アーカイブ

2011 年 8 月 のアーカイブ

ダイナミックに生きるとは?

2011 年 8 月 8 日 コメント 2 件

いさどん:人は目的を見つけると、目的を達成したいと思う自分とそれをやれないと思う自分が同時に存在することがある。そういった制限する自分をとっぱらうと、その人にとって新しい世界に出会う。それをとっぱらうことによって得られる快感を味わうことになる。しかし、とっぱらうことが苦痛になり、自分を守るようではそれを味わえない。ここ数日、自分でも少し感じるのは、思考が上手くまわらない。

ようこ:それはピトピが色々と変化しているからじゃないかな。昨日の夜、いさどんが大人会議に出るのをやめようかなと言ったじゃない?だから、寝る前に上の存在はどう感じているのかと思いを馳せていたら、上の存在は変化を観たいんだよね。例えば、面談でいさどんが相談者に語りかけることによって相談者の心がどんどん変化していくこと。大人会議の宇宙図書館でいさどんが皆の枠を超えた話を引き出されて語ることによって皆が変化していくことを、上の存在は観ている。それがいさどんが生かされ、皆が成長していくこと。

いさどん:それは確かにそうだね。それは今の宇宙の構造だから。もともとこの宇宙は全く変化しない世界だった。そこでは自分の存在すら感じられない、そこにあることが感じられない世界。変化することによって存在を感じられることになる。過去から未来へ、こちらからあちらへというふうに、これは全て変化だよね。変化を感じられるからこそ、自分という存在を確認できる。他者を感じるから、自分という存在を確認できる。

ようこ:そうそう、違いによってね。

いさどん:それで、地球を離れた外の世界をずっと観ていくと、変化しているようでほとんど変化していない。私たちの時間基準からいったら、極端に長い時間を表現している。ここの3次元世界だけを認識している人間にとって、その世界は安定しているように思えるかもしれないが、そこには何の基準もない。そこでは自分の存在をはかれない状態で、ただ、循環があるだけ。その約束されたサイクルの中で変化する。瞬間瞬間から、1時間、1日、1カ月、1年、人間でいったら一生、そういうサイクルを創っているにすぎない。私たちのいる地上では、そういった巨大な宇宙の縮小版を表現していることになる。私たちはその縮小された場所を舞台として、そこに立っている。そのカラクリを知っているものと知らないものと色々といる。それから、それを創った側のものたちがいて、私たちを観察している。それは知っているものの立場として観察しているものと、知らなくて観察しているものの両方が存在している。

ようこ:そうそう、私たちと一緒にカラクリを学びながら「なるほど」と感じているものたちと、私たちがカラクリに気づいていく様子を見ながら、さらに私たちがカラクリに気づいていけるように次なる現象を創り出していくものたちがいる。

いさどん:私たちを導いているものたちということになるのか。ようこちゃんが上の存在に心を向けるようになって、そこへ周波数を合わせる能力が高くなったから、そういった意志を受け取るようになった。ただ、ようこちゃんが受け取ったものをそのままようこちゃんが話しても、皆がぽかんとするから、それを僕が人間レベルの周波数に合わせて通訳すると、より皆が理解できる。

ようこ:私の中ではそれがあまりにも明快だから、そのまま話すことしかできないんだよね。

いさどん:その明快さは、特定の人にしか理解できない明快さだから。

ようこ:それを体験した人とか、想像できる人とかね。以前は無意識にそういう世界に行っていたけれど、今は自分で周波数を変えながら、今は地上よりにして大人会議でコメントする側になろうとか、今は上よりにして宇宙に情報を発信する媒体になりきろうとか楽しんでいる。

いさどん:瞬間瞬間変化する世界。その変化を恐れない。最初の話に戻るけど、ひとりひとり自分というものがあるでしょ。本来この世界はまったく立ち止まることがない、変化する世界。そこには特定した自分がないということが真実なのである。それが自我というものを持ったがために自分を守ろうとする力が働いて、変化することを恐怖に感じてしまう。だから、守ろうとする。しかし、実際には変化させようとする出来事が起こるのだから、守ろうとする心が実際に起こる出来事に対して恐怖を感じる。その恐怖を感じる基準はそれぞれにあって、ほんの少しの変化でも恐怖に感じる人もいれば、沢山変わってもそんなに恐怖を感じない人もいる。さらに、自分流に変化したいと思う人もいれば、自分自身の変化を喜びに感じている人もいる。変化をすることを恐れず楽しめる状態になったときに、この宇宙全体の大きな構造、変化していく世界を創った目的に沿っていることになる。しかし、その流れに抵抗するというのも、変化することを味わうためのプロセスである。だから、あるところから観ると、すべてが楽しみだという世界。そういったカラクリに気づいたものは、それに翻弄されずに楽しむ側に立つことができる。それに気づかないものは創られた側にいる。創った側と創られた側。それは構造的には本来区別がつかないものであるが。

自然を観ると、土、バクテリア、植物、動物、そこにありとありとあらゆる生命が絡んで、形を変えながら循環している。それ自体が変化する世界にあるけれど、そこから広く視点を離れて宇宙のサイクルで捉えると、その循環をぐるぐると繰り返しているだけで全く変化していないことにもなる。それが太陽系、銀河の構造。小さい視点で捉えると、形状が変わって変化しているように見えるが、それをもっと大きな視点で捉えると、ただのサイクルの一部にしかすぎないのである。ただ、そのサイクルも今が何サイクル目かとカウントしながら進んでいると考えると、変化しているということでもある。そういう太陽系や銀河のようなスタイルを細胞のようにして集合させている宇宙全体があって、そこには意志がある。その意志は一体何を表現したいのか?しかし、それはただそこにあるだけである。僕はその意志をつかもうとしたのだけれど、それをつかまえる必要はない。それがあってあるもの。そして、その意志はつかまえられない。なきてなきものである。

ようこ:そのカラクリに気づくと、上とつながって、変化も何でも楽しめる。

いさどん:そこで、視点をずっと身近なところに持ってきて、人間が自身に執着している状態を星のスケールで捉えると、星にも意志があって自分を認識しようと思ったときに、星にも我があって、こういう姿になりたいと思う心があるだろう。

ようこ:あるだろうね。違いや個性を我とも言えるしね。

いさどん:そして、それを願う星の魂が地球上に現れたことになる。僕はここ数日の自分に対して不満足だった。それは皆に自分の想いを上手く伝えられないことに対してのいらだちがあった。それはひとりひとりがその人にふさわしい歩みをしているときに、他の人が「これはこういうことだよ」とヒントを与えることはできても、その人に代わってあげることはできない。材料を提供するだけなのに、詳しく伝えようとする心が働くと、不満足が発生する。僕は今、そのことを感じたから、早速修正している。

ようこ:上の存在からすると、いさどんが言葉で上手く伝えようが伝えまいがそれはささいなことで、いさどんが揺るがない心をベースに人の変化、成長を促す存在としてここにいることが意味があることだから。

いさどん:変化するということには秩序というベースがないといけない。つまり、揺るがないという秩序を持って変化をしないと、単なる不安定になってしまう。揺るがない状態がベースにあるからこそ、安定して変化するということができる。変化しない状態を保ちながら変化するということが大切。それが先日大人会議で語った確信の話。しかし、多くの人には確信の話がまだまだ確信にならない。

ようこ:私は今朝いさどんと話をするまでは、いさどんの大きな役割は揺るがない、ぶれないことだと感じていたけれど、今こうやって話しながら、それプラス、いさどんは誰よりも皆に変化することを促す存在だと改めて知った。そのふたつは表裏一体のものだよね。

いさどん:ぶれないことは変化するベースにあるのだからね。例えば、心のシェアで「こんな失敗をしました。こうこうこういうことで反省しました」と言うとする。そこでどうアドバイスするのかというときに、そう思ったのであればそれをやめたらいい、とたったそれだけのこと。そうやってとらわれない変化をすればいい。

今もこのように難しく考えて、頭の中で思考を展開させているでしょ。物理的に形を持っているものにとっては、ただ話しているだけに見えるのだけれど、それは気づきというものを得ながら大きな魂の変化を伴っているわけだ。それを上の存在は観ている。そうすると、何も変化していないようで、これは大きな変化をしていてダイナミックな世界であることがわかる。逆に、ここのとらわれ世界で右往左往したり迷いの行動をしていたとしても、それは全く変化していない世界ということにもなる。人間たちは形にばかりとらわれて、変化しないものが多い。「何のためにおまえたちはその形を取っておるのじゃ?」と問われることになる。その目的は、形にももちろんあるのであるが、形の奥にある心の変化を表現することが一番大切なことなのである。それでは悟れない。

ようこ:悟りは境地ではなくて、変化し続けること。

いさどん:そう。変化し続ける中に身を置いて、変化し続けるものになりきるということに意味がある。昔、僕が神様にこんな質問をしたことがある。「この世界には法則があり、それに基づく仕組みがあります。どんなものにも存在する限り、目的があるのですか。この世界の存在する目的は何なのでしょうか」と問いかけた。すると、「その質問は私には答えられない。それは宇宙根源を司る神の意志である」と言われた。そこで僕は、「えっ、神様でも答えられないことがあるのですか?」と問うたら、「そなたは神を完全と思うておるのか」と言われた。それで、「神様が完全ではないとしたら、私は何を持って完全を求めていけばいいのでしょうか?」と聞いた。そうしたら、「神とて完全なるものはひとりもいないのである。神とは学び変化し続けるものである」と言われた。それで、「それでは私は不完全である神様の道をいただきながら、学び続けていけばいいわけなのか」と思った。その時に、神というのは絶対で不動なものであると思っていたから拍子抜けしたのを覚えている。完全なものがあるからこそ、その完全を目指して行くという希望が湧く。ところが、のれんに腕押しみたいな答えが返ってきたのである。でも、それが最終の回答、完全な答えなのだと思う。つまり、神の実態(この世界)は変化し続けるもので、特定できないものなのである。これは今から20年も前のことだった。これは自分の中では十分に理解していなかったけれど、今、それがわかった。あの神様はすべての中心の神ではなくて、ある特定の位置から出てきた神様で、こちらが問うたことに対して答えるのに少し苦痛が感じられた(ようこ、笑)。それは問うたものに対して答えたいという意志と、自らが途上のものであって答えられないという苦痛があったように思う。なんとなく今の自分の気持ちと重なる(笑)。あの時に問われた神様の気持ちは、今の自分の気持ちと同じだ!あーあ、ちょっと楽になった。

ようこ:面白いね(笑)。

いさどん:やっぱり責任感があって、答えなければ、そして問うものがあればそのものに回答を出さなければという思いがあって、その立場に立っていた。それでは楽しめない。無限の知恵の泉からは、場合によっては皆が理解できない知恵も湧き出してくる。だから、説明できないものもあるということを認めればいい。その知恵の全てはまだ理解できていない。しかし、数日前からの自分の思いに対しても、こうやってちゃんと答えが出てくる。結局、おさまるところにおさまる。

ようこ:いさどんと他の人との変化の仕方の違いは、いさどんはこうやって話しながら気持ちを整理しておさめていく。そうやって変化していくのは特異なことだから、それは上の存在たちにとっても興味深いところだよね。他の人だと、色々な人との心と心が刺激し合って活性して変化していくのだけれど、いさどんは自己完結型で自分で語って、私はそれを隣で聞いているだけ。私はいさどんを導いているわけでも、何か思惑を持っているわけでもない。ただ思ったことを言っているだけ。

いさどん:星は宇宙の中でそうやって自己完結している。しかし、それはダイナミックではない。星という存在のスケールはダイナミックだけれど。それが小さなバクテリアの世界のようなこの地球上の世界に来て、ここはスケールは小さいけれど、その変化をすごくダイナミックに表現し味わうことができる。

ようこ:そう、変化は激しい。

いさどん:そこだよ。それが星々が地球上に降りてきたがる要素。

ようこ:いさどんなんて変化が激しい典型だよね。どんどん変化していくから、実態がつかめない。まさに宇宙の仕組みそのまま。

いさどん:ヤマギシの人たちにも色々なタイプがあって、変化しないで守ろうとする人たちと、変化を求めて「変化しようよ!」と言っている人たちがいる。変化している世界にいながら、今までは守ろうとする力のほうが強かった。しかし今、変化の時代が来て、それに抵抗している人たちと進めていきたい人たちがいる。そうすると、変化はどちらのほうから始まるのかというと、陰性の流れから始まる。陽性の流れの人たちは「自分が」「自分流」というのが強い。それに対して、陰性の流れの人たちは「取り入れる」「引き込む」という力。そうすると、陰性の人たちのほうが変わらない力に対して被害者意識のようなものを持ちながら、変わる力を働かせる。普通、陽性のほうが先に動くように思うけれど、それは自己流に動く力であるから変化は少ないことになる。陰性は引き込む力だから、相手の存在を取り入れて変化する。それは本質的な変化につながる。

ようこ:そうだね、新しいものが入るから。

いさどん:そう。だから、人間たちはとかく勘違いしている。自分にとって都合良く変化するのを変化だと思っているけれど、自分にとって都合が悪いものを受け取ることによって変化するのが変化。それが陰性の変化と陽性の変化の違い。

ようこ:そうだね、陽性の変化は実は変化していない。根本的な変化じゃないということだね。

いさどん:うつに対しても、陰性うつと陽性うつというものがある。陰性うつの場合、陰性タイプの人は自分という意識が少ないから、それは欲しいという気持ちが満たされないということ。それに対して、陽性タイプの人は「自分がやりたい」という願望が強くあって、それを進めていくときに、欲求が強いと適度ということを忘れて強く進めすぎてしまうことになる。進めすぎてしまった分のギャップに問題が発生して、その問題が発生する痛みを味わうことによってブレーキがかかる。それが続くとそのブレーキが恐怖となり、痛みが繰り返されると、事を進めていこうとするときに痛みのイメージが先に来てしまって進めなくなるという状態。だから、陽性でも陰性でも進めなくなるということが起きる。進めなくなるというのは変化できないという状態。変化しないということは、この宇宙の根本的な法則から外れるということになる。この宇宙の根本が変化をもとにしているということは、陰性が根本なんだよ。陰性というのは形ではなくて、この形の世界を司っている法則であり、心のこと。だから、この世界の基本は心ということになる。無(陰性)から有が生まれる。観えない心から現象が現れる。その繰り返しが宇宙の実態である。

ようこ:いさどんは心の変化を促す役割をしているから、変化を恐れている人はいさどんを恐怖に感じる場合があるよね。

いさどん:「いさどんには心を見透かされそうだ」とかね。

ようこ:変化を楽しむ人は見透かされることが嬉しいもんね。でも、変化を恐れるということもこの仕組みの中に入っているんだよね。

いさどん:そう。だから、恐れることも正常なんだよ。恐れるからこそ、バネのように、弓のようにしなって、そして抵抗すればするほど、一気に変化する世界を創る。そうやって、どんどん変化していくことがダイナミックに生きるということである。

カテゴリー: いさどん語録 タグ:

心の中に種がある

2011 年 8 月 5 日 コメント 1 件

昨年の9月から3ヶ月半ケア滞在をしたゆかりちゃん。今年の1月からは一般滞在に切り替え、4月からはここに滞在しながらアルバイトもするようになりました。そんなゆかりちゃんが、6年前に統合失調症に至った経緯から現在の心境までを振り返り、以下のようなケア滞在記を書いてくれました。(なお、いさどんブログ「Yちゃんケア開始2ヶ月後の面談に同席して」には、ゆかりちゃんのケア途中経過の模様が記されています。)

————————————————————————————————————————

木の花ケア滞在記「心の中に種がある~三ヶ月半のケア体験を振り返って~」

木の花ファミリーを知ったのは、一昨年の夏のテレビ番組「自給自足物語」でした。その風景では、明るく楽しそうな食卓と、ダジャレを言ってるおじさんが印象的だったのです。その後HPがあることを知り、「おやじの館」などのブログをたまに見ていました。
 
当時私は統合失調症(二重人格)で、仕事(飲食店のアルバイト)をしていましたが、幻聴、幻覚、幻触に悩まされる日々でした。そして、その年の暮れに症状が悪化し、体のコントロールが完全に利かなくなり、仕事を辞めざるをえなくなってしまいました。精神科の病院に通院し、薬をもらいながらカウンセリングにも通っていましたが、症状はよくならず、どうしたらいいか考えていたのです。そんな日々を過ごしているうちに自殺願望が強くなり、それを病院の先生に打ち明けると「精神病院に入院しなさい」と言われ、それを拒んで、思い切ってこの木の花ファミリーでケア滞在をしてみようと思い立ったのでした。
 
そして、昨年の五月の初旬に体験ツアーで訪れ、いさどんと面談をしました。その時に「あなたは二重人格で嘘つきだね」と言われ、その通りだったので「この人本物だ、この人はすごい、この人を信じてここでやってみよう」と思い、9月16日からケアでの滞在をスタートさせました。
 
最初の頃、私は幻聴がひどく罵詈雑言を言っていることや、体の中が突っ張った感じがひどくあって、体のコントロールが自由に利かない、日常生活が送りにくいという状態でした。それは、山羊さんのお世話を一緒にしていたチナッピーの話を十分に聞けない、通常の意識すら保てない状態でした。また、心の方も硬く、緊張、不安もあって、当時の私を見て「暗いねー」と表現した人もいました。しかし、一緒に生活をするようになって徐々に硬さがとれてきて、リラックスする方法を自分で考えたり、自宅で過ごしていた時のように音楽を聴くという方法をとったりしました。断薬については、多分滞在一週間ぐらいから徐々に減らしていき、十日後位には最後に残していた統合失調症の薬も飲まなくなっていました。
 
滞在の日々の中では、自分を知る自己認識の作業を徐々にしていきました。面談の中でも言われましたが、私は自意識が強い。だから、自分の癖を認めにくい。そういう自分をとにかく知っていくことをやっていきました。初期の日記では、病気の症状のことばかりが記されていましたが、次第に自分はこういうふうに感じているという表現に代わり、いさどんからのアドバイス通り冷静で客観的な自分の目線を増やして、自分を有効に使う努力をしていくことに努めました。
 
それから、過去のトラウマの自己分析をする課題については、なかなか取り組めませんでした。自意識の強い私は、自分の非を認めたくない、他者からのアドバイスをなかなか受け取らない為に、そのテーマは進みませんでした。それは自己防衛本能が働いていたからのように思います。また自分を振り返っても、自分を客観的に観る精度が荒いということもありました。徐々に自己防衛をやめ、内省の精度が高まった段階で、いさどんとの面談で二重人格になった経緯を伝えられました。それは、幼い頃よりの習慣、感情の抑圧という癖で、特に就職という出来事の中で感情を抑圧しすぎてしまい、その抑えていた感情が自分の手を離れて暴走し、コントロールが出来なくなってしまい、現実逃避の果てに別の人格を作ってしまったということでした。いさどんがそれを解明したのは、私の中で周りや環境のせいにするのではなく、私の心の中に私が病気となる原因を作った種があることに気付いた頃でした。

私が思うもう一つの心の病気の種は、私が傲慢であることです。滞在して二ヶ月半後の日記にはこのように記してあります。「私は就職してから、ほぼ毎日自分の心をよく振り返ってチェックしていた。でも、傲慢になるにつれてしなくなった。それが原因だと思う。自分には足りない、出来てないと思う心が必要だったと思う」とあります。私には、家族や職場の皆に支えられて生きている事に感謝して、謙虚に学んでいく姿勢が必要だったと思います。それは、今でも私の大きなテーマです。時に不足の心が出てしまう事もあるけれど、本当に大切な人間の根幹だと思うのです。それに気付けた私は有り難いことを教えてもらったと思っています。そういったことに出会う心の種がある自分を知って、自己コントロールしていきなさい、実践あるのみだよということを最後の面談で伝えられたと記憶しています。私自身、そのことは今でも大切で、常に気をつけて心がけていかなければいけないことだと思っています。

現在、ケアを卒業し、生活体験を4ヶ月半、その後アルバイトでウエイトレスを続けて2ヶ月半となりました。まだまだ自分をコントロールすることが出来ず、不安定に陥ることもあります。それは、自分がまだまだ未熟だということを教えてもらっているのだと思っています。今は自分の考え方の癖、傾向をもっと把握して、改善していき、よりよい自分になる為の努力をしていく段階であると思っています。自分の病を克服し、まだまだ自意識や癖の強い私ですが、この病気を通して一つ勲章をいただいた様な気もしています。今後は少しずつですが、同じ病を持つ人の力になれたらと思っています。

いさどん、陽子ちゃん、まり姉ちゃんのケアサポートチームを始め、ファミリーの皆様には大変お世話になりました。色々と出来の悪い私に、時に暖かく、時に厳しい言葉をかけていただいて本当にありがとうございました。そして、送り出してくれた父、母にも感謝しています。ありがとうございました。

————————————————————————————————————————

そして、大人会議でケア滞在記を発表したゆかりちゃんに、いさどんは次のような言葉を送りました。

いさどん:
統合失調症を一般で言われているように一生治らない病気と捉えるのではなく、「この人は良くなるかもしれない」と可能性を感覚的に捉えて取り組んだら、統合失調症でも良くなる場合があります。今ここに滞在しているSくんは、ここに来る前に10年間精神病院に入院していましたが、今は幻聴・幻覚がすっかりなくなっています。ところが、お医者さんは統合失調症を治らない病気と決め、ほとんどの人は生活から薬が切り離せなくて生涯を終えていくのです。

しかし、実際にゆかりちゃんと接してみて、僕はどのように本人から「自分が病気である」という思い込みを外していくか、そして思い込みを外したかわりにそれをどのように捉えていったらいいのか、ということを伝えていった記憶があります。それは良くしようとかではなく、目の前にあるとっかかりから進めていっただけです。結果、薬が必要なくなり、薬がなくなっても症状が変わらない状態になってきました。ゆかりちゃんはケアとして滞在する期間が他の人よりも長かったのですが、徐々にゆかりちゃん本来の健康な性質が出てきました。

ある段階を経て、家族からの経済的な支援も超えて自立するための取り組みをしようということで、今はアルバイトに行っています。そこでは1度や2度は弱音を吐いたり、トラブルが起きるだろうと思っていたのですが、全くそういったことはありませんでした。ケア滞在期間やその後の一般滞在の時でも、あんなに色々と声をかけてきたのに、今彼女は自己コントロールしながら上手に世の中を歩んでいます。だから、ゆかりちゃんの存在は僕の中で最近は薄いのです。濃い人は気になる人で、問題を持っているからこそ気になるのですが、最近は全く気になることがないので、以前はとても気になる人でしたから、とても不思議な感じがしています。

これは大分良くなってからのことですが、ゆかりちゃんが面白いのはいつも一生懸命で、見えないところでも一生懸命仕事をするのです。人に評価されたい人は見えるところだけやって、見えないところは手を抜いているものですが、ゆかりちゃんは見えないところでも一生懸命やるのです。時々やりすぎていた時もあり、「無理しないようにね」と声をかけていたこともあったのですが、最近はまったく声をかけなくても安心して見ていられる人になりました。

ゆかりちゃんは滞在記の中で、「一つ勲章をいただいた様な気がする」と書いてあるのですが、僕はぜひ精神医療業界からゆかりちゃんを健康にした功労者として勲章をいただきたいと思います。世の中では、まだこういうことを信じられない人たちもいます。本当はこういう取り組みをもっと大切にして、いのちを金儲けの対象にしてはいけないと思うのです。そういう世の中にしていきたいと思っています。

ゆかりちゃんの言葉にあるように、これからも同じ病を持つ人、つまり他者の為に生きる人になってもらいたいと思います。

カテゴリー: いさどん語録 タグ: