

いさどん:それは宇宙人のバシャールもそうだし、一方的にメッセージを送ってくるものです。それで、地球の人々がそれを聞いて、それを宇宙の意志の雛型としてどういうふうに表現するのかということをしていたと思います。

みかちゃん:ここで起こっていることとそれがちょっと違うのは、天界チームと地上チームが会議をしているというのが今までにないパターンだということと、地上チームが心磨きをメインにして今まで下地をつくってきているということ。頭でっかちで話すのが今までのスピリチュアル系には多かったのですが、それとは違うということが確実に言えると思います。だから、土壌が違うので、自分たちに安心しているのを感じます。チャネリングの世界で満足して現実には行動しない人たちが沢山世の中にはいるけれど、ここは常に日常の中で心を見つめ続けるという下地を積んできた人たちの集団だからこそ、こういうことが起こっても安心できるという感覚があります。

いさどん:それは、長年宗教がずっと歩んできた道の中で弊害的なものが、ニューエイジの世界でも出ていたということです。つまり、尊いものを与えられて、それを実践していけばいいのですが、知識だけ与えられて「できたつもり」「わかったつもり」になっていたというのは、宗教の世界でもそうです。それに対して、実践して、それを理解できている状態で知識が降りてくる。そうすると、その知識はさらに地上のものの知恵を生む元になる、ということです。この天界チームとの交流は、天界チームも地上にいろいろ託しているのです。フィードバックをもらって、天界チームもさらに自分たちの役割にそれを生かす。そういう仕組みになっていて、これはまったく新しいやり方です。ぜひ、これを世の中にシェアしたいですね。

4月24日第3日目

昨夜もあまり寝れませんでした。MTGの宇宙図書館の「交流について問う」が本当に良いタイミングで出されたなと思いました。ちづちゃんとの件で、意地悪な私というのもありますが、向野さんが、「ここは緊張しなくて、居心地が良い」と言ったのを聞いて、また思いました。木の花は皆の意識のレベルが高いから、今のその人の状態を受け入れて、温かく見守っている空気が漂っているから、人は安心して自分から学んでいく事が出来る。しかし、ヤマギシでは、こうあるべきと言うのが強いから、どんな人にも同じレベルの物を要求し、出来なければつつく。だから人は、自分を守ろうとして頑張るし、心をバリアーで囲うのです。自分のそのままの気持ちが出せない。まあ、向野さんは、私が言うことははっきり言ってくれるから判り易いし面白いと言ってくれますが、私も他の人と同じように鶏の尻つつきをやっていたのかも知れないなと思いました。悪気があって言っている訳ではないけれど、責める心が一切なくて、温かく見守る、待てる心が加われば、関係も異って来て私の心も穏やかかなと思いました。

~全ての人は一人一人、オリジナルな存在です。
自分を守ろうとしたり主張することも、相手にも同じ意識があり、
それを認めて観てあげることが出来ると、人はやさしい人になりますネ。
自分にも、他人にも。BYいさどん~

4月25日第4日目

昨晩のMTGは、終盤気づかずに居眠りをして、カクッとなって眼が覚める状態で、体も疲れていたので今日のAMは休ませてもらいました。畑が忙しい事は判っていましたが、今日は気にせずにゆっくりする事が出来たかな?(100%ではないけれど)

昼食の時、私達4人とミカちゃん、晃ちゃん、いくえちゃんが一緒でした。いろんな話の後で、向野さんの話になり、その中で私がまた余計な事を言ってしまいました。私は向野さんに「ヤマギシ、真我、ダンヨガ、木の花、ミノスと渡り歩くのは止めて、ここでしっかり取り組んだらいいよ」という思いがありました。昨晩のいさどんの話の中に思惑(結論)を持たないとありましたが、私の中にはそれが強くありました。言ってみて、「アッ、またやっちゃった」と思いました。自分の側にも相手の側にも立たない処で自分の正直を出すのであれば、私の発する言葉は全く異ったものになっていたでしょうね。それが何かまだ私には判りませんが。

それとPM育苗に行ったのですが、いくえちゃんと一緒にやりながら話す中で、私の咳について聞かれました。一応、病名はアレルギー性気管支炎(他の医者は別の病名をつけてくれましたが)。いくえちゃんが言うに、心から来ているのではないか・・・と。自分でも気づいてないかも知れないが、出せてないものがあるのでは。まぁ、そういう見方もあるよ、ぐらいに聞いてもらったらいいよ、という事でした。私は思った事は出しているし、思い当る節はないんだけれど、心の隅に置いておこうと思いました。

いさどんと椎茸収穫に行かせてもらいましたが、話を聞いて、本当に潔い生き方だなと思いました。

~今後のあなたを観ていきたいと思います。楽しみです。
共に歩んで行きましょう。BYいさどん~

4月26日第5日目

浜子さんやちづちゃんの面談を聞いていて、本当にその通りだなと思いました。でも、私の地球暦って4つしか絡んでなかったっけ?と思いました。帰ったら前回の分も観てみたいと思います。

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皆さん、I love you.

4月3日ヤマギシの豊里実顕地にて、出版記念コンサートが開かれました。「Welcome to アースファミリー」「星々の会合」「この世界をつくっているのは」と木の花楽団のオリジナルソングが歌われ、コンサートの中盤にさしかかってきた頃、いさどんから皆さんに次のような挨拶がありました。(なお、いさどんの挨拶、ようこからのコメントは春日山実顕地のよしこちゃんがテープおこしをしてくれました。よしこちゃん、どうもありがとう!)

《いさどんの挨拶》

皆さん、こんばんは。(会場より「こんばんは。」)去年の11月に来て以来、もう5ヶ月ほど経ちました。随分ご無沙汰したと思っています。ただ、この地球に一緒に生きていましたから。ですから、私たちはこの瞬間を共有して、たったひとつの時間、そのたったひとつの過去から未来への流れを生きている、ということで共に生きています。その時々に亡くなる人はありますが、その亡くなった人も魂の世界にいて、またいつかここへ戻って来ます。私たちがその間も生きていたら 先に亡くなった先輩も私たちの子や孫になってまた生まれてくることになり、この世界を私たちはひとつのものとして共有していることになります。

というわけで、今日はお久しぶりの挨拶に、皆さんにメッセージをお伝えしたくてここに立ってみました。皆さん、I LOVE YOU.(会場、笑。会場より「I LOVE YOU!」「I LOVE YOU,TOO!」) LOVE?(会場より「LOVE!」)ここは日本でしたね。皆さん愛しています。(拍手)
 
一昨年の11月15日でしたね。もとやんたち8人の人が木の花を訪ねて来てくれました。あのとき、「扉が開かれた」と思いました。本当です。嘘は言わないいさどんです。そして、新しい歴史が始まると感じたものです。その後12月に、ヤマギシのボスたち、寛ちゃんと同志、よりどんが来てくれました。その時に僕は伝えたのです「待っていた。遅い。もうとっくに出会っていてもいいはずなのに。何をしていたのですか。振り返ってみれば、10年も前に木の花から皆さんにメッセージを送っていたのです。しかし、そのメッセージには反応がなかった。しかし、いつか必ずつながると思っていた。10年経ちました。やっと来ましたね。」
 
それからあっという間に1年経ちました。1年どころか1年半になろうとしています。私は皆さんに時には辛いことを意識して言ってきました。しかし、その背景にあるのは今、メッセージを伝えましたね。愛しているから。愛しているからこそ・・・ですよ。隣の人のことだったら、どうなったって興味を示しません。しかし、私たちが出会ったのは運命の出会いだったのです。そして、そのことを確認し合いました。・・・ですよね、寛ちゃん。(寛ちゃん「はい。」)強制したみたいで申し訳ないです。(会場、笑)もう一人の人ともここで今日、確認し合いたかったのですが、どうも忙しいようで今日は来られなかったようです。そして、その気持ちは今の僕の中でも全く変わっていません。そうですよね、寛ちゃん。(会場、笑)強制していますね。(会場、笑)これからも変わりません。
 
ただ、この話はその時も確認し合いましたが、木の花とヤマギシのハネムーン、蜜月を完成させるための話ではなかったはずです。私たちはこの世の中に真実を表わしていくとき、この世界に生まれてきて「人間というのはこういった目的のためにこの世界に生きている」ということを私たちが自覚して、自らが誇れる人生を生きること、それが私たちの尊厳というものだと思います。そして、その尊厳に目覚めた人々は、他のすべての生命の頂点としての自覚があるものですね。今日、宇宙の話がありましたが、他の星々もその枠組みの中にあるのです。そして、この地球という特別な星、この星は特別なのです。地球の特徴は現実化、変態・変容、つまり状態が常に変わっていくことです。こんな星が他にあるでしょうか?月へ行ってごらんなさい。30年前にアームストロング船長が人類の第一歩を印した、あの足跡がまだ残っているのです。火星の探査機が何年もかけて火星を探査してまわりました。あの足跡がそのままいつまでも残っているのです。宇宙はものすごくゆっくりなんですね。この地球では、もうじきタケノコが出ます。タケノコが一番伸びるときは一日に60センチ伸びるのです。これがこの世界で一番たくさん、宇宙一変化する生命です。私たちもそうです。生まれた時はあの可愛らしい無垢な姿だったのが、10年経ち20年経ち30年経ち40年経ち、それ以上は言いませんが(会場、笑)、随分変わりましたね。中には妖怪みたいになったりして。(会場、笑)それは、この世界の中で地球が特別な星だということです。そして、その中に私たちはいるのです。たくさん変態・変容を繰り返しながら、多様性として私たちひとりひとりがこの世界に存在しているのです。その私たちひとりひとりが別々でバラバラなのかといったら、私たちはひとつの太陽、ひとつの海のもと、それからひとつの大地のもと、この世界にいのちを共通していただいて、このひとつの大気のもとに共存しているわけです。気に入らない人がいても、「あの人の吸った空気だから吸いたくないわ」というわけにはいきません。隣の国、北朝鮮のキム・ジョンウンさんが吸った空気を吸いたくないと思っても、大気は巡って来るようになっているのです。日本からの空気はアメリカの人々が吸うようになっています。それはこの地球がひとつだからです。
 
皆さん、もう一回メッセージを送ります。愛しています。それはどうしてかというと 皆さんが私だからです。そして、私が皆さんです。どうやってこの星の上で私たちを区別することが出来るのでしょうか。人間どころか他の生命も、言語で対話することが出来ないような植物ですら、私たちに酸素を供給してくれているのです。その世界の中で、私たちは特別にいただいた能力があります。それは自我です。これは尊い能力です。自己実現が出来るのですから。自らの想いを叶えて自らを幸せにしようとすることが出来るのです。人間以外のものでそのようなことが出来るものはいません。宇宙の中でも、この三次元世界にもそのようなものたちはいないのです。ところが、私たちはそれが出来るものなのです。そのようなすばらしい能力をもらっているのに、多くの人は自らのほうだけに意識を向けて、自らの側から見える解釈をし、この世界を生きているのです。これではどうしたら、「あなたは私、私はあなた」という世界が出来るのかと思うのです。それで、時々辛い言葉をヤマギシの皆さんに投げかけてきたのですが、くれぐれも言っておきます。愛しいからです。

しかし、僕はヤマギシの皆さんだけを愛しているわけではないのです。すべての人類、そしてすべての生命、さらに地球そのものを愛しています。地球は奇跡の星なのです。そんな星がどこか他にありますか?あと何年たったら、このような星をこの宇宙で見つけることが出来るのでしょうか。この広大な世界は無限にあるのに、私たちはいつこのような星に出会えるのでしょう。僕は出会えないだろうと思うのです。それはこの地球が本当に特別に創られた星だからです。しかし、私たちはそれだけのことを理解して生きているでしょうか。もしその貴重な出会いである自分自身、そして貴重な他者との出会いを理解していたら、私たちはこの地球上で戦うでしょうか。そこに貧富の差ができるでしょうか。そんなことは当たり前ではないですか。
 
僕は、ヤマギシの人たちにこういうことを言ったらきついだろうな、と思うのです。だからこそ投げかけるのです。それはそこにこそ気付いてもらいたいのですから。僕の身体ひとつとっても、僕の目線があります。しかし、その中には手の目線とか、足の都合とか耳の都合とか、色々な都合があるのです。内臓の都合とかもあるのです。そうすると、その都合都合の主張ばかりしていたら 身体全体の健康は保てません。それを束ねてひとつの秩序、調和を保っている姿が私たちのいのちなのです。それで、私たちはヤマギシの皆さんも木の花の皆も含めた「血縁を超える自給自足の大家族」(新刊本の映っている後ろのスクリーンを見ながら)なのです。この本に表現されている世界はどこにあるのかと思うわけです。木の花ファミリーと書いてありますが、それはちがいます。地球が血縁を超えた自給自足の大家族ではないですか。そこでは人間だけではありません。すべての生命がONENESSというひとつのいのちなのです。いつになったら人類はそのことに気付くのでしょうか。多くの賢明な人々はそのことを「ガイア」という表現で説いてきました。しかし、現実にその生活を日常で表現している人々に出会うことは難しいです。時代は随分進んできました。そして、道理・理論のところでは立派な世界が出来たと思うのです。しかし、まだまだ今の世の中には、この世界の尊さが理解出来た上での地球人類のあり方は表現されていません。それはこれからだと思います。
 
私たちは一昨年の11月にヤマギシの皆さんと出会いました。僕は本当に見えない糸で結ばれた出会いだと思いましたし、今も思っています。しかし、ヤマギシにはヤマギシの皆さんの歩みというものがありますので、それを私たちも尊重しながら、共にありたいと願う心で当然のことを皆さんに伝えてきたつもりです。それは「私の話を聞け!私の言うとおりにしなさい」ということではありません。「共に、本来私たちが歩むべき道を進みましょう。それは私たちに出会う前からの皆さんの立村の精神ではないのですか?」ということを伝えてきたのです。ですから、皆さんのことは今でも、そしてこれからも愛しています。

今回、本が出ましたね。そんな木の花の日常を皆さんに少しお伝え出来るかなと思います。そして、そこにはヤマギシの皆さんが目指してこられた世界と同じ世界があると思うのです。私たちはそろそろその枠を超えて、もうひとつ大きな役割として共に歩んでいきたい。それはヤマギシの皆さんだけではありません。地球人類とすべての生命がその世界を実現出来るように、それを目指していきたい。それが全人幸福の道だと思うのです。今回の出版を記念して、その心をもう一度皆さんと確認出来、再び共に歩み出せることを願っています。

というわけで、たまに来てコンサートをやってさようならではなくて、ここを自分の家としていつか訪れるようになりたい。そんな想いでいます。また、たくさんの話を皆さんとしましょう。ありがとうございました。

《いさどんの挨拶へのようこからのコメント》

数日前からいさどんが、「ようこちゃん、豊里のコンサートではとびっきりの挨拶をするから」と言っていたので、私はそれを聞いてすごくドキドキしていました。今年の2月3日、節分の時に「節目」という投げかけをヤマギシをはじめ議事録やブログを読んでいる方にいさどんが投げかけたことを思い出し、「さあ、今回いさどんはどのようなメッセージを豊里や他の実顕地の皆さんに投げかけるのだろう・・・」と思っていました。

なぜそう思ったのかといったら、今まで私はいさどんと、どちらかと言うとヤマギシの皆さんへのメッセージを投げかけてきた立場なのですが、ただ私は「みんな家族で大事だよ」 と伝えたいだけでした。さきほどいさどんが皆さんに「愛しています」と言ったように、私も皆さんのことを「大好きで愛しています」と言いたいだけなのに、皆さんのことを想えば時には言いたくないことも投げかけてきて、本当はそれがすごく嫌でした。

それで今日、「いさどんはどんなことを伝えるのだろう・・・」と内心ドキドキしていた時に、いさどんが「皆さん、愛しています」と言ったのです。それを聞いて涙がぽろぽろ出てきました。「本当にもうそれしかないな」と思いました。ただそれだけを思ってずっと皆さんと接してきたのに、言いたくないことも時には言ったりして嫌だなと感じていた想いが自分の中で溶けていったようでした。

今年2012年は木の花では「結びの年」と言われています。ですから、影で何かを仕組んだり、一部の人たちとだけ情報を共有するということはもうなしにして、本当にただオープンにストレートに、私たちの中にある愛を結んでいき、同じ志のもとに結ばれた心の家族として接していけたらいいなと思っています。

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ケア研修 in 木の花ファミリー Part III

《もとやん日記》

★「ケア研修第一日目(アースファミリーへのメールより)」

木の花ファミリーでのケア研修第一日目です。春日山から、いっちゃんとゆきえちゃんと3人でやってきました。一年ぶりの懐かしい我が家へ帰ってきました。こはるちゃんが受け入れをしてくれ、ひとみちゃんが案内をしてくれました。

ちょうど昼食の始まる時でしたが、よしどんが何か語りたいものがいっぱいあるようで今の彼のこころのうちを聞かせてもらい、木の花の一人ひとりがそれぞれのステージに合った気付きをしていく段階に入ってきたと思うということを話してくれました。それは木の花だけということではなく、今回木の花にきた僕にも言えることだと思う、という話を聞かせてくれました。食事が始まったら、海ちゃんから、最近の産卵成績についての質問があり、まこっちゃん、こまねち、りょうちん、かとけん、と同じテーブルで話しました。いっちゃん、ゆきえちゃんもそれぞれに、ファミリーメンバーと語り合いながらの食事でした。

午後はいさどん、ようこちゃんと「ケアの取り組み」の講座があり、昨年ヤマギシからケアで来ていた人の実例も交えながら聞かせてもらいました。一つ印象的だったのはケアのポイントとして利害を差し挟まない、ということ。今、春日山でやろうとする時、利害を差し挟まないということは、具体的にどういうことになるかな、と思いました。

先ほど、おいしく木の花の夕食をいただき、子どもミーティング、そしてそろそろ大人会議が始まるかな・・。とにかく丸ごといただいていきます。

第1日目・2月20日(月)

先ずは懐かしい我が家と感じた。以前きたのは、昨年の1月初旬だから1年以上たっているんだけれど、そうは思えない。これまでにもちょくちょく来ている場所のように思える。

ケアの研修ということで来たのだが、仮にEDE参加で来たにせよ、「ケアの研修」として参加しようとしていた。EDEへのヤマギシからの参加者がいなかったことは僕も非常に残念だった。EDEの内容はケアに焦点をあてているのではなく、ケア対象の人が存在しない、生まれようのない社会つくりへの取り組みという内容であると思うので、範囲が広く深いものとなっていたと思う。ただし参加しなかったということは、現在のヤマギシをそのままあらわしているということだと思う。

思うことをつらつらとあらわしているといくらでも出てきそうなので、強く思ったことから書き表していきます。

大人会議「菜食のすすめ」
木の花に来ると、どこから切っても「ヤマギシへの投げかけ」になる。もちろんそのことは覚悟してきているので大いにやっていきたい。そこで一番歯がゆいのは、自分の考えが本当のところまでつながっていくように考えられないで、どこかで止まってしまって、そこで「まぁ、よし」としている不徹底さに出会うこと。「菜食のすすめ」の七項目の説明を受けて、「否」と思えるのならそこでそのように答弁すればいいのだが、こちらには「否」というものがない。認めざるを得ない、もしくは積極的に「そうだ」と思う。そうであれば、そうしたらいいこと。しかしながら実際は、自分が自分なりの玄米菜食をする程度のことでとどまっている。ヤマギシの生き方をしていながら、自分が玄米菜食をしている、という程度でとどまっている、ということは本来許されることではないように思う。なぜかというと、ヤマギシでの畜産は自分の意思が加わって行っているから。その今の自分の意思を反映させていない自分の有り様がはがゆい。「ヤマギシの食文化」というものもただ単なる食べるということからだけのものではなく「考え方のあるもの」ということで組み立てられたもの。ただ単にエネルギーを補充するということでなく、愛和館で食事をすることにより皆と共にいる実体験、いろいろな人と会話をしながらこころとこころの交流をする場。話題は食材の由来や、料理のことから始まって、今日の仕事の話や、研鑽会でのこと、日常生活のこと、特に若い独身の人や、交流で来ている人にとってはいろいろな人と話す機会として大いに使える場になる。食事の内容にしても、食生活担当のメンバーは毎日、午前午後と寄って研鑽の場を持ち、毎月各実顕地の担当者が集まって食に関する研鑽会を持っている。だから考えなしにやっている、ということはないが、一部のメンバーが「玄米菜食」そして「畜産の今後のあり方を検討したい」といった時に、「どうやったらそのことを研鑽の土俵に上げられるだろうか」、と出す前に躊躇してしまう自分がいる。

ヤマギシの問題点を自分にひきつけると、そのことが問題であると思う。じゃ出してみたらいい、ということで出してみるのだが、やはり反応が少ない(ない)。そこから自分がどうすることか。反応のあった有志と地道に毎日やり続ける。これはこころ研や、玄米菜食でやり続けてきているが、かえってセクト化してきているようでマイナス面が出てきている。特に僕自身のこころが、対立的なこころが出てくるためよけいにマイナスとなってくる。あくまでもヤマギシの村びととして共にゆく、という考えと行動でありながら、そういった新しいことを提案していく、という時に必要な要素はなんなのか。いさどんのスポークスマンになってしまうとかえって受け入れられにくくなるように予想される。先ずは自身のこころを磨く、ということに尽きる、と思うが、それを頭のレベルだけではなくて、それこそこころのレベルでつかみたい。それを今回の木の花滞在でものにしたい、と考えています。

第2日目・2月21日(火)

今日は7時前に起床。薬を飲むための朝食をいただきました。酵素玄米の卵かけご飯、味噌汁。ヤスエさんのすすめでウコンを一服。

9時からの姓名講座前に散歩をしたかったが、先ず昨日のことについて日記をつける。講座の内容はいさどんから直々に伝えられているということをもっと意識して聞こうと思い聴いていました。どうしてこんな「お釈迦様からいただいた」という話をスーッと聞けるようになってしまっている自分がちょっと不思議。しかし、もし本当だったら(いさどん シツレイします! 未だ疑っている!)、これほど有得難い話を直接拝聴できるなんてことは、後にも先にもございません。もっとよく聞かなくては、と思いました。

ヤマギシではこのように、ある特定の人が何時間も一人で話を続けるのを聞くというスタイルはない。ヤマギシでは理念について研鑽する場合は、テーマ、もしくは実践の書のような研鑽資料の一節から、一部を取り上げ、それをどう思うかを出し合うことで研鑽を行う形式が一般的。その一節がなぜ取り上げられたかを、大半のものは知らない。知っているのは研鑽部のメンバーが現状把握した上で適期のテーマを取り上げている。このような話し合いが全てではないが、理念的な研鑽会についてはほとんどそのようになっている。現状把握の段階で皆は入っていない。さらにテーマ設定の上で皆は入っていない。そういった流れで、研鑽会の外枠が決まった上での研鑽会というのは、ヤマギシの社会づくりの上でどのように影響しているのか。夕べの大人会議の「菜食のすすめ」は前日のヤスエさんの発言からさっそく翌日取り上げられた、と聞く。その対応の早さ。こまわりがきく。皆もなぜそのことが話し合われているかが、よく分かる。

お釈迦様からの話を聞いている僕の聞き方に癖がある。「本当にそうなんだろうか? そうだとは言えない事が必ずあるのではないか。仮におおよそそういう傾向があったとしても、そうだと考えるに足るものなのだろうか?」ということになると、そうは言い切れないなぁとなり、もう一つ腑に落ちるところにいかない。僕の話の聞き方はおおむねそういう傾向がある。このような話に限らず、ヤマギシの村においてもほとんどの話の聞き方がそうだ。若いころに軽くのってしまい、友人が精神病院に行ってしまうという、精神世界っぽい旅をしたことがあるからなのだろうか。

姓名講座を通して、人間を知るという機会にしたい。なぜその人はそう思うのか、そう行動するのか、人との関連がそのようになるのか。一人ひとりの人間の背景には広い世界がある、ということを知った上で、自分が思い考え行動できる人間になりたい。その上でケアの役に立ち、一人でも多くが本来の天命を全うできるようになる、手伝いができるようになればいいな、と思う。

今日の講座の終わりにいさどんが、僕らに投げかけた。「ちょっと自分の場を離れて、心の中の本当にあるものを大人会議で出すことでやっていかない?」とゆきえちゃん含め僕らに催促。「来た来た!」受けて立ちましょう。それなくしては、ケアの研修はスタートしない、と思います。これこそ、利害を差し挟まない、ということかな。先ずは楽しく、のっていこう。陽性欝にならないように。

第2日目・2月21日(火)-午後

昼食の時、まっちゃん、ひろみちゃん、くわっち、やすえどんと同じテーブルだった。まっちゃんが帰省して援農してくる話から、ヤマギシへ参画したときの実家、親・兄弟との関係がどうなったか、現在どうなっているか、という話になった。僕が参画して、その関連で実家を売却することになったことや、遺産相続についての話をした。木の花のメンバーは若いのでこれからそういったことを実際に体験していくことになるのかな、と思った。

やすえどんがひろみちゃんの向こう隣にいた。やすえどんとは話したことがなく、春日山の味噌作りメンバーからはお世話になった、と聞いていたので、どんな人か話してみたく思ってる人の一人だった。味噌作りは神事であること、ぼくが麹からどぶろくも作りたいと話したら「どぶろくとはいわずお神酒であること」、木の花の食事はすべて神饌であることを話してくれた。夕べの「玄米菜食のすすめ」にも繋がった話を聞かせてもらった。春日山の郁代さんから、麹のことで問い合わせが来ているとの事で、単に麹に原因を求めずに、こころのほうに何か原因がないか調べてみてはどうだろうか、という返信をしようと思っている、とのことで、味噌作りにも全てのことにも、一環したもので木の花のみんなは日々を送っているんだな、と再確認しました。

お昼についつい話し込んでしまって、お昼寝を忘れてしまいます。
午後は「ファシリテーション講座」。みちよちゃんからこころ研へのプレゼントとして受け取りました。ファシリテーターが、話し合いをもっとも効果的に一人ひとりからの思いを引き出すガイドとしての要所要所でのポイントを実例を聞かせてもらいながら伝えてもらいました。後半は、ヤマギシの特講にも参加し、特講通訳の経験もあり、村での仲良し研鑽会への参加の経験を踏まえ、彼女が思うところのヤマギシの話し合いにおける急所について、実例で話してくれたことが良かった。みちよちゃんのことだからもちろん、「歯に衣を着せぬ」お話でした。時間があれば、世界のエコビレッジを見て思うところを聞かせてもらう時間もリクエストしました。

そしてビッグプレゼントは、今晩から大人会議のファシリテーターをやらせてもらうことになりました。今晩から3人で6夜連続。その後に心配になったのは、ファシリをやってもらいます、とはいうものの、その後の連絡は自分からしたほうがいいものか、待っていたらいいものか。いつどこに行って、誰に何を話したらいいのか、前もって何かしておかなくていいのか、ジワーッと不安になってきましたが、もう流れに任せるしかないか、の心境。

風呂で会った、(ツクツク?)君はなんと、18年前にヤマギシにしょっちゅう来ていた青年でした。たっちゃんと一緒にハレハレソングを合唱。

7時半からヘルパーで来ていた、朝日君の面談に同席させてもらいました。午前の姓名講座のすぐ後に、実際のカルマ読みを見せてもらいました。底に流れているのは人間への愛情の感じました。

大人会議に遅れて参加。さのっちの出張報告をしていました。サブファシリのひろっちがすすめてくれていました。ひろっちはさっそうとしていてなかなかきまっている!頼りになりそうだ。ところで、大人会議会場に入ったら、やすえどんが「お神酒を用意してあるよ」とお昼の僕の気持ちをお見通しでした。

★「ケア研修3日目朝(アースファミリーへのメールより)」

昨日2日目の研修プログラムに、「ファシリテーション講座」が加えられました。これはみちよちゃんからのプレゼントです。僕が春日山のこころ研でやってきて、こころ磨きの内容となるような研鑽会にしたいものの、どうもそうなっていかないところを今回の研修でヒントをつかみたい、と話していたことを受けてくれたのです。EDEプログラムの資料を使い、さらに彼女が参加したヤマギシの研鑽会の内容で感じたことなどを話してくれました。世界のエコビレッジを訪ね、そこでどんな話し合いがされているか、その実態を見てきた人にヤマギシの話し合いがどんなふうに映っているのか、を聞かせてもらえたと思います。

そしてビッグ・プレゼント。「今晩から、大人会議のファシリやってみましょう!」というわけで、夕べはもとやん、今晩ゆきえちゃん、明日はいっちゃんがファシリをやらせてもらいます。(滞在期間中毎晩です!)是非議事録でそこのところを読み取ってください。

ちなみに昨日の感想は、「いさどんはじめ、ファミリーメンバーのコメントの背景には、本当にその人と人との近さ、愛があっての言葉だな」と感じました。その近さを生み出しているものを、探りたいと思いました。

さてそろそろ9時からは「姓名講座第二回」が始まります。

★「ケア研修3日目を終えて(アースファミリーへのメールより)」

研修は基本的に午前2時間くらい、午後2時間ちょっとくらいのプログラムで、初めの予想は「ちょっと空いているから、合間に散歩にでも行こうかな」と思いきや、なんのなんの。

プログラムでは いさどん、ドンドン話します。もちろん時間いっぱい、というか超過。

食事もファミリーメンバーと熱く弁を交わし、昼寝もしないままに、午後に突入。

今日は収穫隊で受け入れてもらいました。(ヤマギシで言うと、蔬菜部または野菜出荷場カナ)出島の種芋用意。たっちゃん、きょうこちゃん、つくつくが受け入れてくれました。一個のジャガイモを一切れ35g以上になるよう、そして芽を二つ以上入れるようにカットする。この芽を良く見ることができず、もとやん、いっちゃんは菊芋の選別班へ移動。

あきちゃん、みっちゃん、くわっちが受け入れてくれました。あきちゃんが菊芋の効用等詳しく説明をしてくれ、話は夕べの大人会議のファシリについて、ちいちゃんのシェアをどのようにみんなの学びにしていくか、という流れになり、あきちゃん、熱く語ってくれました。いっちゃんはどうも職業柄からか、作業を的確に行うことのほうに気が行ってました。僕はあきちゃんの熱弁に聞き入ってました。春日山に来てくれた時を思い出しました。

夕方、風呂と夕食を終えて、僕らだけ早めにひまわりホールから出て、面談会場へ。今夜はカトケン。最近の彼の直面している心の状態を姓名講座と地球暦から見事に紐解いていく。カトケンは3日後、正ファミリーメンバー宣言を控えているタイムリーな面談となった。

そして、いよいよ大人会議へ。今夜のファシリはゆきえちゃんとかずこちゃん。ゆきえちゃんなかなか落ち着いたファシリぶりでした。HIROッチ&こはるちゃん劇場です。(内容は議事録を参照ください。) おやすみなさい。

★「ケア研修4日目(アースファミリーへのメールより)」

中日 4日目の大人会議があと30分ほどで始まります。その合間をぬってのメールです。

今日は午前が姓名講座第3回、午後は第4回でした。講師はいさどん、みかちゃん他にようこちゃんと僕たち3名です。今日から、カルマ読みに加え、己よみが加わります。己よみは地球暦から読み取った、その人の天命です。カルマについてと天命についての説明と内容については説明を要しますが ここではなんとなくわかっておいてください。1回目2回目の講座のまとめと、姓名講座からみた個人のカルマが、人間関係の中でどのようにその人と周りの人に実際的な効果・影響を与えられたり与えたりしているか。それを読み取り、そのことから今の自分の状態に至っているかを客観的に捉え、それをどう自覚して人と共にやっていくのか、ということに上手にツールとして使いこなすことが目的です。ということで実践編ということで、自分たちの家計図を使ってやってみました。地球暦から読み取る天命も加えると本当に自分が浮かび上がってきます。おとといのヘルパーのK君、夕べのカトケン、今日の僕たち。どうして、名前のことと、誕生の時の太陽系の惑星配置が個人の人生のスタートにこれだけ関わるのか不思議と言えば不思議なのですが、ぴったりと言い得ていることは否定できません。

今日の大きな発見の一つに、僕の天命として、「もとやんはヤマギシに引かれて参画したのではなく、何かもとやんの方に必要性があって、それをヤマギシに見出したんじゃないの」ということでした。「ヤマギシに参画以来、ずっとなんとなくこころの奥にあったものがすっきりしたような気がしました。」この4日間、研修内容が受け入れキャパを超え溢れ出しっぱなしの3人のために、午前は少し早めに終了してその時間としたのでしたが、3人はみかちゃんと昼食まで話し込んでしまいました。

夕方は、昨日の大人会議でいさどんが言ってくれた新築のコンポストトイレ、明日から建設開始の宮下の古田邸(ヘリオセンター)の参観をしました。ヘリオセンターは今年後半木の花を訪れる人たちに活用されていくのかなと思いました。コンポストトイレは「ここで用を足したら気持ちいいだろうなっ!」という、扉を開けたら真正面に富士山を仰ぐことのできるお便所でした。

夕食はおでん。隣にしんぺい君がすわり、ヤマギシでのケアについて話しているうちに、みかちゃんが来て、道代ちゃんが来てだんだん話が盛り上がり、隣ではいっちゃんが和子ちゃんと話しています。みかちゃんがいさどんから聞いた話として、「ケアで大事な3つのこととして、正しい生活と、食事。そしてこころに思うことを出す場所がある」。先ずは、このことを踏まえてやり始めたいなと思いました。

今日の大人会議のファシリはいっちゃん。サブはさのっちです。今晩も楽しみです。

第五日目・2月24日(金)

午前は「コミュニティ創設講座」講師はみちよちゃんといさどん。サブタイトルは軋轢の乗り切り方、コミュニケーション。今回ケアの研修ということで来ているその背景には、春日山で毎日行われているこころ研の存在は直接・間接的に関連がある。その研鑽会が内容的に求めている、自身の振り返り、自己研鑽、木の花でいうところの心磨き。その進め方、その内容の面で一つの局面に来ていた。現象的にはこの4~5ヶ月前から自身を振り返った内容を皆にはなしたところからの、気付き・深まり・共有について不満足な感じが否めなかった。その点は、毎日のように出席していたメンバーにほぼ共通のことであった。しかも、そのことに関してのやり取りで感情的なものが混じって、佳子ちゃん他一部の人の参加がみられなくなってしまっていた。まさに「コミュニティにおける軋轢」だった。そのことへの糸口をつかみたい、それが今回の訪問への目的の一つでもあった。そういったことの把握、広くは現状のヤマギシの体質を考え合わせたところでの研修内容設定をしてもらったと思いました。

講義の詳しい内容は後に譲るとして、ケアであっても、コミュニティ創設であっても、仕組みや方法、技術的なことを整えることが第一義ではなく、そこに暮らす人が心身共に健康に暮らすことのできる環境・場がなんの裏づけをもって成り立つのかということが大事。それはそこを構成する人が、互いを思い合い、互いを人生における自分磨きの鏡であるということの認識、そのことから生まれる愛。さらには人間だけでなく、起こりくるすべてのことが、善きことのためにある、学習の機会としてとらえることのできる人生観、世界観、宇宙観に目覚めること。そのための、意見の食い違う人、感情的になること、失敗や苦労、問題事、さらに不幸と感じられる事柄。そういったことに気づいたとき、ケア対象の人は自身のための気付きのために存在してくれる人。けっして早く片付いて健康になってしまったらいい問題児ではなくなる。宝物となる。問題事もすべてそのような出来事として見えるようになる。そのことに気づいたとき、コミュニティは創設される。

今日の大人会議ではいっちゃんが、こころ研でのあからさまな事態を踏まえてシェアしました。僕はそれを聞いてうれしく思うと同時にそのことについては自分のシェアと重なることもあり、この機会をスタートとして、本当にその事柄が自分たち春日山のこころ研になにを齎すために起きた事象なのか、解決を急がずに味わっていこうと思いました。

報告・補足
・今日は2月の誕生会。ケア研修3名に加え、ミッチー、ツクツクの5名で「陽のあたる道」「村に抱かれて」を歌いました。ケーキうまかった。
・にわとり小学校、久しぶりに行きました。産卵があがるといいな。
・収穫隊と食べたおやつ、美味しかった。にんじん、菊芋の生スライス
・大人会議、リンやらせてもらいました。間が大事
・明日はワンワンサーカス 大人会議後の片付け早かったです。
・大人会議 またまたヤマギシへの大きな愛を感じてしまいました。
「ヤマギシのために使わせてもらった」と僕が言ったら、まこっちゃんがすかさず「みん    なに使ってもらったらいいんだよ」と言ってくれた。イッポン!!

第六日目・2月25日(土)

朝は寝坊。夕べは日記で遅くなり2時半でした。でも書記のメンバーは未だ起きているかな、と思いきや、ひまわりホールは電気が消えていた。周りをよく見ると事務所がまだ明るい?ノックし入るとなかのんが経理をまだやってました。「3時には終わろうと思っている」と。

午前は本宅へ作業体験「干し芋用の皮むき」和子ちゃんからさっそく蒸かした芋をいただきました。「うまい!」和子ちゃんは、いさどんのお話の録音を聞きながら芋を蒸かしていました。和子ちゃん自身が若いころケアの必要のあった人。木の花という社会が、人を正常化してしまう、そんなモデル第一号の人です。そういった内容を本人が話してくれないとまったくそのようなことを感じさせません。薪の火を炊きながら、木の花創生のころの話を聞かせてくれました。

10時半から「ワンワン大サーカス」正直な感想「木の花ってところは、いろんなことすんなぁ~???」

食事の後は、ウェルカム・コンサート。今回の訪問で初めて「welcome to 木の花ファミリー」を聞いて懐かしく、「この星の上で」を聞いて感動しました。「起こり来ることのすべては 善きことのためにあると」ケアについても、村づくりにおける問題ごとと思えることもそのように、こころから思える、今回の研修になってきています。

この時点で僕は寝不足がたたってグロッキー気味。午後の開始を遅らせてもらいました。

「ケア・座談会」いさおちゃん、まこっちゃん、ゆかりちゃんの実例を聞かせてもらい、後半は春日山にいるケア対象者に関することと、ケアやケア対象者の捉えかたや、ケアの人が生まれてこない社会づくりについて、自分は今後どうしていくか。僕についてはプレゼントをいただきました。

夜の大人会議
かとけん正式メンバー宣言なるか??木の花では人をどのように見て育てようとしているのか、一つの事例をまた見せてもらいました。新刊出版に関連して、メンバー全員が本を読み終えた時点で感想発表会をしよう、という提案。このように新しい本が出版されたことをファミリー全員が喜んで、みなで読んで、その感想を出し合い、それを映像にも撮って映画にしよう、と幾重にも欲の深い人たちです。夕べの議事録に反応したFAXがよしこちゃんから送られて読み上げられました。僕といっちゃんがコメントを足しました。修了後、あきちゃんから「菊芋の効用」の冊子をいただきました。おみやげにもいただいて帰ります。(ほしい人がいたら連絡ください)さて、明日は最後の大人会議になります。3人の滞在報告がシェアされます。ご期待!!

PS:この滞在日記について、タイの裕子さんや、春美さんからコメントが入っています。
他にもありましたら、是非滞在中に返信してもらえるとうれしいのでよろしく!!

第七日目・2月26日(日)- 振り返り

「ケア研修 7日間をやってみて今思うこと」

日常から離れ、しかも木の花ファミリーの地で愛に包まれた毎日の中で、この清清しい空気の中で、いさどんを目の当たりにしながら、みちよちゃんの凝縮したEDEプログラム、みかちゃんのちょっと不思議な超越的地球暦講座、そしていつも横には肉体をもったようこちゃんが座って適宜にコメントを入れてくれる。そして一日24時間中ファミリーのみんなと接する贅沢な日々でした。

あったかい湯たんぽ、きれいなトイレ、風呂、洗濯物、毎日食べるおいしいおやつ、玄米コーヒー、何度も移動する雛人形、なかなかくっついては離れない子どもたち、収穫隊と食べるニンジンや菊芋の生スライス、良く見えなかった出島の芽、これから卵を産んでくるはずのもみじ。すれ違うたびにニコッと声をかけてくれるみんな、ちょっと飲みすぎたお神酒、心を込める味噌玉「おいしくなぁれ!」の掛け声。なんとなく楽しく過ぎていくゆったりとした時間。毎日のこころのこもった食事。見るからに楽しくかわいらしい、おいしい玄米菜食。

そして、一日の最後は全員参加の大人会議。縦横無尽、こんなのもあるか、と思ったらあんなのもある、エーっそこまで言うか。何を言っても、バッサリ切られても、潔くみんなのために、自分の学びを惜しまず見ていただく、言っていただく、考えていただく。腹の中にあるちょっと変な気持ち悪い心が、今日の何かの出来事であぶり出されてきた。それを正直に言える場、聞いてもらえる場があるということ。皆のコメント、皆から見える風景を素直にストンと腹に落とす。落ちなくても、みんなが落ちるまで、最後まで見ている。今日だけじゃなく、魂の兄弟たちはずーっと見てきたし、これからもお互いに見ていく。

特別な何かがなくても、そんな生き方、暮らしで、ケアの必要な人はケアになり、ケアの人と共に暮らす人は学びになってゆく。研修の結論を言ってしまえば、「そういう環境」さえあればよい。その環境の一部分に自分がいる。自分が一人分、そういう人になるということ。

PS:
ケアと言った場合、たとえばスー君、マッキー、あきこちゃんを見た時に自分がどう受け止めているか。「スー君、またあんなことを言い出して、しょうがないなぁ」その原因をその個人の中だけに求めてしまう。肝臓が調子悪い時に、肝臓を叱り付けるのではなく、そうなった原因が肝臓以外にあると考えます。ヤマギシではイズムを養鶏に織り込んでいる、と言われ、卵を産卵箱に産まない鶏がいる時、「この鶏しょうがないなぁ」ということではなく、鶏が安心して卵を産める産卵箱を用意しよう、と考える。今のスー君を見た時に、どれだけの広い世界観、宇宙観に立って、彼の現象を見ることができるだろうか。その現象、問題と呼ばれるもの自体をどのように捉えているか。困ったこと、迷惑なこと、直るものなら早く直ってしまってほしいこと、できれば起こらないでくれたらよかったこと、不幸の一つ。それとも、今暮らす社会の敏感なセンサー、非常事態発生時のサイン、さらに社会のありかた、人のありかた、自分のありかた、本人自身のありかたをステップアップさせてくれるためのプレゼントと見る世界観。若い人のケアが優先するということでもない。年配の人のケアにはそれだけの、もっと大きな深い気付きの種が含まれている。ケア対象の人が自分にとって宝物に見えるかどうか。

このことは、このパソコンのキーを叩きながらで分かることではない、実践を伴いながらやらせてもらいながら一つずつ気がついていくのかな、と思っている。そのことが、姓名講座、地球暦で読み取ってもらった、「地球にスイッチを入れる」ということなのだろうと思えた。内惑星、金星、地球、火星にスイッチがはいっていない僕。水星と天王星が150°で絡んでいる。つまり、ウ~ンと「思考、知性、直感、情報、伝達、素早さの水星に新しい風、改革、新技術、科学、友愛、平等の天王星が努力、試行錯誤、客観性の150°で絡んでいる。」つまり、「新しい風を吹き込むための情報伝達は早いが、試行錯誤が多く精度が悪い」。金星、地球、火星にスイッチがはいっていないということは、金星の愛がない(一人よがりの愛)、火星の実際行動、挑戦、情熱が足りない、なにより、地球。自分の日常に落としていない、カァ~??なんか悔しいけど、納得できてしまう。そのような自分の天命を知り、落ち込まなかった。そういう役割を自分がかってでた、ということ。そこに気づいたところからの学びを楽しみにしつつ、生きていく。

ここまで来ると、こころ研におけるいろんな現象は、何かを学ぶための必要な出来事であったと見えてきた。決して起こらないでほしい、というようなことではなくて、そこにどんな宝物がかくされているのか、その糸口に見えてきた。簡単になくならないでほしい。いっちゃん、よしこちゃん、そしてうらさん、せのおさん、くまおさん、みさおさん、みつこさん、きぬよさん、すぐる君、杉さん、春美さん、そして春日山のみんな、一緒にやろうね。

昨年からのいさどんの投げかけも、そういった広い世界観に立つと、なんのことはない、今ここに在るヤマギシはその役割をかって出て あるもの。互いに成り立ちのまったく異なるコミュニティ。外から見たらこんな風に見えますよ、と言ってくれている。早く、そのことに理解を示し、若い18歳の「木の花ファミリー」という娘から、「お父さん、ダメじゃないのぉー」と言われながらなんとなく嬉しい、シャイな50代のオヤジ・コミュニティとして存在したいな、と夢見ています。

一つ気になった、24日の大人会議でいさどんの言葉「三人が来てくれて感じるのはかわいそうだなと思う。根には本当に尊い普通の人には出来ない生き方をしている。いっちゃんは60過ぎてるよね。村には80の人もいる。みんな死んでいく。そのときに、あぁ私たちはほんとうに大切な事に気付いたねと言って旅立っていけたらと思います。・・・」このことは真摯に受け止めたいと思う。姓名講座や地球暦というツールを使いこなすと共に、ISADONNを早く使いこなせる人となって、フルに活かしていかないともったいないと思ってます。あまり思惑を強く持つことなく、日々起こり来る我執をありがたくいただき、善きことの糧として気づいていく生き方を始めようと思いました。

では、アースファミリーのみんな、ちょっと行ってきますね。

★「ケア研修第8日目(アースファミリーへのメールより)」

もとやん、いっちゃん、ゆきえちゃんです。

午前中はEDEプログラムからエコビレッジについて。日本にあるいろいろな形態のEV。そして世界のEV。世界のEVを精力的に訪れているみちよちゃんから見た、今のヤマギシと共通するテーマをもったEVを客観的に見せてもらうことから伝えてもらいました。

後半はこの研修の振り返り。

そして今、熱いお見送りを受けて木の花ファミリーにしばしの別れを告げて出発しました。車中のおやつはじめ、木の花の子どもたちが作ってくれたおみやげのクッキーなどなど、食べられるおみやげ、そしてそれ以上の無形のお土産をいただいて春日山へ向かいます。

今晩は八時から受け入れ研をしてくれるとのことなので、おいしいお土産を食べながらやりましょう。

(注:第5日目、第6日目、第7日目の日記もアースファミリー上でシェアされました。)
(「アースファミリー」とは、ヤマギシと木の花メンバーが登録しているメーリングリストです。)

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ケア研修 in 木の花ファミリー Part II

《いっちゃん日記》

2月22日(水)

このところ、何か湧きあがるものがなくて、心を語るという事がとみに難しくなっているように感じていました。木の花に来て、そこに身を置いて、自分が何を感じ、又自分の中から何が湧いてくるだろう、とそれを楽しみにして来ました。少しは、何も湧いてこなかったらどうしよう・・・などとマイナスの発想をしたりもしました。

ここへ来てまず感じたのは、この空気感です。ヤマギシの村では多少一歩ひいてまわりの景色をみている自分が、何の警戒心も持たずに初対面の人にも心を開いている。ちょっと不思議な感じです。参画して初めてヤマギシに暮らすようになった時でも、自分のそこに立つという意識や姿勢で心は開いていたとしても、もっともっと緊張はしていたように思います。見られている?

なお君を毎日見ていて思います。こののびやかさ、はつらつさは何だ?春日山で、愛和館などでみていたなお君がこの短い間にこんな風になっている。変身~という感じかな。

今日は午後、菊いものそうじをしました。あきちゃん、みっちゃん、くわっちに受け入れてもらって、みっちゃんが職場での話をしてくれました。とても初歩的な事なんだけど、みたいな事を云って・・・。それをあきちゃんがフォローして、いっぱい心の話をしてくれました。話の内容は、自分から見て相手が不愉快そうに見えても相手に飛びこんでいくというもので、私の最も苦手とする事でした。私はごく親しい人以外には自分の心を語るのもちょっと嫌になっているし、勇気がないなと日頃思っても、それを行動に移そうとしていません。そしてそんな自分を許して甘やかしてきたのかな?

今日、私からみれば、いきなりみっちゃんがその話をしてくれた事が心に残りました。まぁ何というおはからい。背のびして心にもない事を云ってしまったりしないように、今日正直にあるということはどういうことなのだろうか?今日私は私の内面をそこでいっぱい語ったわけでもないのに、みっちゃんとあきちゃんがしている話が私の心の中のことを云っているように感じ、尚且つそれを受け入れてもらっているような気持になりました。私が自分の短所と思っているような類のことが明るく開放的に話されていたせいかもしれません。

全く人に矢印がむかないんだなぁ。そこから生まれる空気とでもいうのでしょうか。味わっています。

~木の花の空気をおもいっきり味わい、楽しんでいって下さい。(BYいさどん)~

2月23日(木)

昨夜のよしこちゃんのメール(下記参照)で非常に不愉快な気持ちになり、相手に悪意を感じて、自分のシャッターがジャーと降りた感じでねたのでよく眠れなかった。

朝起きてみると、もとやんから朝3人で寄りませんか、とのメッセージがスリッパに。何か心使いを感じたが、そういう気持は表にあらわさないで30分程話した。スケジュールについてもっと意見を出し合おうという話だったが、余り気が乗らなくて適当に話した。

今日のAMは姓名講座+地球暦で非常に面白かった。私の場合は内惑星、地・火・金にスイッチが入っていなかった。金星は愛、喜び、豊かさ、美、五感、芸術などの女性性。火星は行動、挑戦などの男性性。地球は肉体、現実化、生命活動、経験を表わしていて、それが作動していない状態。何かあとまわしにしてきた事がここにでているみたい。杉さんが私の誕生日の暦を出してくれて、自分でみていた時は地―水―木―冥が一直線に並んでいて、これは何かあるぞとちょっと色めきたったのだけれど、60才になって一周して、これからは自分の内面をみていくときですね、のようなことを云われた時はあっそうかというよりも、何か正直ガッカリしました。私は何かもっと他のところで一役あるのかなと思ってたんだなーと思って、何~んだという感じでした。自分の内面をみていったりするというのはとても苦手で、そういうところはやってこなかったという自信のなさがあって、指摘されたとまではいかないけど痛いところでした。今までやってきた事が事実上殆ど全て一段落したところで(親のこと、子供のこと、夫の病気のこと、仕事のことetc)、さーこれからもっと本当にやりたい事をやるぞ!と思っていたこの頃だったので、今年のはじめからどうぞ何かひと役を下さいと天にお願いしていたのがこれだったのかなと今思っています。心を磨いていくことが世のため人のためになるという世界ですよね。今は実践していないから実感ないけど、実践することで落としていきます。

※よしこちゃんのメールの抜粋です。
こころ研の中で、いっちゃんが「初めっから佳子ちゃんのことは気に食わなかった・・・」から始まって、あからさまに感情をあびせてくる場面がありました。私は聴けない自分を実感しながらも、極力「聴こう」として座っていたけれど、同じようなことが3~4回あって、たまらなくなって退座するということがありました。こころ研は私にとっては命綱のように大切なものだったから、それでも時々参加していましたが、そのうちに その何回かの場面がトラウマになっていて、ふとした時にパニックを起こすようになってしまい、無理をしないで少し離れたほうがいいと思いました。

追伸
おととい、絹代さんがいっちゃんのことで私に話しかけてきて、「今は思い出したくないからその話はしないでほしい」という想いでいっぱいになり、それを絹代さんに言おうとした時に「今のこの心の乱れは何だろう、あの時(いっちゃんの場面)の心の乱れと一緒だ。」と思いました。それから日常のいろいろな場面で心が揺らぐ、乱れる自分が自覚されてきました。そしたら、問題はいっちゃんのあの場面ではなく、私の心の乱れだと、この乱れを何とかしたいと焦点が合ってきました。トラウマから抜けられそうです。「愛をもって景色として伝える。善意としてうけとる。」練習が要ります。

2月24日(金)

コミュニティ創設講座
ようするに自分がどういう場をつくりたいかだなと思った。昨日の自分の怒りがこの場で解消していくプロセスにヒントを感じた。正直、素直を出そうと思ったら、そうなっていくところ、受け取っていく場がないと正直は難しい?いくら、よし、正直を出してやっていこうと思っても、他のことに足をとられそう。その場をつくっている1人1人(自分)がそういう自覚に立っているかどうか。エネルギーを奪い合う関係でなく、エネルギーを与え合う(もらい合う)場をつくっていくこと。自分の我にとらわれていて、そういう事が見えなくなっている自分たちに気付かせてもらったような気がします。自分を知って、問題事や周りから学んで、自分を正していくことでそういう場を創っていく。自分の周りをどういう場にしたいかと考えて、もっと愛のある楽しい所にしていきたいよね、ということでは本当は皆異存はないはずです。相手が批判されていると受け取るとしたら、又自分の心の中をふり返って、何かそう思わせるものが自分の中にないか、しらべていくことかもしれません。あとは神様におまかせですね。

■ 大人ミーティングの心のシェアより・今思っていること(いっちゃん)■
毎日、ここで過ごさせてもらっているが、一番入ってきたのは場の力。そういうものを感じる。正直・素直・信じる。正直を出そうと思っても跳ね返ってくる場なら勇気がいるが、それを吸い取っていくような、みんなが正直になっていくような、ここにはそんな場のエネルギーがあるんだなと思った。よしこちゃんのメールが読まれた時に、怒りの気持ちが湧いてシャッターが下りた。せっかく開きかけたのに。でもここで過ごしていくうちに怒りが消えていった。私が怒りを手放したというよりもこの場にそうしてもらった感じ。実顕地の環境はどうだとか、自分を棚上げして他のもののせいにしていて、うすうす気付いているがそこに立っていない。今日のコミュニティー創設講座の中でいろんなことをやったが、全部を通して感じた事は、私がどういう場を創りたいのか、どうしたら私がわくわくするのかとか、分かってるんだけど、と言いながら感情にフォーカスして。。。そういうことをやってきたなと思った。よしこちゃんはその時どうだったんだろうとか、書記の人はどうだろう?とか、そういう風に気持ちが向いた時に、心が豊かになるというか。自分の中で楽しんでいこう、みんなが楽しく明るく、ということのために自分が楽しむ、ということかなと直感的に感じた。自分がそうなっていくのは、ここだから、という感じもするが、久しぶりに味わわせてもらった。今日は何も考えずに出してみた。(涙ぐみながら)今思うのが、そんなよしこちゃんの気持ちに思い至らなくて本当に申し訳なかったなと思います。ありがとうございました。

ようこちゃん: よしこちゃんからFAXが届いています。流れなので読みます。

「春日山からもとやん、いっちゃん、ゆきえちゃんがいっていると言うことで大人会議の空気が伝わってくる感じです。一番に伝わって来るのはやっぱり愛だなー。どこを切っても愛が溢れている!と感じています。昨夜の大人会議でのいっちゃんの発言に『心磨きをもっとやっていきたい』というのがあって、物凄く嬉しいです。私の次々と頂く滞りをチェックして自分を改めていきます。(昨日も大きな出来事を頂きました)そういう出来事を引き起こす自分がいるっていうことよねー。心磨きの同志としてよろしくね!」

いさどん: 先日のEDEの一ヶ月間のプログラムのときに感じなかったものを今回の一週間、ヤマギシの三人が来る事で感じている。それは僕の中に、やっぱり何かこの人達に対して強い親近感がある。執着ではないと思うが、近しいのかな?ある意味、身内意識のようなものです。僕の中に苛立ちとは言えないが、空しさ、でもあきらめない、なんとも言えないものがありながら、自分のベースは“常に流れを頂いていく事”ということは忘れていません。そんな根底にある感情を通して三人と話をさせてもらうのですが、それは三人にというよりも、ヤマギシに流れる空気を感じる。特に春日山の空気。表面上何でもないような顔ですごしているのでしょうが、実はドロドロとした企みや根回しのような裏工作がはびこっているのです。僕は決して身内意識を感じるヤマギシに対して批判や否定をしているということではありません。それは、本当に健康になってほしい。僕もこのような出会いを一緒に喜び合いたい一心です。今日もコミュ二ティー創設講座をみちよちゃんとやらせてもらいましたが、いつも大人会議が終わって車で本宅に帰るとき、その車の中で今日一日のMTGの余韻を確認するように、「いいところに生きているね、いい人生だね、本当に出会えて良かったね」と言い合って帰ることがあります。具体的に何とは言えませんが、溢れんばかりの愛があると思います。嘘、駆け引き、執着がない。それを一番大切にしているからこそ出来ているのだと思います。三人が来てくれて感じるのは、かわいそうだなと思います。根には本当に尊い普通の人には出来ない生き方をしている。いっちゃんは60歳を過ぎているよね。村には80歳をこえた人もいる。みんないずれ死んでいく。そのときに、「あぁ、私たちは本当に大切な事に気付いたね」と言って旅立っていけたらと思います。みんながそんな旅立ちができたらと思います。さのっちに厳しいことをよく伝えるのは、そんなことで得するの?ということです。それは自分の値打ちを下げるだけ。ヤマギシの人達も分かっていながら目が覚めていない人が多い。この一週間はケア研修。姓名講座もやったし、ファシリ講座、コミュ二ティー創設講座もやりました。これはケアのプログラムではなく、己を知る。己を知って健康に生きるコツを学ぶということ。それを知るとだれでもケアのサポートができる。それは治すのではありません。健康になるコツを伝えるだけ。学ぼうとする姿勢が、相手の持っている問題事を活かすのです。活かさないと問題事のままであり続ける。活かしさえすればありがとうという言葉になって、問題事は去っていく仕組みになっている。これはこの世界の法則。それを伝えるための生活をしていると思います。裏表のない、駆け引きのない、そういった社会をつくることがヤマギシを健全にしてケア対象者を発生させない。そうしたら外の人を受け入れてケアが提案できるようになる。そういった場作りのための講座になっていると思います。この三人とは本当に気心がしれて、出会えてよかったと思っています。この三人はいいリーダーになっていくと思います。ただ、三人が帰っていく場所を思うと、村には三人の想いをまっすぐに受け取る心があるかというと、その心が育ってない。その場が創られていない。だからこそ、少しくらいの逆風にめげない心をもって帰ってほしい。信念をもっていれば流れは必ず自分の方に向いてきます。そこで信じられないと飲み込まれてしまう。これをここではさのっち現象と呼びます。僕のこういう思いを引き出してくれていて、ある意味執着しちゃいけないよ、愛を忘れないように。それをさのっちやヤマギシという団体は、修行として僕に鍛える機会をくれていると思っています。この間豊里に行ったときに、交流会に春日から参加したよしこちゃんといっちゃんが内輪もめをしていたが、縁が深いんだよね。近いからこそ起こるいがみ合いがなぜ起こるのかを感じる事ができれば、先に感じた方が相手にベクトルを向けるのではなく、自分を正していけばいい。「損して得とれ」、とか「負けるが勝ち」とか、そんな受け取り方をしてもらえたら、いい場をつくっていく人になれると思います。

もとやん: 僕たち三人だけでなく、ヤマギシのみんなに広く投げかけをしてくれている。いっちゃんと僕はこころ研をすすめているメンバー。よしこちゃんといっちゃんの間のことには僕も深く関わっている。その中で、コミュ二ティー創設講座のサブタイトルは「軋轢の乗り越え方」ということでぴったりだった。その観点でみちよちゃんが実技も織り込んでやってくれた。「いっちゃん、今日はシェアするよね?」と確認してくれたり。いっちゃんがこういう内容でシェアしてくれたのはとても嬉しかった。これを機に実際の現場でどう糧としていくか、いただいていこうと思いました。

2月25日(土)

干しいも皮むき、ケア座談会
朝本宅についた時、小屋の方からきこえる話し声が最初はラジオを聞き乍ら何かやっているんだナと思っていたら、それはいさどんの面談のCDで、それを聞き乍ら和子ちゃんがいもをふかしていた。すごく勉強になるといっていて、本当に公私がないんだなと思いました。普段の自分の暮らしぶりは部屋へ帰ったら私の時間、村で暮らすからには何かひと役自分のやれる事で参加しますが、余り干渉しないでネ。こうした方がよいのではという事には同意できるものであれば協力しますというとてもクールなもので、気の合う人とは一緒にやるが、そうでない人とは余りつき合いたくないというのが本音で、無理はしたくないと思っていました。私も最初からそうだったわけではありませんが・・・。和子ちゃんはいつも自然体で接しやすい人だなと思っていたけど、こうやっていつも学ぶ姿勢でいるんだなと思い、頭が下がりました。

座談会では3人の体験談をきかせてもらい、ますます木の花ファミリー力のすごさを感じました。

帰ってからの事が時々頭をよぎりますが、木の花の呼びかけに無反応を装う人の心の中にも呼びかけていくような自分でありたいと思いました。愛が足りないのよネ。私も、又他のヤマギシのみんなも。よりどんにも愛を。私は全く今までそんな風には思っていなかったので・・・。実際にはそんな大した事は出来ないと思うけど、次に木の花に人を送りだすことは必ずやらせてもらいます。それが世のため人のためにつながる、今私がやれることだと思うから。

~これからが楽しみです。頑張らないで流れのままに、いただいていきましょう。
これからもヨロシク。(BYいさどん)~

■ 大人ミーティングより・よしこちゃんFAX■
木の花ファミリーの皆さんへ
昨日の議事録読みました。自分たちでは、どうにも手がつけられなかった問題事が木の花の愛の力で解けてしまったー。愛の力はすごいなーと体験させてもらいました。いっちゃんのシェアを読んで私も涙ぐみました。と、同時に、以前から感じていた、いっちゃんの“本当をやりたい”という情熱と、ものを観る力をおもい、いっちゃんの能力が活かされるように私はいたいな、と思いました。
“魂にふさわしい行動をすべきだと思う”というのをみて、どこかで、ふさわしくない行動をしている私に、いっちゃんの反応が現れたのかもしれない、と振り返っています。“いいところに来ているね、いい人生だね、本当に出会えてよかったねといいあって・・・”そういうお互いになりたいな、そこを目指していこうね。こころ研が、春日山が、愛あふれる場に、なっていくように、私もひと役やらせてくださいね。心を全開にして待ってまーーす!!            春日山 よしこ

もとやん: 僕は今回の木の花訪問の中で、春日山のこころ研のことが絶えず頭にあった。こころ研の仲間のいっちゃんと一緒なのも何かの縁だと思う。うれしかったのは、MTGの前にハグをしようと言ってくれて、熱い抱擁を交わしました(笑)。非常にうれしくて、これからのヤマギシを象徴するような出来事だったと思っています。
ゆきえちゃん: FAXを受けていっちゃん何かありますか?
いっちゃん: うれしいなという気持ちがあるけど、そんなに私は変わっていないけどなという気持ちもある。一緒にこういうところにしたいなというのを描いてワクワクする仲間を増やしたいと思っていたので、よしこちゃんのメールうれしかったです。もとやんとも毎日ハグします(笑)。

「ケア研修をやってみて」

今日迄一週間やらせてもらって大変盛り沢山の内容で、とても消化、吸収が追いついていませんが、今現在、思い考えている事を今日振り返る時間をもらい、整理してみました。

まず自分を知るということで、姓名講座や地球暦の講座を通して今迄何となく思っていた事が、あーこういうところから来ていたのかと腑に落ちたり、又、そういった情報をどう受け取って活用していくかというところについて、都合のよい、表面的、自分寄りの見方でなく、客観的にみて受け取っていくことの大事さを学ばせてもらいました。客観的にそのことを見ていくと、過去とか未来とかでなく、今現在こういう惑星配置のもとに産み落とされた自分はどうしていくことが私の幸せになっていくのだろうか、という方に関心が湧いてきて、自分のスイッチの入っていない部分に意識を向けていく。具体的には私の場合だと自分の内面に関心をむけていく。内面を磨いていくということを実践することが、その情報を活かしてそこを豊かに花ひらかせていく。ひいてはそれが人のためになるという風に視点が変った事が大きかったです。

そういう新しい視点をもらった上で、昨日までの自分のヤマギシでの暮らし振り、心の持ち方について見てみると、今後どういうところを意識してやっていったらいいのかということについて大いにエールをもらったと思っています。

人と一緒にやるということ、コミュニティを創るということは、そこにどういう場をつくりたいかということで、そのイメージについてよりリアルなものをもらったと思っていて、正直、素直が出せる場、それをつくっていける1人1人(自分)になっていくことだという自覚に立つことだと思いました。エネルギーを奪い合う関係でなく、エネルギーを交換し合う場をつくっていくこと。自分の我にとらわれていて、そういう事が見えなくなっている自分に気付かせてもらいました。自分を知り、問題事から学んで、自分の心を正していくことでそういう暖かい場をつくっていく。

その実際例をみせてもらって、自分に落としたかなと思っています。やるべき事をやっていたらクヨクヨせずに流れにまかせるということも、そうだなと思います。実際には講座で学んだ事とファシリをやらせてもらったり、作業で受け入れてもらった際に感じた事、又大人ミーティングでの場をおもいきり味あわせてもらった事で、頭だけの理解でなく、あーこれがあのことかなといったような体での理解を通して日常に落としていくということを身近にイメージできたことで、少しずつ使っていけるかなという手応えを感じています。
木の花の人達にふれてもらったものはいっぱいあります。人の話に耳を傾けるときの目線やしぐさ、1人1人の振るまいの中に相手に矢印を向けないで、自然とこちらが頭をたれたくなるような尊いものを感じ、その1人1人の軽さ、やわらかさ、近さの中に愛をいっぱい感じて感動しています。私は私の未着手の部分にスイッチを入れることがまっすぐ全人幸福、世のため人のためにつながっているんだな、とここで感じさせてもらった事が今度来た事の宝です。帰ったら次につなげて、木の花に送り出します。そして又、その人達と手をつないで受け取れる場をつくっていく事が私の役目だなと思うに至りました。本当に有難うございました。

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ケア研修 in 木の花ファミリー Part I

2月20日から27日までの8日間、ヤマギシの春日山実顕地からゆきえちゃん(紺野幸恵さん)、いっちゃん(杉逸子さん)、もとやん(佐藤元泰さん)の3名がケア・サポートの研修のため、木の花ファミリーに滞在しました。この3名が8日間で得たものとは・・・?3名の日記と滞在の振り返りレポートを以下にご紹介したいと思います。

《ゆきえちゃん日記》

2月21日(火)

AM お釈迦様の姓名講座・第1回
今までにも同じ様な資料に目を通した事はあったけれど、今回は1つ1つ詳しくやってもらいました。「個人のカルマを知ることで、人生に起こる出来事の素性を知り、健全に生きていく事に役立てる」というテーマに始まり、名前の中に命の秘密が隠されている、私の想いが行動になり、日々に顕われているんだなぁ・・・と思うと、普段の私はどうだったんだろう・・・?!と思うことばかりでした。良い、悪いではなく、自分の傾向を知って、私もみんなも幸せになれる様に使っていきたいです。言葉の使い方にも“陽性”の私が出ていたのは驚きでした。相手や場に合わせて柔軟にやってみたいのと、陰性の人や三文字の人など他の視点からも学んでいきたいです。心を“観る”というのを大事にしていきたいです。

PM 道代ちゃんのファシリテーション講座
ファシリというのは、私にとって苦手なイメージしかなかったのですが、とても勉強になる役割だなぁと思いました。ぶれない視点でめざすゴールを見据え、みんなから意見を引き出す、時間の管理・・・全体をみながらその場をつくっていく・・・すごく高度だなぁ・・・。まずは大人ミーティングから実践する中で学んでいきたいです。

●愛をもって、相手の事を想って→自分目線ではなく、客観的に。
●言葉を大事にする→否定ではなく、プラスの言い方を考える。
●“頂く”というのを意識してくらしてみる→言ってもらったら素直に受け取る。
分からなかったらどうしたらいいかきいてみる。

2月22日(水)

AM お釈迦様の姓名講座・第2回
●名前の分類とそれぞれの心の傾向を知る
●人間関係の相性を分析する

それぞれに共通することは、子供時代をどうやって育ってきたか。本来の自分、その個性を尊重する事がとても大事だなと思いました。木の花の子供達を食事中に見ていると、大人の顔を気にしないで食べている。周りの大人も甘やかすことなく、大事な点をはっきりスッキリ伝えていて、お互いが自立した関係にある様に見えました。自分の中にある情とか、気持ちが出てきた時に、どこから出てきているのか・・・?とチェックする必要があるなぁと思いました。私の傾向として、8/10、+2陽性ということなので、アクセルが強めになりやすいので、よく振り返る、というのを意識してみようと思います。

PM 作業(種芋切り)
私の中に男の人は(こうあるべき!)というのでみているなぁ・・・と気がつきました。いっしょに作業をした人が全て陰性の男の方(こうちゃん、たっちゃん、つくし君)で、陰性の私というのを自然に受け入れていて、ヤマギシの村の男の人とはちがう(そうじゃない人もいますが・・・。)個々らしさが現われているなぁと思いました。たっちゃんが「何であの人は~!!!」と思う事がなくなったと言っていたのがビックリで、人に矢印を向けていた自分だなぁ・・・と振り返る事がありました。

夕食中、私の隣にまりんちゃんが座っていて、玉葱を残してズーっと座っていて、「玉葱、食べれる?」と私が聞くと「うーん」としたまりんに、みっちゃんが「ドレッシングかけて食べようか?」と声をかけていて、その姿に何でか涙が出てきました。ほんとに相手を想うってこういう事なんじゃないか・・・?!普段、私は自分の子や他の子に対して愛がなかったなぁ・・・と思いました。何気なくやっている中に(こうするのが良い!)とか決めているものが沢山あるなぁ、とらわれているなぁと思いました。心から出てくるものでやっていきたいと思いました。こう思えるのも、木の花ファミリーのこのあたたかい空気の中で感じられたからだろうな・・・と思いました。今のこういう時間がすごく幸せです。色々な人から沢山学ばせてもらいたいです。人の為に・・・というのを意識してやっていきたいです。

~見ることから観ることへ。感じられる人を目指して下さい。(BYいさどん)~

2月23日(木)

AM お釈迦様の姓名講座・第3回
●家系図からカルマを読みとき、地球暦と合わせて個性や天命を読みとく

元泰さん、逸子さんの家系図、地球暦からその人それぞれの役割り、もって生まれたものと、これから意識していく点を読んでいった。みんなそれぞれ異うものをもって、それぞれの表現をしていく。その時に自分のカルマ(クセ)があると本来の力が発揮されない。今まで“頂いて学んでいく”という姿勢で生きてこなかったなぁと思った。

PM お釈迦様の姓名講座・第4回
私の家系図と地球暦を読んでもらいました。地球以外の全ての星がからんでいて、これからの精神的な時代への橋渡し、調正という役割りの世代、スピリチュアル、ユーモア、いやし、夢、愛、豊かさを現わしていく(みんなの中で、コツコツと)その天命を現実化する為にふさわしい人格にならないと表現できない。まずは地道に基本の心磨きをしていくしか道はないな・・・と思った。本来の自分に目覚め、実践していく。その為に視点を自分ではなく、広く広くもつ。

2月24日(金)

昨日の大人ミーティング後にいさおさんに話を聞いてもらった。私は傾向として情に流されやすい。相手に自分を重ねてみてしまう。色々な変な感情(涙、腹が立つ)等、出てきた時にこの感情はどこからきているのか?と心の中をチェックしていきたい(みるのは自分の心)。相手の問題と自分の問題を混ぜてみているな・・・と思った。自分自身をよく振り返った所で相手に伝える所があれば、相手を想い、伝える(私は感情的になりやすいので冷静に)。今までの価値は形、結果に目を向ける事が多かった様に思っています。事柄ではなく、心の方へ着目していく。3点思考を意識する。

コミュニティ創設講座を道代ちゃんにしてもらいました。気持ちの良い場をつくる=その為には問題があった時にまず自分を振り返る、この出来事を通して何を学べるか・・・?!エクササイズをやってみて、私は自分というものにすごくとらわれているなぁと思いました。世界がせまいなぁ・・・。でも出していくうちに、だんだんとみている目線が高くなって、どうしようか・・・?!となってきています。自分ごとではなく何がベストなのか広く観ていく。頂いていくという姿勢、感謝の姿勢が自分は足りないです。みんなが気持ち良い場をつくるには、まず私が正直、素直、信じるという心磨きをやっていくことだな・・・と思いました。

食事中に、子供や取り囲むメンバーの姿を見ていて、1人1人の意識がこの場をつくっているんだな・・・ほんとうに素晴らしい場所を見せてもらっているんだな・・・と涙が出てきました。愛ちゃんが自分の体験を話してくれて、私も今の未熟な姿も次に活かしていける様にしたいな・・・と思いました。

PM 人参収穫
なお君(3歳)、なり君(2歳)といっしょに作業しました。あきちゃん、みっちー、くわっちの子供への接し方を見ていて、私は子供=守ってあげる人という感じで見ていたなぁと気がつきました。なんて傲慢で偏った見方をしてきていたんだろうと反省することばかりでした。今まで色々学んできて、本当に色々な人がいて、その色々(多様性)を認めていないのは私だったな・・・と思いました。夜の大人ミーティングでは思い切って心のシェアをしてみました。愛のある言葉を沢山もらって、こういう場がある、人がいるって幸せだなぁと思い、こういう場をつくっていける人になりたいと思いました。ヤマギシだからと人のせいではなく学びにしていく姿勢さえ私にあれば、少しずつでも道は開けていくな・・・という気がしました。諦めず、求めずやろうと思います。

■ 大人ミーティングの心のシェアより・自分を振り返ってみて(ゆきえちゃん)■
食事時間に来ると、子供を見て一人一人が生き生きとしている。自分の子供への接し方を振り返って、自分の思いで子供や他の人へも接していたなと思います。場の力も豊かだなと思います。最近は言葉にならないと涙が出る。普段はないこと。なんでかな? と思う。悲しい涙ではない。食事中に愛ちゃんと話していて、とってもあったかい場だなと思いました。こういう場を私もつくっていきたいなと思いました。カトケンがティッシュを持ってきてくれて、そういう自分なんだなと思った。明日からは泣かないでやっていきます。

カトケン: 僕は、ティッシュ担当なので気にせずに泣いてください。(みんな:笑)

いさどん: 今日は講座のメインインストラクターが出張でいません。みちよちゃんです。彼女はコミュ二ティー創設講座ではいつも僕と一緒だが漫才のようにやる。一番の題材は、コミュ二ティーを維持していくにはということ。それには人の心が調和的でないといけない。軋轢が起こったときにどう解消していくか。それには調和が最も大事で、どうやって調和の場所をつくるかということではなく、愛があると調和が生まれる。絆から愛が生まれ、愛から調和が生まれる。みちよちゃんはいつも、自分はいかに出来が悪かったかということを話す。みちよちゃんは立派な人。最近はとっても精度が高い。今回はEDEバージョンをヤマギシバージョンに変えたが、本当にいい出来でした。何が一番優れているかと言うと、彼女の実体験が忠実に表現されている。彼女がどうやってそこを乗り越えてきたか。いさおちゃんもそうだが、涙、涙で乗り越えてきた。充分に子供の頃の自分を表現せずに形ばかり大人をやってきた人が、もう一度ここでやり直して大人になってきた。いさおちゃんもみちよちゃんもよく泣いた。そんなとき僕は、あなたのその涙には全く付き合えない。くやしいとか、辛いとか、そんな涙にはまったく共鳴する心にはなれないから、余計に冷めるよと伝えていた。そんなことを言ってきたことを、ゆきえちゃんの涙を見て思い出した。僕がよかったと思うのは、自分のことよりも、人のことに出会ったこと。人が感動してよかったとなった時に、僕も負けじと三倍くらい泣く。ゆきえちゃんが「泣かないようにする」といったが、そうじゃない。カトケンはそのためにいるんだから(笑)。どんどん泣いてください。感動の涙はみんなに広めていく。反対に辛いとか、くやしいという涙は自分を振り返っておさめていく。でも、そのことも越えるためにある。僕も一緒に感動の涙を流したい。そうすると、ヤマギシをしょっていく紺野幸恵。そういう涙を流す人はいいリーダーになっていくと思います。

まり姉: 子供に対する思惑や期待を手放せば手放すほど、子供たちは輝くと思います。今日のお誕生日会でやったラジオ体操でもあったが、いいようにしようということはない。でも子供は、みこを筆頭に、誕生日会の場で、やるよ!と。今まであんなにそろったことはなかった。ばらばらでも個性的でいいなと思ってやった。それであんなにかわいらしくきちっとやってくれて本当にかわいいと思います。本にも書いたが、綺麗な鏡だなと。ありがたいなと思いました。そして自分の汚さも見せてもらって学ばせてもらっている日々です。

あいちゃん: まり姉は肋骨にヒビが入っていながらやっている姿がよかったです。ゆきえちゃんとは、出会うべくして出会ったなと思います。経験を生かしてみんなに伝えていってもらえたら、自分もそうだが、伝わった時にはよろこびだなと思いました。

かずこちゃん: 今のゆきえちゃんのシェアを聞き、心が開いていて、自分の思いを出してくれていて、みんなと分かち合えていていいなと思いました。ゆきえちゃんに関しては最近よく泣いていると思っていて、それは子供に対する接し方をみて愛を感じるとか、愛ちゃんがヒーリングをしているのをみて泣いていたり、いい感じだなと思っています。私がヤマギシに初めて行った時にたまたま隣に座ったのがゆきえちゃんでした。思い出すのは、ゆきえちゃんのお母さんが亡くなったこと。それをきっかけにここに来るようになったこと。自分がケアの力になれるようにと思っていて、いいなと思った。三人が来てくれて世の中のためになっていくと思うと嬉しい。

ようこちゃん: ゆきえちゃんとは同い年。私は木の花という環境にいて、みんな平等に何でも正直に言い合える環境にいて、外の人、例えばよりどんや誰にでも正直に思いを伝えられる心でいる。でも、同じ34歳のゆきえちゃんは、ヤマギシの中では子ども扱い。こういった人材を生かすヤマギシであり、社会であるといいなと思った。ゆきえちゃんは、ほのぼのとしてユーモアたっぷり。いままでのしし座世代(50代、60代)のエネルギッシュでいけいけどんどんのリーダーに対して、ゆきえちゃんみたいなタイプのリーダーがこれから出てくるのが、新しい調和と愛に満ちた時代にふさわしいなと思いました。

ゆきえちゃん: とても嬉しいです、の一言です。地道に正直、素直、信じるをやっていくことかなと思います。いっしょにやっていきたいです。

2月25日(土)

AM 作業(干し芋作り)
和子ちゃんに受け入れてもらい、皮むきをしました。木の花ファミリーの創設の話、心の話を聞かせてもらいました。みんな1つずつ山を越えてきて今があると言ってくれた。干し芋をしながらCDデッキで他の人の面談CDをきいていて、学ぼうという気持ちがあれば何からでも学んでいけるんだなぁと感じました。

ワンワンサーカスを見せてもらいました。犬もすごかったけれど、お兄さんを見て、私は自分を手放すという姿勢が足りないな・・・と思いました。頭で考えて、(どうやって行動したらいいんだろう?)と正解をやろうとする自分の姿が見えました。ついつい恥ずかしいから・・・と自分を守ってしまう自分ですが、全体からみて、みんなが楽しめる様に・・・の視点でやってみようと思います。今晩は大人ミーティングのファシリをやらせてもらうので、全体の為に・・・という気持ちでやってみたいです。

PM ケア座談会(いさおちゃん、まこっちゃん、ゆかりちゃんの事例)
ほんとに1人1人の歩みが用意されていて、今この場があるんだな・・・と感じました。

~ゆきえちゃんはゆきえちゃんらしく、ヤマギシはヤマギシらしく、木の花は木の花らしく。そこに調和があれば、それぞれの目的は一緒です。(BYいさどん)~

「(2/20~2/27)ケア研修の振り返りレポート」

今回はケアの研修という事で木の花ファミリーに来させてもらいましたが、人としてとても大切なものを学ばせてもらいました。

現実の私をこれほど客観的に捉えるというのは初めての体験でした。今までの私の姿を客観的にみてみると、●自分が強く他を受け入れない ●傲慢で自分を振り返らない ●考えが浅く視野が狭い ●自分を守る ●思惑が多い ●損得感情が強い ●幼い ●感謝、頂くという姿勢がない ●事柄主義・・・まだまだあると思いますが、とにかく固く、小さな世界で生きてきた事に気がつきました。こんな私ですが、木の花ファミリーのみんなの中で暮らしていく中で、沢山の気付きや学びをもらうことができました。

まず感じた事は、人って、こんなに謙虚になれるんだ・・・ということです。ここのメンバーは問題があった時に、まず自分の心を振り返る事(謙虚で柔軟な姿勢)、心から相手を想う事(相手が主役)、問題事や相手から学ばせて頂くという姿勢、全体が良くなる様に1人1人が場をつくるという高い意識をもつという事、そうした1人1人がいる事で調和のとれた場ができているという事。ほんとうに、どの人と話をしていても、みんながそういう意識で暮らしていて、それが子供の姿にも顕われてきています。子供に対する接し方をみさせてもらって、普段の私は子供や他の人に対してほんとうにひどい状態だったな・・・と改めて気付かせてもらいました。

子供でも、大人でも全てのものは私の鏡です。まずは自らを正す。振り返るのは自分なのです。これは本当に大事な事だと思います。

私はヤマギシの村で生まれ育ってきましたが、どこかでずっとヤマギシにいるという事に誇りや自信がありました。ひどい話ですが、全ては頂きものであり、プロセスであり、大きな流れの中で生かされているというのは考えた事がありませんでした。ヤマギシという形に執着して、本当の意味で、“われ、ひとと共に繁栄せん”や“無固定前進、零位に立つ”等のヤマギシズムをやっていなかった事に気がつきました。ヤマギシの村でうつが出る、自殺者が出るという事は、そうなる場を私もつくってきたんだな・・・という事を思っています。

今回、地球暦で“紺野幸恵”という人間をみてもらいましたが、夢、想像力、ユーモア、新しい風を行動し、みんなと仲良く発展していく等々、大きな役割りとして用意されているのですが、それを実現しようとしていない自分の姿がハッキリと出ていて、ほんとうにそうだなぁと思いました。名前のカルマ読みと合わせてみてもらう事で、自分だけでは知り得なかった自分の姿をみせてもらう事ができました。同時にこの世界はなんてすごい仕組みなんだろう・・・!!ほんとうに不思議に満ちあふれた世界なのかもしれないな、と講座やみんなの話から少しずつですが気付かせてもらっています。

ほんとうに狭い世界から宇宙からの視点へと広げてもらい、毎日沢山の講座、作業、大人ミーティングでの実践、毎日のみんなとの会話等、とても内容の濃い毎日で、今は、頭も心も体もご馳走の食べすぎでパンパン状態です。

明日、ヤマギシの村に帰るのですが、みんなが気持ち良く暮らせる場をつくっていける人になっていきたいです。その為には、日々の暮らしの中で1つ1つ丁寧に自分の心を振り返り、自分の中に落としていく事が一番の近道です。

ほんとうは、これだけの事を学ぶには1週間では短かすぎます。まだまだ足りないだらけの自分ですが、その事を認め、全ての出来事から謙虚に学ばせて頂くという姿勢があれば、少しずつその場が愛のあるあたたかい場になっていく様な気がしています。ついつい、目の前の事柄ばかりに気がいってしまうのですが、何の為に生きているのか、どういう世界をつくっていきたいのか・・・という大きな所に立ち返って、地道にみんなと共にやっていきたいです。

木の花ファミリーのいさどんをはじめ、メンバーのみなさんのおかげで、ここまで学ぶ事ができました。ほんとうにありがとうございました。そして、これからも共に学んでいく1人として、どうぞよろしくお願いします♡

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「節目 ~2月4日・立春正月を迎えるにあたって~」

2012 年 2 月 3 日 コメント 2 件

2月3日の節分と4日の立春正月は、木の花の年中行事の中でもっとも重要な行事です。それを迎えるにあたって思うところを、多くの木の花ファミリーに関わってくれる人たちにメッセージとして送りたいと思っています。節分とは季節を分けることであり、冬の時代から春を迎える節目であり、立春を農の正月(1月1日)とすると、農の大晦日にあたります。自然とともにあり、農によって暮らしを営むものにとっては、立春正月を迎え、新たな農作業の始まりにもなります。そして、その前日の大晦日には一年を振り返り、自らの襟を正し、新たな年に向かうにふさわしいものでありたいと思っています。

私たちはこの世界に生をいただいて、自らの人生という旅の中でふさわしい出来事に出会いながら生きていますが、とかく人はその出来事を他者からのものとして受け取りがちなものです。しかし、そこで出会う出来事は、すべてふさわしく発信元である自らに返って来たものなのです。そういったことを日頃思う日々の私であっても、一年を通しての節目である時々をその見直しの節目として意識していただいています。それは、私たちの生活の中に一日という節目があるように、一日の中でも朝昼晩があるように、季節が四つの節目を持っているように、一年が12ヶ月の月で区切られているように、私たちが生きていく上で成長し、確かなものとしてその人生に落としていくためには、とても重要な役割をしてくれています。

仏教に「一止」という言葉があります。私たちは過去から未来に向かって生きていますが、一方通行のように前だけを向いて生きていると、自分の進む方向を見失ってしまうものです。真っ直ぐ正しく歩んでいるか、捉えられなくなります。そこで、何かの節目を迎えたときにその歩みを一度止めて、自分の歩んできた道を振り返り、過去が現在の自分にどのようにつながっているのか確認することが大切なのです。そうすることにより、今までの自分の歩みが今の自分にどのようにつながっているのかが理解でき、未来に向かってどのように進んでいったらいいのかが見えてくるものです。

この世界に生きているということは、とかく思うようにならないことが多いものです。自分の想いが叶うかどうかは、自分の想いを叶えようと安易に走ることではなく、自らがどのような役割のもとに生まれ、生かされているのかという目線に立ち、それをいただいていくことによって成っていくのです。自らの想いを叶えようと思うことは、自らが生きているという意識であり、私たちを取り巻き生かしている法からは外れていることになりますから、その法は私たちにその証として問題事を与えてくれているのです。

私たちはその問題を与えられた時々にそれを節目として一度止まって、それまでの歩みを振り返り、これから向かう未来に正しい道を開きたいものです。「一度止まって」と書いて、「正」しいとなるのです。木の花の一年のもっとも大切な行事である節分にあたって、その精神を持ってひとりひとりが振り返り、新たな春を迎えたいものだと思っています。旧年の多くの皆さまとの出会いに感謝するとともに、その出会いがつながり広がって、より良き社会が実現していくよう、ともに歩んでいきたいものです。感謝、合掌

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この世界をつくっているのは

2011 年 12 月 31 日 コメント 4 件

ヤマギシから木の花を訪れたお二人。3泊4日の滞在の中でいさどんと面談する時間が3回もたれたのですが、2回目の面談ではお二人のみならず、ヤマギシ全体に投げかける話がいさどんから語られました。

安美さん:ここで2日過ごさせてもらい、これからどう生きていくのかをはっきりさせていかないといけないと昨日の夜から思っていました。ここで生活している人たちを見ていると、毎日を本当に一生懸命生きていると思いました。「言葉で全人幸福と言わなくても、実際に菜食主義をしていることで世の中が平和になっていく」ということも、来たときから2日続けてこうちゃんが御飯のときに一緒に座ってくれて伝えてくれました。「今の村の暮らしというのがぬるま湯につかっている状態」というのは確かにその通りで、全人幸福を想い考えながら生活している人は、本当に少ないのではないかと思うのです。では、私がこれからどう暮らしていくのか。その答えはまだ出ていないのですが、もう一度よく考えたいと思っています。実際私と仲が良かった人で、ヤマギシが嫌だったというわけはなくても色々な事情で村を離れていった人が結構います。今でもその人たちとは時々会ったりしているのですが、本当に親しい人が村を出ていって、あるいは亡くなったりしていて、今村に残っている人で話したい人があまりいないという状況です。自分はここを出たいとは思わないのですが、今のままで村が良いとは全然思っていない、というのが今の私の心境です。

いさどん:今のままで良いとは思っていなくても、そういった日々を繰り返していくことにもなってしまいます。人によっては年齢が来ていますので、その人たちが臨終を迎えたときに、「私はこの理念に共鳴して参画したのに、いつになったらその理想世界に出会えるのか。それに出会う前にいのちが切れてしまう」と言う人もいたりします。理想世界、宇宙の真理は無限ですからあり続けるにしても、少なくともひとりひとりの中に達成感を持って旅立ちたいものです。それはここの生活のように日々が探究であり、活性し続けることであると思うのです。そのことによって、「やり遂げた」という人生の満足に出会い、旅立てるのだと思います。「この一生を生きていて良かった。悔いなし」と生きられると思うのです。すべての目標を達成するということは、代々受け継いで人類が地球に存在し続ける限り、追及し続けるものだと思うものですから。何かしらそこに私たちがひとりひとりの立場として、目指すべき姿があると思うのです。

哲さんはどうですか?昨日の大人会議に出席されている姿を見て、この人は理屈ではなく肌でここのリズムを感じていらっしゃると思っていました。そこにはしっかりと神経が行渡っている状態でやっている場所があると思うのです。そういうものをこの人は感じておられるな、と思いました。明日帰られるということですから、今夜の大人会議の場ではぜひ、この3泊4日の滞在の感想をみんなにもシェアしてもらいたいと思っております。そのあたりのことはどう思っておられますか?安美さんがおっしゃられたように、今までの自分も含めて今後どう村で生きていくのか、ということをお尋ねします。

哲さん:ここに来る前に2週間研鑽学校Ⅱに行ってきました。その中で、本当の世界というよりは自分の世界で全部見てきている、自分の世界に本当の世界を合わせ、結局自分の世界を見ているだけなのだと気づきました、前から自分にはそういう癖があるとは思っていたのですが、自分が発言してもそういう世界で生きているので他の人に伝わりにくい面が自分にはあると思いました。研鑽学校も昔は振り出し寮という研鑽機会もあって、そのときに自分の気持ちが本当にすっきりと出せ、そのことにみんなが反応してくれて一方通行ではないやりとりを感じたことがありました。自分はそこをやりたくて参画したはずなのに、いつも自分の世界にとどまってしまう自分の傾向がずっとありました。今回も研鑽学校でそういうふうになりやすい自分を感じ、今お話を聞いていても、そういう自分から脱却していきたいと思いながらも、どういうふうにしたらいいのか自分の中ではいまひとつ描ききれていないという状態です。2週間研鑽学校にいて気づいたのは、ただ自分の中で思っているだけではなく、それを実践していくということが大事だということです。聞くにしても見るにしても、どうしても自分の見方が入ってしまうので、そのときに自分から出すことで、自分の思惑を外していけるという実感が今回の研鑽学校ではありました。そのときに違ったものが見えてくると思います。今まで実践、実践と言葉では言ってきましたが、これからはそれを日々の中でやっていきたいと思っています。

提案と調正というのがあるのですが、私の右耳は参画する少し前から聞きづらく、難聴のようにじーんと耳鳴りがすることがあります。それを自分の中ではずっと置いてきたのですが、今回研鑽学校に行く前に補聴器を買うことを提案したのです。それで研鑽学校から帰ってきたら、私の提案に対して「こういうものではどうですか」という返事をもらいました。今まででしたら、自分はこういうことに関しては「こういうふうに言われたからそれでやろうか」とやってきたのですが、今回は自分の中でもっとこういうふうにしたいとか、自分でも調べてこうなんだということ、つまり「私意尊重公意行」の私意をもっとはっきり出していくということがありました。調正所からの返事をメールでもらったときには向こうの意図が漠然としか感じられなかったのですが、たまたまその人と直接出会って話してみたら「この人はこういうことを伝えたかったんだな」ということがお互いにわかりました。今までならよくわからなくてもそのままにしてきたのですが、今はそこをどういうことなのかと出してみることで、相手の意志が以前よりもわかるようになってきました。つまり、自分が取り違えをしていたことや相手も具体的ではなく漠然とした形で伝えていたということがあったのですが、出会ってお互いに出し合うことでそのことが明瞭になったのです。自分が受け入れるという点では、その人の言わんとしていることをまずは受けて、自分としては何をしたいのかということを自分に問いかけてみる。まずはその人の提案をやってみた上で、自分がこうしたいということがさらに出てくれば、また自分のほうからそのことを再度提案していく。今までは受けてそのままということが大半だったのですが、これからは自分のほうからもっと提案していこうと思った一件でした。今まで私は想いの世界では結構やってきたのですが、実践していくということが自分の中ではっきりしていなかったのかな、と思いました。これからは自分の想いだけにとらわれずにやっていきたいと思っています。

いさどん:研鑽学校はいつ終わったのですか。

哲さん:先月の30日です。

いさどん:その研鑽学校が終わって今、1週間が経ったところですね。研鑽学校が終わったときの自分の意識と1週間経った今の意識は変わってきていますか?

哲さん:そうですね。。。

いさどん:これを車にたとえると、研鑽学校が終わると問題があったところがオーバーホールされて出てきたということですね。整備されて出てきたという感じがするとしたら、研鑽学校に入って意識が変わったのと1週間後の今の意識は変わっています。変わってきているというのは、研鑽学校に行って変わったことに対して、行く前の自分が変わり続けているのか、それとも行く前の自分に戻ってきているのですか。

哲さん:自分は戻っていなくて、日々変わってきていると思っています。

いさどん:その日々変わりつつあるというのが今の話ですよね。ということは、哲さんの今の状態をもとにして研鑽学校の実態を読み解くと、今の話の中には「自分と相手」「自分と調正所」の対話しか出てこなかったですよね。村全体とか世の中とか、ましてや全人幸福などというものはどこにもない状態です。自分という枠の中に視点を取り過ぎたために、我執を取り去るどころか我執が増えている状態で研鑽学校が終了している状態ではありませんか。つまり、自分に興味があり過ぎるのです。誰でも自分に興味があるのは当然のことですし、あってもいいのですが、それは沢山の情報、多様なものの見方の中の自分というものであれば、全体性の中から自分を観るということですから、他者と自分を区別せずに見ることができるのです。それが我執がない状態です。研鑽学校Ⅱが何を目的にしているのかということです。Ⅰの目的、Ⅱの目的、Ⅲの目的が何であるのかは知りませんが、人が目覚めていくときにこの研鑽学校で受講者に特定の目的を提供するということは、その奥にある目的を明らかにしないといけません。特講でも研鑽学校でも、受ける人たちを前もってこういうところにいざなっていこうという目的があること自体がいかがなものでしょう。それをヤマギシの人たちに投げかけると、「目的はありません。その都度その場でつくっていくものです」と言いながら、現実にはしっかりと目的があるのです。そういう矛盾がありながら、やっている矛盾を理解できていない状態です。なぜそういう状態を続けているのかというと、自らを離れてしっかりと客観的に見ることができる人がいないので、そういうことが起きるのです。今の話を聞いていても、自分というものにとらわれた状態から視点が外に広がっていない状態です。それに対して「こうしなさい」とは言いませんが、客観的に見るとそんなふうにとらえられます、というひとつの情報提供です。

そうすると、ひとつここで今の捉え方を突破する方法があります。今、あなたは自分と調正所を分けて考えています。自分の想いや願いを叶えてくれる対象としての調正所なのです。ところが、ヤマギシの人たちはそういう認識がないかもしれませんが、私のほうが本来の調正所の在り方をとらえていると思います。それはどういうことかというと、自らが調正所なのです。調正所が自分なのです。しかし、現実にはそういった捉え方はありません。調正所は自分の提案を審査してやめておきましょうと言うのか、それはこのように受けましたと答えてくれるのか、という対象と見ているのです。しかし、あの調正所の世話係には自分もなる可能性があるのです。それから、自分たちの考え方の延長に調正世話係の姿勢があって、それが返ってきているとも言えます。ですから、本来は自分が考える賢明な提案は調正所に持っていけば、すべて通るはずです。それこそ、一部の人たちが好き勝手にやるような調正所であるわけがないのです。賢明な発想を調正所に提案すれば、賢明な発想に対して賢明な回答が返ってくることは当り前です。そこで、調正所やヤマギシの村の都合で答えが返ってくるのもおかしな話です。それから、自分の都合だけを求めた答えが返ってこないことに対して、こちらが不満を言うのもおかしいのです。本来それは、どちらも一体の状態であって、全体のことを考えた個人の動きであるべきなのです。個人が個人で勝手にやったら共に生きている意味がないのですから、一体社会を実現するために、自らが提案したことに対して自らが回答するという役割分担を調正所と村人という関係の上で、わざわざ分離してつくっているだけです。本来は一体社会を体感するための場所であるはずが、今の話は完全に自分と調正所を分離している状態になっているのです。

さきほど、安美さんにも哲さんにも「どうですか?」と聞いたのは、まずは自分の考えを他者に共有することが大切だからです。ですから、一番身近な、ここで言う毎日の大人会議に参加したらどうですか、と提案しました。それは仲良し研であったり、一番身近である職場で自分というものを裏表なく出すということです。調正所に提案するときにも、自分のためではなく、この個人の願いはヤマギシのため、全体のために有効であるという視点で提案していく。そうすると、調正所はそれを受けて、個人の望みを叶えることはヤマギシのために大事なことになるのです。そして、その提案が通っていくようになるのです。そういった姿勢をお互いに持つことが大切だと思います。そうすると、提案と調正というものが全体を健全にするためのものになるのです。そこには拒否するとか、ならないことに対して不満を言うということがなくなるはずです。その意識が分離してしまい一体社会になっていないから、物事がスムーズになっていかないのです。本来それを理解するための研鑽学校であるべきなのに、我執が増幅してきている状態です。それがさきほど私が言っていた、研鑽学校という場は個人を振り返りなさいというところにいざなっておいて、全体に対する批判をなくして、全体を運営しやすいようにしているところということです。簡単に表すと、組織を運営しやすくするためのマインドコントロールの場所になっているのです。だから、研鑽学校に対して拒否反応を示す人が出てくるのです。しかし、本来はそういう場所ではなかったはずなのです。個人が目覚めてイズムにふさわしい人になり、一体社会を実現することによって、組織と個人が表裏一体のネットワークの中でイズムが繁栄していく、それが本来のヤマギシズムです。ところが、現実にはヤマギシの中にいても、どこにヤマギシズムが表現されているのかわからない状態になっています。外からヤマギシズムを伝えられても、中にいる人たちがそのことに気づいていないのです。そこに目覚めてもらうことが大切です。

まず、あなたは仲良し研に出ていませんよね?興味も持っていませんよね。安美さんはそういった理想を他者に投げかけてきたのですが、全く反映されないことから嫌になって出ていない。哲さんはそういうことを意識してないから出ていない。しかし、そういったところにみんなが出て、そこにある情報が共有され、その情報が調正所や運営研に反映されて全体が運営されていくこと、それが主権在民であり民主主義の世界です。ところが、末端の人々はそのことを忘れてしまっていて、組織運営は組織に都合の良い民衆をつくることによって、運営を楽にしているのです。それが今のヤマギシの実態です。本当は中心的な人たちにもこのことに気づいてもらいたいのです。中心的な人たちも本来単なる村人で、平民であるべきです。ところが、そのわけがわからないところで調正所世話係になったり、世話係に関係なく影響力のある人たちがそこの意識を理解しないで存在していることが問題の元なのです。それをさせている一番の原因は、ひとりひとりがイズムに目覚めていないところにあるのです。「私はあなた あなたは私」、「私はヤマギシでありヤマギシは私なのだ」という意識になったときに初めて、あなたという個人が生かされるのです。あなたは何のためにヤマギシの村人でいるのか、ということが生きてくるのです。外からこういうことを私が言うのはおかしいですが、山岸さんが天から今のヤマギシを見ていてためいきをついているのか、50年は長かったがそろそろ次のステージに行こうよ、と言っているのか。天からの何かしらの投げかけがあって、木の花との出会いがあったと思うのです。私はヤマギシの村に行き、座談会や交流会の場で伝えたいのは、「私はいさどんの考えを伝えているわけでも、木の花のイズムを語っているわけでもありません(そんなものは元々ありません)。私はヤマギシに来たらヤマギシズムを語ります。法華経を学んでいるところに行けば法華経を語ります。表現は色々あっても、真理はひとつしかないのです」ということです。

ヤマギシの中にいてなかなか木の花詣が難しくなってきた時代に(笑)、おふたりは3泊4日もしてこれたのですから、ぬるま湯の村の生活やマインドコントロールの2週間の研鑽学校に時間をかけるよりも、はるかに有効な木の花の3泊4日の滞在を村に帰って日々の形の中に顕わしてみんなに示してもらいたいと思います。それで、「哲さんや安美さんはなぜそのように変わったのですか」と問われたら、「木の花に行って、本来の自分の在り方に目覚めたのです」と言ってもらいたい。これは私の株を上げるためではありません。しかし、結果として今は木の花の在り方に気づいてもらいたいし、私の言葉に耳を傾けてもらうことが大切です。それを中には、「私たちには理想の教えがあるのだから、外の人の言うことは聞かなくてもいい」と木の花を訪れたことがない人がそんなことを言っていたり、かじってみたら、「どうもあれは木の花菌に汚染されそうだから、なるべく避けていったほうがいい」と言う人もいます。真理はひとつであるのに、狭量な精神の人がまだ沢山いるのです。

安美さん:彼が「研鑽学校に行く」と言うものですから、「それは研鑽学校に行くように言われたの?」と聞いて、「行くのであれば、木の花に行ったらいい」と言いました(一同、笑)。「研鑽学校に行っても同じことだから、やめたら」と伝えたのですが、結局行くことになったのです。それで、帰ってきてからもまたぐちゃぐちゃと言うものですから、私がまた突っこんで話をしたのですが。。。

いさどん:ふたりだと、その話には決着がつかないですね。

安美さん:彼が気づいたと言っていることは、今まで私がそばから見ていてずっと言ってきていることなのです。しかし、それを言っても、「そういうことではない」という感じで、「それはあなたの見方でしょ」といつも返ってきていました。そういうやりとりがあったものですから、「それは私が言ってきた通りで、あなたが今頃気づいたことではないでしょ」と伝えるのですが、実際にはそういう感じなのです。最初、みんなが木の花に行き出したときに私が行かなかったのは、これはヤマギシを動かしている人たちが今実顕地がどうしようもない状態になっているから何とかしようとして、みんなの意識が参画したときのような気持ちにもう一度なれば村が変わるのはないかということで、そういうふうに変えさせるために行かせようとしていると私は思ったからです。

いさどん:それは実際にそうです。

安美さん:だから、私は行かないと反発したのです。どういうところで行かせようとしているかは知らないけれど、私は乗らないぞと思ったのです。それで、様子を見させてもらっていたのですが、実際に議事録もメールで読ませてもらって木の花は本当にやっていると思ったので、ここに来てみようと思いました。実際に言われてみて、実顕地の中で全人幸福を掲げていても、研鑽学校ですら世界中の人たちがみんな幸せになるように、あるいは実顕地のひとりひとりが幸せになるというところでは、そういうものが一切出てこないのです。だから、言っていることとやっていることが全然中味が違うというか、いさどんのおっしゃる通りだと思います。私たちの前に出てくる持ち帰りコーナーの野菜はかなり日にちが経ってますしね。昨日、私は木の花の厨房に入らせてもらって、「すごく元気な野菜だな」と思ったのです。

いさどん:それは見てわかるかというと、感じてわかるということなのでしょうね。

安美さん:そうですね。昔は愛和館はおいしいと言われていましたが、はっきり言って、今は実際本当に美味しくない時が多いです。普段全然文句を言わない人でも「本当に美味しくない」と言うくらいなのです。だから、「今日のこのメニューで若い人や子どもたちは果たして食べるだろうか」というような状態のときもあります。お金をかけないということで、金銭的にも削っているということもあると思いますが、私はずっと前からビタミンI(愛)が入っていないということを言ってきました。

いさどん:私もそう思います。気持ちがこもっているか、こもっていないのか。それは作業としてやっているということだと思います。

安美さん:自分が本当に子どもやおじいちゃん、おばあちゃんのためにと想ったら、もう少し手を加えると思うのです。しかし、それがないと私は思うのです。

みかこ:ヤマギシの中に「一体」という言葉がありますよね。しかし、「自然との一体」ということが欠落していると感じます。

いさどん:地球とともに生きているということとかね。

みかこ:人にばかり意識が行っていて。。。

いさどん:人というよりもヤマギシにだよ。

みかこ:ヤマギシを存続させるというところに意識が行っているから、地球みんなで一体、しかも人間だけではなくて、あらゆる生命との一体という感覚が欠落しているから、ああいった動物をあのように育てて食べていくということをし続けているのだと思います。ヤマギシの中に固執しているから、やる人とやられる人とか、リーダーとついていく人とか、そういう分け隔てがあるところが随所に表れていますよね。

いさどん:それは今、体制を守ろうとする人と変えようとする(不満を言う)人に分かれているのです。

安美さん:実際に自然と調和していないのは、今までヤマギシは経済優先だったと思うのです。それがヤマギシを守ろうということにもつながっているのだと思います。だから、排水を垂れ流しても、そこにお金をかけないとなったら、そこを指摘する人のことは黙殺、そういう人を排除する、何もやらない。だから、農薬をばんばん撒いていて近所の住民から苦情があっても、文句を言わせないようにするとか、夜隠れて撒くというようなことでやってきました。それで世間に対しては無農薬ですとか、有機栽培ですと言っていて、昔は神戸生協とも大分やりとりがあったようなのです。

みかこ:そうやってあちこちに嘘があるけれど、研鑽というのは自分の中の嘘を見ていくものであるはずです。

いさどん:美しい心というのは、嘘のない自分がベースにならないといけない。

みかこ:嘘が自分にあると、嘘をずっと続けていかないといけないので、嘘の辻褄を合わせるためにまた次の嘘をつかないといけなくなってしまうのです。そういう意味でも、研鑽してないですよね。

安美さん:研鑽というのが、本当のところの研鑽(心を磨く)でなかったから、こうなっているのだと思います。

みかこ:そうですね。体制に順応する人をつくるための研鑽になっています。しかし、本当に目覚めていくというのは、人も含めたこの世界の仕組みに目覚めていくことです。ヤマギシの立ち上げ当初は、産業もある意味必要だったでしょうが、さきほどいさどんがうさぎと亀の話をしたように、それでは時代のほうが追い抜いていってしまいますよね。新聞やテレビも見ないと浦島太郎状態になってしまって、進んでいたはずが取り残されてしまいます。今だと若い人も残っていないから、消滅する方向に向かっていると思います。

いさどん:実際に、かろうじて残っている人たちに受け継がせようとしているのですが、そういう人たちよりも一般社会にいる若い世代の人たちのほうがはるかに意識が進んでいます。ですから、その人たちが共鳴して入ってくるような受け皿をつくるべきなのです。ところが、閉鎖的でそういう人たちが入ってくるような体制にはなっていません。木の花に若い人たちがどんどん入ってくるのは、私たちが常に変化することを恐れないからです。今を所有せず、常に新たなものを取り入れる意識を持っている人たちが共鳴する場をつくっているからです。

みかこ:やはり時代は進化しているので、地球全体で見たら、人間も先に生まれた人たちが変わっていかなければ、次に生まれてくる進化した世代に置いていかれてしまいます。だから、時代とともに変化していくことが大切です。ヤマギシはそれをやっていないから、若い人たちも来ないのです。

いさどん:やっていないというのは、無所有と謳いながら、これほど所有している人たちがいるだろうかというくらいです。何のための特講や研鑽学校なのかということです。無所有を利用しているのは、組織運営のために都合の良い人をつくるために個人を手放すというだけで、全体というものの所有を完成させているのです。そういう世界になっています。だから、哲さんの話を聞いて、あなたがこういう状態になっていくというのは組織としてはやりやすいのです。本当はもっとNOはNOとして言える人があり続け、そういう人たちがとことん出し合って、本当に風通しの良い活性化された場所をつくっていく、それを恐れないことが大切なのです。

安美さん:ヤマギシは変革を恐れるのです。変革させたくないのです。研鑽する、研鑽できるということは、研鑽できると目されている人たちが「こうです」と言ったことに対して「はい」でやる人が研鑽できるということなのです。

いさどん:その通りですね。

みかこ:ヤマギシの改革は、その構成員ひとりひとりが束となってつくっているものだから、ひとりひとりの心の変革がなかったら起こらないのです。その牛耳っているという人をつくっているのは、牛耳られている人たちがつくっているわけです。調正世話係になって人格が変わるような、誰があれを決めたのだろうというと、誰だろうね、なんかそうなっていっちゃったんだよね、というようなところで動いていたりすると思うのです。それはひとりひとりが自分でつくっているという自覚がないままに、「なぜこうなってしまったのだろう?」という世界を無意識につくっているのです。だから、自他を分けないことが大切だと思います。木の花では、「木の花のこういうところが嫌だな」とメンバーのひとりが言ったときに、それは自分と木の花を分けているからであって、嫌だなと思えばまずは自分がそこを背負って変えていく側になればいいのですということになります。

いさどん:そして、自分が全体を変える気持ちになったら、それをみんなが聞いてみんなのものとして協議します。

みかこ:文句を言う側ではなくて、自分が常につくっていく側になればいいのですよね。

いさどん:しかし、ヤマギシの場合は末端にいる人たちが変えるための提案をすると、今度は組織側の人がそれを排除しようとする力が働くという世界ではないですか。これは組織としては一番危険なことなのです。木の花ではそういうことは絶対ありえません。そういった不満を聞いて、全体としてあなたはどういう考えを持っているのか、逆に言えば、みんなはその人に対してどういう対処をしていくのか。ひとりは全体に対して自分をどう観ていったらいいのか、ということをすべて吟味した上で、ひとつの解答を出していくという方法をとっています。そうすると、体制側と個人という区別がなくなってきます。

安美さん:今までは、「これはおかしい」と実際に言う人も少なかったです。

いさどん:それは少ないのではなくて、思っているのに言わない人、それから言えないところだったということです。だから、ここに来ると沢山話が出てくるのです。誰もが、「おかしい、おかしい」と言うのです。ひどい話になると、自分たちの中では「おかしい、おかしい」と言うのですが、たとえば木の花とヤマギシが出会った初期の段階では、高木さんやいさどんに言われるとか、木の花の議事録で言われると、自分たちが日頃そうだと思っていることでも、外から言われると腹が立つというのです(一同、笑)。そのくらい、ヤマギシを所有しているのです。「よく考えてみると、これは私たちが日頃言っていることだ」と言いながら、「外から言われると、いさどん、腹が立つのよ」と言ってきた人がいます。そのくらい、自分の姿が見えていないということです。そういう人たちがだんだん自分に目覚めてくると、「これではいけない。そういう狭い心ではなくて、自分を客観的に見る目をつくらなきゃ」ということで変わってきています。

みかこ:あとは、「10年このことをずっと思っていたのです」とか、「20年思っていたのです」とか、思っていながらそれを言わないというのは木の花では考えられないです。

いさどん:木の花でもし、言わない人がいるとしたら、みんなはその雰囲気を見てほっておきません。実際に私のところにヤマギシの人が訴えてきた話で、あまりにも過激で刺激的で公開できない資料があります。面白いのは、「個人の話を出して誰かというのが特定できると、村にいられないからやめてくれ」という人が何人もいます。本人が覚悟を決めたら出しますが、多くの人は覚悟ができていません。逆に、そういうものを出したら体制も批判的だと受け取るので、これもヤマギシ全体の意識レベルからしたら時期尚早だということで、こちらで封印しているものがあります。ですから、最近私が思うのは、ヤマギシと付き合うと木の花のような正直なところでも、正直を出せない場所になっているというのを感じています。

みかこ:だから、議事録でも、今のヤマギシの部分に関しては議事録に載せないように、とすごく気を遣って情報公開しないようにしています。

いさどん:本当は何でも出せるヤマギシとの関係でありたいのです。

安美さん:それは昔から、話したことがすぐに調正所関係者に伝わり、実顕地を変えられたり職場を変わることになったりして、それを出すと実際危ないというのがあります。みんなもそういうことを聞いたり、無意識にみんなで抱えてきたので言えなくなっています。

いさどん:そういう体質が染みついてしまっているのです。それは病気で言えば、結構症状が進んでいる状態です。

安美さん:ですから、病気にはならなくても、そういう人も結構いますしね。それはやはりおかしいと思います。今はないですけど、「ヤマギシ社会に病気はない」ということで、昔は病気になっても病気ということを言ってはいけないというような緘口令が敷かれていました。

いさどん:そんなことも言うのですね(笑)。それは本音と建前の違いが甚だしい話で、嘘の世界です。

安美さん:昔、仲の良かった友人にしばらく会わなかったのでどうしたのだろうと思っていたら、「長いこと入院していたのだけど、病気のことは人に話すなと言われて言えなかったんだ」ということでした。手術の日にご主人以外付き添いもなく、かなり精神的に厳しい状態だったみたいで、そのことも村を出る要因の一つと聞いています。

いさどん:みかちゃんのガンはブログにして出していますよ(一同、笑)。

みかこ:ヤマギシは問題事を悪いこととしているけれど、ここでは問題事はそこから学ぶために神様がわざわざそういう世界をつくったという捉え方をしています。たとえば、怒ってはいけないとか病気はダメということではなく、病気が出たらその奥にある問題は何だろうと解明して学んでいきます。怒るということについても、なぜ自分が怒るのか、それにヒットするのかを見ていきます。そうやって、奥の根本を探ることで超えていくということをしています。そもそも問題は歓迎というか、そのように学ぶためにつくられたものと思っています。

いさどん:問題は歓迎といっても、わざわざ辛いことが起こるようにとは思いませんが、起きてしまったことに対して排除してしまうのではなくて、それは素直にいただいてそこから学んでいこうとする前向きな姿勢が大切なのです。それはやはり、同じ理念だとは言うものの、現実に落とすときには随分歩みが違います。そこを学ばないといけないのですが、まず、学ぶという姿勢がないのです。

みかこ:必ず人間にはハードルが与えられます。私がガンだと言われたときもうっとしました。何かというと、私個人のことというよりも、ここはガンや病気をつくらない場所であったはずなのに、ここのメンバーがガンになるということは困ったことだと思ったのです。いさどんブログ「充実した人生を生きるために」にも詳しく書いてありますが。しかし、なったものはなったこととして、これは私の心の構造がつくったものであるし、それが木の花に表れたというのも事実だと受け止めました。

いさどん:それを認める潔さが大切です。

みかこ:そこをどう振り返り見つめて、どう未来に次の種として撒いていくのかということですよね。今までと同じ種をまた撒くのか。そうすると、今までと同じような問題を起こす未来が待っているのは明らかです。それを学んだときに、未来にどんな種を撒いていくのか。日々、私たちは常に種を撒いているのです。

いさどん:みかちゃん、ここで1曲歌わないといけないね。それしかないよ。

みかこ:昨日のコンサートでは「あなたは私 私はあなた」という「いのちの泉」を歌いました。これは理想の世界ではあるけれど、それをするためにはその前にこの歌が必要なのです。

いさどん:すごく豊かだなと思うのは、日々の生活があって、それを読み解く地球暦があったり、それを表現する音楽があったり、それを表現する生活そのものとしての子育てがあったり、精神性があるというのは豊かです。精神性と生活が本当に一体となって日々がある。そうすると、休みがほしいとか、お金がほしいとか、あれが食べたいとか、そういうことはどんどん消えていきます。

安美さん:穏やかな生活だと思います。

いさどん:そうです。それと、誰も日々の生活の中に不安や不満を持っている人がいません。本当に淡々とそこで事が進んでいきます。だから、木の花で理想を見たということで帰ってもらいたいと思います。ヤマギシと木の花を比べての違いというよりも、「私たちもあれを目指していたんだね」と。気づいた人からその旅を始めるというところにつながったらいいと思います。別に木の花になれ、と言っているのではありません。それに最終的には、最初にヤマギシから木の花を訪れたりっちゃんが言っていた、「ヤマギシも木の花もない、地球ファミリーだから一緒にやっていく」ということです。私たちは常にその心がありますが、ヤマギシの人たちはまだまだ区別しているのです。今回、ヘリオセンターを建てるにあたって、大工さんの応援をヤマギシにお願いしたのですが、今までヤマギシからの提案を私たちが拒否したことはありません。それどころか、難しくても、どうやったら実現できるだろうと考え、実現できるように努力してきたのですが、ヤマギシの人の中にはいかにそれを断るかということを考えるような人もいます。努力している人がいても、大切なこととしてつなげていくという意識が薄いと思います。だから、流れの悪い一体を表現しようとすると、出来あがったものが良くありませんから、もうやめましょうということで私たちだけでやっていくことになりました。それはこちらに都合が悪いということではなくて、ヤマギシが徳をなくすということです。損得だけ考えているから、徳を積み上げることができません。私たちは慈悲や愛のベースになっている徳を考えていますが、ヤマギシのベースは損得の得になっています。そこに気づかないといけません。さあ、みかちゃん、歌ってください。

♪この世界をつくっているのは

毎日 毎日 たくさんの出来事の中で
いろんな感情が 私たちの中にやってくる
どこからか やってくる このたくさんの感情を通して
私たちは 心という 宇宙を学びつづけている
もしそこに 不幸や対立が あったとしたら 1人1人が
その種を自分の中に見つけて とり除いてゆくならば
この世界は 変わってゆくだろう
それが この世界の仕組み 宇宙の仕組み

あなたと 関係のない 誰かが この世界をつくり
あなたから 自由や創造を うばい続けて いるのではなくて
宇宙の光の分身である 私たち1人1人が
この世界をつくっている そのことに みんなが気付いたならば
自分につながる 全てのいのちのつながりを傷つけない その為に
あなたが発する想いの全てを 今から変えてゆく それだけで
この世界は 変わってゆくだろう
それが この世界の仕組み 宇宙の仕組み

まいた種をかりとるのは 1人1人の責任
みんなでまき続けた種が 今もこの世界をつくっている
心の中に いろんな想いの種をみんなかかえている
何もかも 誰かのせいにすることはできない
ならば 

あなたはこの世界にどんな想いの種をまきますか
そして この世界に どんな花を咲かせますか
この世界をつくっているのは この世界をつくっているのは 私たち

いさどん:今日は歌があるといいなと思っていて、曲はこれだと思っていました。そうしたら、打ち合わせはしていないのに、みかちゃんがこの歌を歌ってくれました。これが以心伝心、一体ということですね。

安美さん:そうですね。私は昨日の朝起きてから頭が痛くて、これからどのように生きていったらいいのかを考えていました。今日の面談ではすぐに姓名判断に入るのかなと思ったのですが、はじめに色々と話してもらって良かったです。ありがとうございました。

いさどん:個人を読むということはすごく大切なことで、地球歴や家系図など色々な方法がありますが、とかく人は自分の都合の良い世界を求めるために読んでもらいたいと思うものです。しかし、個人というものを指標として読むことはいいのですが、その目的は自分の本当に目覚めて、世の中のために生きることです。それを歩み始めたときには、個人というものを知らなくても、逆にその純粋な心が理想の道に導いてくれるのです。何でもそうですが、使い方を間違えると有効なものが問題になり、問題でもその奥にあるメッセージをしっかりと受け取れば、問題事が私たちに素晴らしい道を与えてくれることになるのです。ですから、いつでも学ぶという姿勢が必要なのです。あとは、私たちが何のために生きているのか、という自らの存在を常に問うことが大切です。できれば、胸を張って真理に向かって真っすぐ正攻法で歩んでいきたいと思います。

安美さん:私もこの年になりましたから、どう死ぬかということも少しは考えますね。これでいいのか、と最近考えます。

いさどん:同じ世代として、ぜひやってもらいたいと思います。やはり世のため人のためになりきることだと思います。

みかこ:私はいさどんから、「こういう歌を歌っているということは、そういう世界に気づいているということ。しかし、その生き方をしないということは、知らなくてやらないより、知っていてやらないというほうが罪が大きいんだよ」と言われたことがあります。

いさどん:知らなくてやらないのは罪ではないのです。それは段階が低いだけのことですから。しかし、知っていてやらないのは罪です。それは全く違うのです。ですから、ヤマギシの村人として参画して意識を持っているのにやらないのは、罪人なのです。そこを意識してやらないと、道を歩む人は歩んだだけ、自分のためではなく社会に責任があるのです。「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり。」だから、尊い道は自分のために生きる道ではないのです。

みかこ:木の花の人たちはわざわざ自分の垢を大人会議で出して、「こんなことを学びました」とか「自分ではわからないので、みんなのアドバイスをください」と言い、それを議事録にまでして配信しています。それは自分ひとりだけの学びではなく、そういう世界を知らなかったり、そこで同じ問題を抱えて立ち止まっている人たちのためにもやっているのです。

いさどん:ここの大人会議は議事録を通して、ヤマギシをはじめ、沢山の外の人たちにも参加してもらっているのです。プライバシーのような情報まで出しているのですから、ヤマギシでは絶対ありえない話です。運営研や調正所の話をオープンにしているようなものですから。しかし、調正所はそこでの話をオープンにしていません。ここでは個人のことすらオープンにしています。それは覚悟ができているし、気持ちの良い世界を目指しているからです。

みかこ:だから、晴れの日ばかりではないし、雨の日や嵐の日も公開するのです。しかし、日は続いていくので、それがまた解決されていく様子もすべて見てもらうことで、「こういうふうにして超えていけるんだ」ということを議事録を読んでいる人たちも味わえるじゃないですか。常にオープンなので、その日限りのゲストでも発言は許されています。

いさどん:ここのことがよく理解できていない人でも、それこそ発言することを許されているのです(笑)。

みかこ:話の流れがわからなくて、ぽっとその場に居合わせた人でも発言はできるのです。

いさどん:それはヤマギシの中では考えられない世界です。

安美さん:考えられないですよ。全員が参加ということもないですし、一部の人しか参加できないですし。

いさどん:それこそ、いきなりゲストが来て、それもここのことをよくわからず、知り合いに連れてこられた人がここの過激な大人会議を見て反応していても、発言できるのですから。それはものの見方として多様性を認めるということでもあります。それすらもみんなが受け取って、それをどうとらえていくのか、という学びにします。その覚悟はオールメンバーの域に達しています。

みかこ:それは私たちが木の花を所有していないからです。ここがどう思われるのかということではなく、私たちが学んでいる姿をオープンにして共に学びましょうということなのです。だから、私のガンのことでも世の中ではガンの人が沢山いますよね。それはメッセージにあふれていて、それをどう受け取るのかということをオープンにしていったら、そのことで何人かの人のためになると思うから、こうやってオープンにしているのです。

いさどん:ということで、これを機会にまた新しい年が来ようとしていますし、意識を新たにしてやっていきましょう。これは私たちのためではなく、それぞれ自分のためであり、世の中のためであり、そういうネットワークをつくるという意味で、改めてまたよろしくお願いします。

ようこ:最後にひとこといいですか?最近私は涙もろくて、今日もいさどんの話を聞いたり、みかちゃんの歌を聞きながらほろっと来ていました。最近は自分の中で、宇宙の始まりから今にいたるまでとか、人類が誕生してから今にいたるまでが、自分がこの世界を創造した側になって走馬灯のように駆け巡る瞬間があります。この面談中もそうだったのですが、ようやく人類はここまで歩んできたんだ。この歴史の積み重ねひとつひとつに、私は人間として地上にいるばかりではなかったのですが、それがさーっと流れてきて、こうやって高い能力を与えられた人間が、その知恵や能力を心磨きやみんなとつながってこの世界の側に立って生きていくというステージにようやく立ちつつあるんだな、と感慨深くなっていました。

いさどん:そうだね。その高い能力を生かすということ、その道に歩み出すということです。今まではその高い能力を人間の側に使ってきたのだけれど。

ようこ:人類史上初のこれだけの数の人間が地球上にいて、これからつながっていくというのは、本当にドラマチックな宇宙劇場を生きていくのだと思っています。そして、それは苦しむためにあるのではなく、楽しむためにすべてはあるのだと思うと、どんな問題事も喜びに変えていけるから、面白い時代を皆さんと過ごさせてもらっているなと思います。縁あってつながった人たちと共に歩めることを楽しみにしています。

いさどん:その時その時が出発点ですから、ここをまた新しい道の出発点にしましょう。今日はどうもありがとうございました。新しい年にあたって、心新たに歩んでいきましょう。

★後日、安美さんから以下のようなメールが来ていました。

私は木の花から帰ってきてから、私が頑なな心になり周囲の人たちと垣根を作っていたなと気づきました。ある日、お風呂の前の廊下の椅子に座っていたとき、出てきた2人の人たちににこっと笑いかけたら、その一人が「あらっ、安美さんって笑ったらいい顔をするのね。黙っているときは怖いけど」と言いました。そうだな、私の笑顔は素敵と昔よく言われたなと思いだし、自分を振り返ることが出来ました。その後、家研にも出て、ふりかえり研には努めて行くようにしています。先日、愛和館にも何年ぶりかで入りました。(持ち帰りコーナーから貰ってくるのを忘れたので。今までなら、もう無しで済ませていました。)私がこの実顕地の重たい空気を作る一役をやっていたと気づいたのです。これからはいつも笑顔の私でいられるように、心を開いて生きたいです。

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目覚めよ

2011 年 12 月 30 日 コメント 4 件

★この投げかけは、できればヤマギシの村人全ての人に伝えたいメッセージです。これに共鳴する人は、村人、会員さんなどの関係者にできるだけ多く伝えられるよう努力して下さい。

この1年のヤマギシのみなさんとの出会いを通して、今朝目覚めたときに、自分は何を伝えたいのだろうか、と思っていました。私は基本的におせっかいはしたくありませんが、何かの縁があって互いの関係がそこにあったわけです。今から10年以上も前に、ヤマギシで生まれ育った増田望三郎くんがここへ訪ねてきました。それまではどちらかと言うと、評判の悪いヤマギシというのが私たちの頭の中にありました。愛知県の尾張一宮の真澄田神社の商店街の通りに、ヤマギシの移動販売車が止まっているのを見かけたことがありました。その車を見て、お客さんに直接届けたり、定期ルートをまわりながら販売するということをやっている人たちもいるんだ、と思った記憶があります。それがヤマギシというところという情報はありましたが、全体像はわかりませんでした。聞こえてくるヤマギシの情報、たとえばバスで子どもが亡くなったとか、学園の申請が反対運動のため却下されたとか、そういったことは一般の情報としては来ましたが、私は一般の情報を鵜呑みにする人ではないので、自分が出会わってみないとわからないと思っていました。

そのようなときに望三郎くんが木の花を訪れ、ヤマギシの情報を伝えてくれました。しかし、それよりも、木の花のことを彼が自分のホームページで発信したものですから、それにヒットしたのがヤマギシの会員さんたちでした。今ここのメンバーであるヤスエさんもそのひとりですし、ここのNPO法人青草の会の仲間であり静岡に住んでいる忠さんという人もヤマギシの会員さんであり、よく村人にならなかったねというくらいとても熱心な人です。それから、青草の会初代の副会長をしていた藤本さんという歯医者さんや、会員でも有名な戸隠そばの津村さん、東京方面では道越さんなど、会員さんでも10数名の人たちがここに集まってきていました。彼らは、「ヤマギシの村に会員が投げかけても、ヤマギシの人たちは会員の提案を聞かない」と言っていました。彼らはヤマギシの村人にはなりきれない人たちですが、全人幸福運動を広めたいという心はあるので、自分たちも関わりたいという人たちでした。それで木の花と出会い、「菩薩の心を持った人たちが集まって村づくりをする」という考えを聞いたわけです。私は30年ほど前にはその村のことを「菩薩の里」と呼んでいました。それはヤマギシの青本で示されている、オールメンバーの精神を持った人たちが暮らす村ということです。青本では10人のオールメンバーと言われていますが、本来10人と限定する必要はなく、全ての人がオールメンバーであるべきなのです。木の花で言うと、全員が菩提心を持った菩薩であるということです。そういう考え方でここが成り立っていたものですから、会員さんたちはその在り方に共鳴して、青草の会というNPO法人が立ち上がることになりました。そこに集まって多くの力を注いでくれたのがヤマギシの会員さんたちだったのです。

当時、会員さんの中からもヤマギシの矛盾について話が出ていました。共鳴するところとできないから一緒にやれないところ、それから会員の賢明な提案を取り入れないヤマギシの体質がありました。それで、私はヤマギシの村の人たちに会ってそういったことを問うてみたいと思い、ヤマギシのリーダーにコンタクトを取ってほしいと言ったのです。今から10年以上も前のことです。そうしたら、会員さんたちは「ヤマギシにはリーダーはいません。全体で動いているから、リーダーという人がいない体制です」と言うのです。しかし、そういうふうに建前では言いますが、「実態は、何かを表明するときに誰かが代表して語らないような組織は社会的にはないのですから、いるはずじゃないですか」と言った記憶があります。それで、よくよく聞いていくと、「実はいないわけはなくて、います。その人は北大路という人です」と聞きました。当時の私が受けた印象としては名前が北大路だから、巨大な人間というふうに受け取りました。また、会員さんから言わせると、「雲の上の人で、私たちが声をかけて話ができるような人ではありません」というような印象だったようです。何とか彼とコンタクトが取れないかということで、何人かの会員さんが呼びかけはしてくれたようです。しかし、まったく反応が返ってこないという状況でした。

それから10年が経ち、昨年の11月15日に初めてヤマギシの村人が木の花を訪れるに至ったのです。(私が村人でそれまで出会ったのは望三郎くんと彼と一緒に来た二人の男の子だけで、それ以外で村人に会ったことがありませんでした。)それから、よりどんと寛ちゃんという実質的にヤマギシのトップがここに来ました。二人と話をしたときに、「こういう特殊な生き方をしているもの同士として色々と苦労がありますよね」という話をしました。そのときに、「木の花さんの苦労は、私たちの苦労に比べたら小さいですよ。ただ、これが100人、200人になったら、ヤマギシの苦労もそのうちわかるでしょう」と言うので、「それはわかりませんよ。なぜなら、ヤマギシが先にあるということは良いにしろ悪いにしろ見本であり、それを私たちは無駄にしないからです。ヤマギシの轍を私たちは踏みません。それよりも、私は10年も前からあなたたちにラブコールを送っていましたが、その反応が返ってきませんでした。ということは、あなたたちがすべて正しくて、他者は受け入れない。全人幸福と謳っているわりには排他的な世界をつくり、批判を受けることになって、それで警戒心が強くなっているのかもしれませんが、私たちはあなたたちの追い風です。追い風と言っても、変わりもの同士で理念が合うから、と自分たちのために手を取り合っていくのではなく、やはり世の中に理想をもたらすための追い風でありたい。ヤマギシ、木の花を抜きにして、世の中で理想が成っていくときに、それをやりきったものとして見本となっていけば、それがヤマギシの価値であり、私たちの価値になります。そういう意味で、結果として追い風になるということですよ」と話をしました。二人は大変共鳴してくれました。その気持ちに私たちは今でも変わりはありません。

ところが、1年前に話し合ったその共鳴は、1年を振り返ってみると、ヤマギシにとっての都合の良い出会いにしたいところがあり、本当の全人幸福のための出会いには今のところ育っていません。ヤマギシズムに目覚めていないヤマギシの体質が見えてきました。個々の人たちには共鳴している人たちが多くいますが、その人たちもまだまだ世界観が狭いのです。だから、個々の人たちでヤマギシの体制に対して批判的な人たちの中には、自分が生き辛いから批判的になって、木の花と共鳴している人もいるのです。それから、自分は今のままで良いと思っているから外のことはどうでもいい、だから木の花について無関心だったり、批判的になっている人もいます。さらに、リーダー的な人はどうなのかというと、現状のヤマギシに対してこれではいけないという賢明な発想を持っているからこそ、木の花から色々と刺激をもらいながら、ヤマギシを本来の姿に改革していこうとしている人もいます。しかし、ヤマギシを自分たちの都合良く保っていきたいから、都合の悪い人を全体のために動く人にしてもらい、ヤマギシの体制づくりに利用したいという人もいます。それぞれの思惑の中で動いているのですが、残念ながら青本の一番大きな看板である「全人幸福」を意識して日々を生きている人はほとんどいません。私としては木の花においでになる人たちに対して、引きこもっている人や鬱病の人など優先順位が高い人から声をかけているのですが、その最終的な目的はひとりひとりを健康にすることです。ヤマギシズムは高い理想のもとにあるのですが、その解釈が違っていると、現実がそれに伴ってこないことになります。霊的に私が山岸さんの存在を感じてみても、青本の表現からしても、山岸さんの個性は隋所に表れていますが、目的は私たちと同じです。イズムでも法華経でも、世の中に全人幸福をもたらすための精神を広げていければ何でもいいのです。世の中にオールメンバーを広げていく、村から町へ、というのも考えとしては立派ですが、現実が伴っていなければ意味がありません。

そういったことを日々誰もが意識して暮らしながら、外とのネットワークの中にもヤマギシズムがあるという意味では、木の花と出会うということは大きな意味があります。大人会議に参加していただけばわかると思うのですが、私たちが一日一日をいかに大事に生きているか。そういったことからしたら、私はよく一般社会の人やここの子供たちにも伝えるのですが、携帯電話が欲しい、ゲームがやりたいと生きていくことはいいけれど、ただ感情を垂れ流しのように出るに任せて一日が終わってしまった、1ヶ月が経ってしまった、1年が経ってしまった、10年が経ってしまったでは生きている意味を忘れてしまっている状態です。それは自分を磨くとか、この世界のために自分が生かされているとか、それが本当の大事に目覚めるということですが、我執にとらわれてしまい、我執の流れに溺れている状態なのです。「それではダメだよ」と私は子どもたちにも伝えます。ところが、ヤマギシの村人を見ていると、そういう人たちが沢山いるのです。あの高い理想のイズムに共鳴して参画したという意識は、どこへ行ってしまっているのでしょう。それどころか、そんなことは忘れて外で生きていくことに自信がないから、ヤマギシでだったら不満を持っていても、多少不自由でもぬるま湯だから、というような人まで現われてくるようになっているのです。「そういった人も含めてみんなが暮らせていければ、それもある意味社会の見本だ」とある人は言うのです。しかし、それは全人幸福という理想の看板からしたら、見本にも何にもなりません。山岸さんは、ヤマギシが世の中のモデルとなって、時代が理想になっていくための推進役としての位置づけや村人の立ち位置を示したはずです。ところが、意識があろうがなかろうが、ただ飯が食べていければいいということになれば、産業が優先されるばかりになりますから、イズムの理念はどこかに行ってしまいます。そういう大人たちが研鑽学校や特講に人を集めたとしても、若い人たちにイズムが定着していかないことになります。ただ、親がやっていたからそこに残っているだけになります。ですから、意識の高い若者の多くは外に出て行ってしまうのです。新しい時代に沿って扉を開こうとする人たちは出ていくことになります。そうすると、残るのは親がいるからとか、食べていけるからとか、そういう意識の人が多くなってしまいます。そういう意識から脱却できない人たちにイズムを受け継がせるというようなことでは、とても新しい風が吹いて、全人幸福のための実践の場は現われてきません。

私の中にはそういったヤマギシの現実と出会って、どこかいらだたしい心があります。反応が鈍いというか、覚悟がないというか、往生際が悪いというか。しかし、それも私自身の人間性からしたら、そんなところでいらだつような人間ではいけないものですから、そこではしっかりと自らをチェックします。そのいらだたしいという心は自分のスタンスを優先して、ヤマギシというスタンスを尊重していないということですから。私たちは押しつけはしません。縁があったのだから、縁があったように情報を伝えて刺激役に徹します。みなさんの歩みを尊重しますというスタンスを常に取っていますし、現実にそういう姿勢でいるわけです。しかし、だからといって、鬱病や引きこもりの人たちのように、「あなたのペースでいいですよ」とそのまま任せておいたら、ずっとその人のペースになってしまい、それで10年も20年も不健全な状態でいくわけですから、時には刺激を与えたり、「それではダメですよ」と伝えもします。そういう意味でも、ヤマギシと木の花は縁があったわけです。いわば引きこもりなのか鬱病なのか、それとも病気は出ていないがへそ曲がりで人間関係が難しいのか。人間の肉体的な病気で例えれば、ヤマギシはある意味糖尿病みたいなものです。精神的な意味でも、肉体的な意味でも、病んでいる状態です。自らが病気であるという認識は少しはあるかもしれませんが、それに対してしっかりと対処していこうという意識が足りない、だらしのない状態です。ただ、心を病んでいるとしたら、病んでいる分だけ意識は高いとも言えます。心を病むほど、そこに向ける意識があるのですから。それから、体が病むほど豊かであるとも言えます。ある意味、ぜいたく病ですから。そういうことに自覚を持って目覚めてもらいたいと思います。ヤマギシと接するということは、アル中やニコチン中毒、引きこもりや鬱病の傾向のある人と接しているようなものですが、個人と接するよりヤマギシの中には色々な人がいるものですから複雑になってくるという状態です。それについては、私がこういった話を投げかけて共鳴する人もいれば、そうでない人もいて、時間もかかるのでしょう。では、今何が必要なのか、と考えたときに、その人たちが己の本来の健康の仕組みを持っているのに、それを忘れていたり実践しないでいるということですから、こちらの概念を押しつけずに関わりながら、どのように自らの本分に目覚めていくのか、という役割をさせていただいているのだと思っています。これは長期ケアプログラムのようなものです。そのために、ひとりひとり出会った人に、「何のためにヤマギシの生活を村人としてやっているのですか。もともとあなたはどうして参画したのですか。あなたの中にイズムに共鳴して高揚したときがあったはずです。しかし、それはもう色あせてしまって『私には関係ない』ということなのですか。それなら、あなたは何のために色あせてしまった日々を過ごしているのですか」と問いかけるのです。

人間本来生命ですから、生き生きと活性しながら日々を生きていくことが健康ということです。活性するということは、古いものを捨て新しいものを取り入れ、常に変化し進化し続けるということです。「生」き生きと「活」性するということが「生活」というものであり、日々のいのちの姿です。それが本当の宇宙生命として顕現した人の在り方なのです。宇宙は大調和で成り立っていますから、他者とつながり、「あなたは私 私はあなた」と自他を区別しないということです。そこでは我執が消えてしまった菩提心、慈悲の心、キリスト教で言う愛が表現されることが、本来のヤマギシズムの村人としてあるべき姿なのではないでしょうか。それが一部分の人たちに操られているようなことでは、不健康体を生きることになります。ひとりひとりが全体の細胞ですから、その細胞一個一個が健康になり、そのネットワークが実顕地でありヤマギシという村であるのです。地球上にあるひとつひとつの細胞はつながり、とても重要な役割を果たしています。特に人間という細胞は、他の生命よりも全体に対して影響が大きいのです。場合によっては、人間というものは両刃の剣であり、優秀であるがゆえに問題の発生源にもなってしまうのです。今の人間は地球にとってガン細胞状態であるとも言えるのです。しかし、私たちは元々正常細胞であり、生命の単体としては地球のリーダーなのです。他の生命が健康でいられるためのリーダーシップをとるべきものが、今ガン細胞化しているのです。そのリーダーシップのひとつの見本として、ヤマギシズムという仕組みや村人という一個一個の独立した意志であり、それが菩提心を持ったオールメンバーということです。そういうことに本来共鳴したからこそ参画していたことをひとりひとり思い出してもらい、村の中で目覚めの人たちのネットワークを構築して村が変わっていくことが今、求められているのではないでしょうか。

ヤマギシズム一体生活の場は主権在民であり、民主主義の場であるべきです。ところが、時々民主主義の場を感じられないことがあります。多面的には民主主義だというのですが、一部の民衆が腐ってしまって不満分子になり、閉塞感すら感じられる人がいます。(ヤマギシの村人の中には、自分のことを平民と言う人もいます。)その不満の人たちに目覚めてもらい、そのネットワークを構築していくことが大切なのです。民衆の心が離れた組織や国家は絶対に成り立ちません。そうすると、民衆が蜂起し、ひとりひとりが目覚めることが健康になるコツなのです。アラブの春という革命が今年ありましたが、今、時代が変わっていく流れにあるのです。マヤの暦が来年終わり、次の新しい暦(地球暦)が生まれて来ているぐらいの時代ですから、リーマンショックや震災、原発事故や世界的な金融システムも今、崩壊しようとしています。そして、エネルギー革命も今、起きようとしています。国内のみならず世界中で色々な革命が起きようとしているときに、50年も前に先人としてヤマギシズムの旗を持って先頭を切った人たちが、今頃になって本分を忘れているようではいけません。みなさんがやっと世の中の見本となれる、あなたたちの時代が来ようとしているときに、その波に間に合わないようなことでは本末転倒です。うさぎと亀でいったら、うさぎのようなものです。早く走り出したかもしれませんが、自分たちだけが優秀で余裕があるからといって、そこで寝ていたら、世の中に追い抜かれてしまいます。「ヤマギシの人たちは、まだそんなことをやっているのですか?」と逆に世の中から言われることになりそうではありませんか。

今、どちらかというと腐って批判的な人たちがヤマギシの中にはいます。腐っている人たちは興味がない、批判的である、そしてヤマギシの中に希望を見出せない人たちです。しかし、その人たちがなぜそのようになってしまったのかといえば、ヤマギシの中に理想を見出せないからです。さらに、見出せないどころか、そこにいなければいけない事情があるのです。縁であり、その人の個人的な問題も色々とあり、そこにいないといけないときに余計腐っていくのです。自分が村にいながらにして村を腐らせている元になるのか、意識が変わり当初の精神に戻ることができれば、これは新しい風を吹かせる元にもなるわけです。その人たちが意識革命を起こすことによって、体制は必ず変わっていくのですが、そのことにみんなが気づいていません。それは希望がないからです。横のネットワークがないからです。ですから、私は木の花を訪れる人たち、特に「本当のことを言うとね、いさどん。村の中では言えないけれど、内情はこうなんです」と言う人たちには、「そうすると、あなたは普段本当のことを言わないで生活しているのですか。それが仲良し社会なのですか」と問います。そして、「まずは自分から目覚めましょう。勇気を持って本当のことを言う人になり、それを言っていくことによって共鳴する人たちが集い、ネットワークが構築され、本当がまかり通る、何でも言い合える、そしてみんなが納得できる世界をつくっていきましょう。何だかわからないところで、個人的に影響を与えているもののせいにしないことです。そういった空気があること自体、それもあなたたちのせいなのですから。それは互いのせいであるということです」とひとりひとりに伝えていくことが私の役割だと思ってやってきました。

私は今まで村人に対して色々なアプローチをしてきました。その際、ヤマギシの中でどちらかというと影響力の大きい人たちにもアプローチしましたが、まったく影響力がなくて卑屈になっている「平民」と言われる人たちにもこまめにアプローチしてきました。今ここまでを振り返ってみると、影響力のある人たちは共鳴するとすごく大きな力になるのですが、そういった立場の人たちのほうがヤマギシを所有しています。ヤマギシズムというのは、まず全人幸福、一体社会、無所有です。それが三種の神器のようなものです。そうすると、このヤマギシズムの三本の柱はどの柱も立っていません。無所有と言いながらこれほど所有している矛盾を抱えた世界は、一般社会でもなかなかありません。そのためには、影響の大きな中心的立場にいる人たちに対して、平民と言われる村人たちが目覚めて、そのネットワークの中から今までの苦労をねぎらい、「これまでは私たちがあなたたちをそのような形で必要としてきましたが、これからはみんなでやっていきますから、あなたたちもひとりの村人としての立場に立ってください」と提案する必要があります。みんなの無関心が、そういう人たちをその立場に置いているわけですから。少し時間はかかるかもしれませんが、勇気を持ってやっていくことです。確実なのはひとりひとりがそのことに目覚めていくことです。

こういった内容をヤマギシの誰と共鳴するのかというと、こうやって出会ったひとりひとりにそのことを根気よく伝えていくことが大切だと思うのです。そうやって、時代と共に社会も変わっていくのです。私が愛しているヤマギシに私が執着してこういった話をしているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。真理というものが世の中に開かれるためには、それにふさわしい道をもらっているところがそれにふさわしく見本となっていくことが大切です。時代は変わらないといけませんし、変化していくものです。変革の波が今、色々な形で大きな津波となって押し寄せてきています。それに対して何をモデルとして進んだらいいのか、となったときにヤマギシズムの中にその大事はしっかりとありますし、木の花の生き方の中にもあります。そこのところにみんなが気づいてくれるかどうか、というのが私が今考えていることです。ヤマギシの目覚めはヤマギシの歩みに任せるとしても、目覚めないからといって知らないというのではなく、いただいた縁の分だけはやりきりたいと思っています。気が長いところは長いように、短いところは短いように、付き合わせてもらっています。

私がある人と出会ったときに、「この人は村の中にいながら、ヤマギシに対してこれだけの不満や反発がある。しかし、この人の中にあるエネルギーを本来の目的に向けることによって、本人のためにも村のためにも有効なものになる。しかし、それが村に対して不満を言うだけであるならば、ヤマギシズムから外れて『あなたは私、私はあなた』の一体になっていない」と思いました。そういった人をヤマギシではどのように扱ってきたかというと、それこそそんな人は研鑽学校に行ってもらい、村の都合の良い人にして、村を運営しやすくすればいいということになります。結局、今は研鑽学校がある意味そういうところにもなっているのです。だから、研鑽学校に行けば全体ではなく自分のほうに心を向けさせて、体制の問題には批判的にならないように利用していることにもなります。そういった人の多くは、研鑽学校に行くことを拒否する人もいます。しかし、そういう方法ではなく、恐れずに全体の批判をどんどん出して、問題事を総括していかなければなりません。今のままでは風通しの良い場所ではありません。一部の個人は、研鑽学校に行って気分が良くなるからそれで良くなったと思うようですが、その賞味期限は短いようです。ですから、また元に戻るようなことになってしまいます。そういう構造がヤマギシの中にあることをまず、村人が気づかなくてはいけません。それには外からの目線を取り入れることが大切です。私はそういう人たちに気づいてもらう役割ということで、投げかける立場だと思っています。

ここを1泊2日で訪れたり、中には様子見ということで日帰りで来る人もいますが、それではここの本当はわかりません。2泊3日や3泊4日でもわかりきれませんが、こうやって何回も時間を持つことによって少しずつ理解が深まっていきます。私がヤマギシに対してどれほどの情熱を持っているのか。それはオールメンバーどころか、山岸さんと同じ気持ちでヤマギシのことを見ています。ところが、ヤマギシの人たちはそのことがよくわかっていないのです。自分たちにイズムの意識が足りないということがわからないのです。ここでは「意識の足りない木の花は解散する」と言います。もし私がヤマギシの村人であるならば、大改革を提案するか、それとも解散を提案します。何だかわけのわからない社会の中にいて、不満を言いながらそこに居続ける人たちが何なのかは知りませんが、その人生に何の意味があるのでしょう。この言葉は私たち流に表現すると、「神の計らい」ということになるのです。こうやって出会いをいただき、その役割を果たしながら、ヤマギシに対してというよりも、神様の意志をいただいて神に対してお応えしているということなのです。今朝、そのようなことをみなさんにお伝えしたいと考えていました。

あなたのエネルギーを向ける方向を、ぜひイズム復活のために、世のために「私意尊重公意行」でやっていってもらいたいと思います。そういったものを実際の生活の中でみんなが定着させていくようにしてもらいたいと思います。それは牛に対しても豚に対しても、日々の生活に対しても、大切なのは善意や愛、調和の精神です。それがベースにあるからこそ、健康な産業が育っていくものなのです。養鶏法と言いますが、世の中にすべての実態をあからさまにできないようではいけません。現実には牛や豚の問題でも隠しながら産業優先でやっているわけです。物事の奥にある大事な精神性を反映させていないというのは、ひとえにイズムが浸透していない表れです。こういった実態を通して山岸さんは、「情けない話だが、イズムはそこにはない」と私に言われます。もし今、山岸さんが生きていれば、みんな謙虚に山岸さんの言葉を聞くだろうと思うのです。私が言う言葉だって、山岸さんの言葉と同じです。真理は誰からでも出てくるものです。そういう真理の匂いを嗅いで、やはりそのもとに生きていこうとするのが参画した人たちの本来の目的であり、喜びであるはずです。それが道を歩み出した人々の責務なのです。それが高い精神というものであり、そこまで到達すると、青本で言われるオールメンバーという人たちです。それを仏教では菩提心を持った菩薩、ブッダと言います。表現の仕方は違いますが、同じことを言っています。ただ、今のヤマギシと木の花では実態は違うのです。木の花では未熟ながら、まさしくそれを日々理解しようと努めています。そして、それを生活の中に落とそうと日々専念しているのです。しかし、ヤマギシの人々はそのことを忘れていました。私はここの高校生たちに「日々をだらだら生きていたら、だらだら依存症だよ。ゲームをやり続けて、それで当たり前に毎日が過ぎていったら、それはゲーム依存症だよ」と言います。アルコールでもタバコでも何でもそうですが、依存症になってしまってはいけません。それを自分でコントロールし、健全に表現できて初めて健康につながるのです。それが全体に生かされて組織の健康になり、社会の健康になるのです。すべての人間が他者と自分を区別せずに健全につながることによって、地球の健康があるのです。私たちは人類として、それを担う立場にいるのです。

これをヤマギシとの出会いの1年の区切りにして、新しい年に向けてヤマギシの人たちに目覚めてもらうための投げかけにしたいと思います。

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