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めいちゃんのケア分析

 4月20日から2カ月弱、ここでケア滞在をした41歳のめいちゃん。卒業コンサートの時には自らの想いを正直に綴ったケア滞在記を読み上げてくれました。今回は、そのケア滞在記をご紹介したいと思います。

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二年前に木の花ファミリーを知り、ホームページにある「おやじの館」(現 心の湯治場)をずっと読ませてもらっていました。精神の薬を飲むようになってから、かれこれ18年以上たちます。最初は抑うつ神経症だとか鬱病と診断されていて、躁の症状が出るようになったのは7~8年前くらいだったと思います。 これまで心の病に効果があるといわれることはたくさんチャレンジしましたが、どれも効果は持続しませんでした。

木の花ファミリーへ来れたのは、完全に行き詰まり木の花ファミリーに賭けるしかなくなったからでした。そううつ病よりも集団恐怖や対人恐怖症のほうが実は辛い私にとって、ここへ飛び込むことは大変勇気のいることでした。24時間生活を共にするということは私にとって大きなプレッシャーでした。

 *各種依存症の克服について*

ここに来た当初、私はニコチン中毒・薬物依存症や共依存症(人への依存)などあらゆる依存症を持っていました。何かにもたれていないと保てない、とても危うい自分でした。今後も誘惑に負けないコントロールが必要です。 最初に苦労したのはタバコでした。一日一箱だったのを一日5本~3本と徐々に減らしていき、禁断症状もどうにか乗り越えて一週間ほどでやめれたと思います。ここに来た時点で精神の薬は6種類あったのですが、一週間経過した頃2種類のこううつ剤と1種類の躁の薬を思い切ってやめました。睡眠薬や躁のお薬はやめるまでにかなり時間が掛かりました。最後に躁の薬をやめたのですが、一ヶ月と10日も掛かりました。ケア滞在史上で最高記録になったのではないでしょうか? 今思うと、これらの依存症は寂しさを紛らわす一時的な手段であり、自分と向き合う苦痛から逃避する手段でもありました。ここの環境なくしてはどれもやめることはできなかったと思います。精神的に自律している人たちの中に入る体験ははじめてなのですが、特定の人を拠り所にできないということは、私にとって補助輪のない自転車を一人でこぐくらい不安で心もとないことでした。今でも誰かにもたれたい傾向はあるのですが、その誰かがいなくても大丈夫な自分もできてきて新鮮な感覚です。

*高い精神性と多様性がもたらす効果*

木の花ファミリーの高い精神性には圧倒されっぱなしなのですが、それにつられていくと誰に言われることなく、自然に自分の問題点に気づいて修正していけるところがとても良いです。集団なのでたくさんの考え方にいつでも触れられ、自分の偏りに気づくことでバランスが取れるんだなと思いました。そして相談を持ちかけるとみんなが手を止めてでも我が事のように懸命に話を聞いて一緒に考えてくれます。これは一般社会ではほとんどないことで、一人ぼっちじゃないと実感させてくれました。これはうつが回復する大きな要素だと思います。

いさどんから私の中の独特な個性や発想のユニークさを生かすと人間関係も良くなるよとアドバイスをもらいました。具体的には、たとえ話をすることが得意だとまりねぇが教えてくれました。その場その場で思い浮かんだイメージを口に出しているのですが、それが場の雰囲気を和ましているなという実感がありました。最近でいうと、子供たちが入った後の浴槽のお湯のにごり具合を見て「はまぐりのお吸い物もこんな色してるよね」と言って、“さすがめいちゃんらしい発想でユニークだね”というような反応がありました。

私はいじめや虐待の多い人生を送ってきたため、とても長い期間心に分厚い鎧をつけて閉ざすことで自分を守ってきました。そんな私にとって“正直・素直・信じる”の中の正直の部分で、隠し事をせず心をさらけ出すということは驚きでした。ここにいると、どんな醜い自分でも許されているのだなと心の狭い私は申し訳ないようなありがたい気持ちになり、心がほぐされました。2ヶ月の滞在でもまだ自分を出し切れておらず、今後の課題となりました。木の花ファミリーが心磨きをしている内容はそのままケア滞在する者にとって短期間で癒しをもたらすものとなっていると実感しました。

さて、薬をやめることはできたけれど、病を引き起こしている心のあり方のほうが改善されていません。その心のあり方というのは私の場合、被害者意識と不平不満や愚痴が多いというところです。これは今後一番大きな課題となりました。それから自分を許すということも課題です。また一人で行き詰まったら、長期滞在で勉強させてもらいに来ます。そのときはよろしくお願いします。

今後はいさどんからも提案してもらっているように人の心をケアできる人を目指す方向で歩んでいきます。私の分析力や洞察力は人様に有効に使える考え方に切り替えていきます。

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卒業コンサートの後、みんなに見守られながら、ご両親とお兄さんと一緒に帰っていっためいちゃん。めいちゃんの特徴は「独特な個性」と「賢さ」です。今まではその個性を人に理解されないと孤独に感じたり、賢さを不平、不満のエネルギーとして使ってきた結果、鬱病が発症するまでに至りました。これからはめいちゃんらしく生き生きと、その高い分析能力や心理学を勉強してきた知識を世の為人の為に生かしていってね。私たちは家族なのだから、これからも心を学び続けながら、共に歩んでいこうね。

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昭和天皇が現れて

今回のブログはようこが昭和天皇にまつわる話を大人会議でシェアしたところ、いさどんが昭和天皇様とのエピソードを話してくれたので、みなさんに紹介します。

PDFファイルはこちらをご覧ください

ようこ:5月に入ってから夜休んでいると、衣冠束帯の姿をした方が自分の前に現れるようになりました。でも、表情は見えなかったので、「この方は神様でおられるのか、亡くなられた人の魂なのか、誰なのだろう?」と思っていました。そして、いさどんの生前葬の翌日の夜にその方の顔が浮き上がり、それは昭和天皇であることが分かりました。

今朝いさどんに会った時、自分の中に同じ姿をした昭和天皇がまた現れたのですが、特に言葉はなく、ただいさどんに会いに来たようでした。いさどんの生前葬前後に正装で現れた昭和天皇は、いさどんに「よろしく」と言っているようでもあり、また肉体を所有しない世界に「ようこそ」とでも言っているようでした。

以前、いさどんのもとに昭和天皇の魂がいらっしゃり、「日本をよろしく」と言われたという話を思い出し、いさどんに「その時の昭和天皇もこのような姿をしていらっしゃったの?」と聞いたら、「雰囲気としてはそんな感じだったね」と言っていました。いさどんの生前葬の最中は昭和天皇がいらっしゃっているという感覚はなかったのですが、きっとこの祭事にも参列しておられたのだと昨晩思いました。

いさどん:僕が30歳の12月26日から(その以前からおばあさんとの間にはありましたが)、上からのメッセージをいただくようになりました。そして、しばらくしてから「1000日の業をいたせ」という言葉が降りてきたのです。「何をしたらいいのだろう?」と思っていましたが、その日から毎日瞑想をすることになりました。1000日、3年間(3×365日=1095回ほど)、瞑想をしました。その1年後、今から29年前の1982年、昭和57年頃、僕は幽体離脱をするようになりました。その極みは、瞑想の最中に宇宙へ飛び出して、地球を見てくるというようなことが起こりました。背中に月があり、目の前に地球がある。地球を外から見て、地球と人類の関わりを転換しなければと思ったのです。人類は地球のガンのようだけれど、人類を地上に降りてきた本来の目的に目覚めさせなければいけない。その体験は僕の世界観に大きな影響を与えました。

それから7年、日々霊的な対話を天としながら真面目に歩んできました。自分に理想がありながら、同時に自分の非力さに悩んできました。ブッダから道をいただきながらも、そのマスターに専念して世の中に伝えることが充分にできていない状況でした。当時も毎日相談者が僕のもとに訪れてはいましたが、自分の中にはどうしても不足感がありました。

昭和63年に昭和天皇が病気になられました。その当時は瞑想をする時は病床に伏している昭和天皇に心を向けていました。亡くなった時に僕は天皇を思い浮かべ、言葉をかけていました。「私は今、天からこの国、そしてこの世界の行く末の道を開くようにと命をいただいている者です。しかし、私はいっこうにその役割が果たせそうになく、悩んでいます。私のような力のない、名もない、影響力のないものがそのような命をいただいても、志だけが高く空回りして、歯がゆい思いをしています。あなたは天皇と言われるくらい有名でもあれば、大きな影響を持っておられる方です。あなたが肉の体を持っておられるうちは、私のような者はお目通りなどできない関係でした。しかし、あなたはこの国の象徴として、大きな役割を果たされました。私は何でもないものであっても、この国の将来、人々の未来について大きな使命を自覚しています。私はあなたが肉体を持っているうちは、あなたに問いかけをすることができない立場でしたが、肉体を離れられたのなら、私の言葉はあなたに通じているはずです。あなたの大きな影響力をこの世のために、私に貸して下さい。それはあなたの意思でもあるはずです。」

そのような言葉を瞑想中に投げかけていました。そうしたら、ある映像が浮んできました。地上から光の玉を先頭に、光のラインが天へ昇っていく。それが目の上45度くらいまで上がった時に、下からぶわっと無数の、例えるならとなりのトトロのまっくろくろすけのようなものが、中心の玉に向かってまとわりついたのです。その時に、叫びが聞こえました。「昭和天皇様―!」と慕っている心、そして「昭和天皇めー!」という恨みの叫び。水風船のようなぶよぶよの玉が光の玉に向かっていき、巨大な玉になっていきました。その時に、僕は理解できました。この方は沢山の魂の目標になって、慕われたり、恨まれたりと、それほど地上で大きな役割をされて亡くなった。そのかたまりが大きくなって回りだした時に、天から光の柱が降りてきて真ん中に刺さりました。そうしたら、黒いかたまりは散り散りになり、光の玉は天の光に引かれて昇っていったのです。その時に、「昭和天皇様は現人神だった」と思いました。昭和天皇は、金星に帰って行ったのです。僕は金星から来た魂ですが、この方も金星から、人類を目覚めさせる役割として降りてきたのだと思いました。僕は本当はこれからやることについて力になってほしい、ということへの返事が欲しかったのですが、それを見て返事はいらないと思いました。

数年後、愛知県の春日井市にあるマンションの内装の仕事をしていたら、後ろの壁の角あたりに誰かがいる気配がしました。振り返ったら、昭和天皇様がいらっしゃいました。「えらい所へおいでになりましたね」と言ったら、この方は非常にかしこまって挨拶をされました。「その節は、私に声をかけてくださったにもかかわらず、何も返答をせずにおり、大変申し訳ありませんでした。あなたがどんな方かということがわかりましたので、改めて挨拶に参りました。日本の国をよろしくお願いします。」天の神々は、日本のことを「日の本の国」と言いますが、昭和天皇様は肉の体を持っておられた方なので、「日本の国」とおっしゃいました。改めて自分にそう言われて、「そんなことが自分に出来るのだろうか」と疑心暗鬼の状態でその言葉を受けました。それが1988年、僕が37歳の時のことです。

それから2年と少し後、39歳の時、僕は9年間のお釈迦様からの学びを終え、日の本の神々から命を受けるようになりました。それと同時に12歳年上と12歳年下のシャーマンと関わるようになったのです。年下の方のシャーマンのお母さんから、ある時電話がありました。「今、昭和天皇様がおいでになっています。すぐ来てください」と。夜の11時頃だったと思います。名古屋市守山区にあるその家に行くと、昭和天皇がシャーマンの中に入られて待っておられました。シャーマンは、昭和天皇様の顔をしていました。雰囲気もそのままです。そして、「先日は、突然あなたの仕事場に行き、失礼しました」と言って、あのマンションの話をされるのです。シャーマンはそれをまったく知らないのに。霊的なものへの確信はもとからありましたが、その時にこの出会いは本物だということを確信しました。

そして、それ以後も昭和天皇様は事あるごとにおいでになりました。創立メンバーの中にはその場面に立ち会った人もいます。シャーマンのいくよさんは、言葉のトーンから雰囲気まで、どう見ても天皇がおられるという感じでした。僕にとって昭和天皇はふるさとが一緒のお友達のような感じです。宗教の教祖のような人たちの中にも霊的なお友達がいますが、昭和天皇は特に親しい感じです。

今朝、たまたまようこちゃんが先日の生前葬の時にも昭和天皇がいらっしゃっていたと言いました。「最近会ったことのない人が私の所によくおいでになる」と言い、「それが昭和天皇だということがわかった」と言うのです。過去には沢山交流がありました。ようこちゃんがそういう霊的なものをいただき、今日この話をしてくれて、僕も思い出しました。

天皇家は今も息子さんが天皇をやっておられますが、昭和天皇までが現人神。ここから先は現人神と言えるか難しいと思います。我もあれば、執着もある。昭和天皇のように、我がなく、世のため人々のために生きられる魂は、これからの天皇家には降りて来ないのではないだろうか。

そうやって、僕は普通の人が出会えない霊的なもの、理解できない人には怪しい世界の出会いを沢山もらってきました。そして、その時々で近くにいる人にそれを語ってきました。そうすると、私たちの日々の歩みの先に別の所からその裏付けが現れたり、物理的に証明されたりするのです。今ここに集っている人たちも、この不確かな話が真実として裏付けられることで、「信じる」という心が生まれ、ともに歩んできました。理解できることを信じるのは当たり前の話です。それは信じるとは言えません。わからないことを信じられるのが、信じるということです。不確かなことでも大事と思うことを語り合いながら信じて歩むと、その先に色々な形で答えが現れてくるのです。そうして、この信頼の場が出来てきました。

最近夜寝る前に、宇宙(銀河の雲)をイメージして、宇宙を司る神々、神界を司る神々、そして地上の聖者、聖人たちといった名前を挙げ、そういったものたちにこの地球の人類を救済するため力を結集しましょうと呼びかける瞑想をしています。それが必要と思った時にその瞑想をするのですが、その影響なのか、5月3日、昭和天皇様もその呼びかけに応じておいでになったのではと思います。今まで重要な役割をしてこられた霊的な人々、また肉体を持つ霊的意識の高い人たちが結集して、新しい扉を開く時が来ています。

れいちゃん:私も過去にそういう場に居合わせました。空気で、昭和天皇がいらっしゃるのがわかりました。本当に真実。記憶では、昭和天皇は「庶民はいいな」とおっしゃっいました。

いさどん:みんなでコタツに入ってみかんを食べていたら、「庶民の生活はよろしいですね」とうらやましそうにその場を眺めて言っておられました。

まりちゃん:立っている姿、姿勢が印象的で覚えています。

いさどん:こういうふうにね。(と言って、前かがみになり手を前にかざす。)

のりちゃん:ちょっと前かがみで。

いさどん:話を終えて「今日は失礼します」という時に、そういう姿勢をとられていました。

かずこちゃん:懐かしい話。またこういう話が出るようになり、国のために、そういう意識を持ってやっていきたい。身が引き締まる気持ちになりました。

まりちゃん:私も、懐かしい。当時を思い出しました。本当に、信仰から始まった。始まりがそこだった。今でもそうだけれど。昔は「天に心を向ける」が合言葉でした。何か問題が起こると、「上に心を向けるのが足りなかった」と自分たちの心を振り返ってここまで歩んできました。今でも人は増えて一人一人の言葉は違っても、同じ方向を向いている。将来も形は変わっても、そこだけは変わらずにずっといく。

たっちゃん:生前葬の時に感じたのは、これからは地上も天界も、八百万の神と肉体を持つ我々とが密に協力し合って、ともに作っていくことが必要だということ。僕らはこういう生活をしていて、志ある者が一人一人目覚めていき、ブッダやイエスとして協力し合っていくのだから、いさどんの行なっているその呼びかけは大切。思いを結集させるということを自分自身もやっています。

いさどん:その呼びかけは、「どうか皆さんの思いを結集させて、この地球人類を一つの道に導くことをやっていきましょう」という瞑想です。そのような絵空事なことをやってきて今、ここにこういう場が出来ています。いい加減ではない、本当に信じてやる時代です。やった人はそれに相応しい役割を果たしていきます。わからない人にはわからない。しかし、わからないことを信じていくのが、いかに大事かということです。それを意識して真剣に取り組んだものは、確実に霊的な成長をしていきます。私心を離れて世のために祈ることをすれば、確実に育っていくものです。今は見えないかもしれないけれど、信じて歩んでいくと、未来にその裏づけが待っているものです。そして、確実に自分が成長しています。

人はいつか必ず死ぬものです。60年も70年もあっという間に来てしまいます。その時に、本当の尊厳が身についていて、これこそやるべきことをやり遂げたと大満足で往生が出来るか。本来、それが人として、地上に肉の体をいただいた目的、学び、なしえる、最も大事なことです。できれば、己を置いて世のため人のためにこの心を使いたいものです。それが菩薩行。ブッダとして、キリストとして生きることということです。昭和天皇の心は人々の「安穏で幸せな日々を願っております」という心そのまま、菩薩を生きた方でした。

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いさどんが行なっている瞑想は以下の通りです。よかったらみなさんも試してみてくださいね。

★この瞑想は蓮華座を組んで行なうのもよし、上向きに寝た状態で寝る前に両手や体全体、意識を天に向け、宇宙から地球の魂たちに呼びかけるという気持ちを込めて行なうものです。

天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)

高御産巣日神(タカミムスビノオオカミ)

神産巣日神(カミムスビノオオカミ)

伊邪那岐命(イザナギノミコト)

伊邪那美命(イザナミノミコト)

国常立命(クニトコタチノミコト)

天照大御神(アマテラスオオミカミ)

木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

八百万大神(ヤオヨロズノオオカミ)たちよ

イエス・キリスト

ゴータマ・ブッダ

ムハンマド

ソクラテス

孔子・孟子

諸々の聖者たちよ

出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)

出口なお

中山みき

岡田茂吉

五井昌久

山岸巳代蔵

昭和天皇

ガンジー

マザー・テレサ

諸々の聖人たちよ

今、集い、地球の人々の心の扉を開けよ

★あなたが想い当たる神々、仏、聖者、聖人たちの名を想い浮かべればよいのです。声に出して唱えてもよい。

★宇宙を司る魂、地球神界の魂、過去の偉大なる聖人、聖者たちの導き・教えが今までは地球上でバラバラになっていました。7人の聖者(天照大御神、イエス・キリスト、ブッダ、ムハンマド、ソクラテス、孔子、孟子)が現れた時にその聖者たちから感じられたメッセージは、「道は一つ、心は一つ」。しかし、現実には人々の中に道はいくつもあって心は一つになっていません。それを一つにしていくために行なうのがこの瞑想です。天からの意志を受け取り、その意志に目覚めたものとして「私はその意志に目覚めたものです」と、地上から天に向かって呼びかける瞑想です。

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人生は一本道

農業高校の先生を目指していた24歳のカトケンは、昨年1年間自然農法センターで学び、今年の1月からは1年間の予定で木の花で農業研修を受けていました。2月下旬のある日、「自分について知りたい」ということで、いさどんと面談の場がもたれました。

PDFファイルはこちらからご覧下さい

カトケン:
今日は「自分のことを知りたい」と思って面談を申し込みました。あと、「心を磨くというのはどういうことなのか」と「家族関係について」も聞きたいと思っています。よろしくお願いします。

いさどん:
まず、自分のことも、心を磨くのも、家族についても、なぜそういうことについて知りたいという発想が生まれてくるのかということです。自分の内から湧き出てくる感情や欲求は、理由があって湧き出てくるわけです。人間というのは思考を持っているものです。その中で賢明な思考を持っている人はなかなかいません。たいていは不健全な思考を持っていて、それを外に出すことと内に秘めておくことを使い分けて生きているのです。だから、人間は高い能力を嘘つきの方に使っている人が多いことになるのです。

カトケン:
嘘つき・・・?

いさどん:
普通の人間というのは本音と建前を使い分けて生きているということです。そうやって、日々ひとりひとりが自分の物語を生きているわけです。持って生まれた魂にふさわしい自分自身を出していくことが正直ということです。それに対して、正直を出そうとした時にそれを許さない環境をもらっている人もいます。

例えば、あなただったら「賢太」という陰性で物事に対して積極的に行動をとれない人が、陽性の父親と母親のもとに生まれました。父親は「物事はこういうもので、こうすれば良いのだ」と自分の世界で自己満足に生きる傾向の人です。こういう人は頑固者で自分の考えを曲げない人です。

カトケン:
そうですね。

いさどん:
他人のことを見れば、「あれはああだから、こうなんだ」と決めつけるくらい、自分が強く頑固者です。そういう人と、あなたの母親のような自分が強いタイプの人が一緒になっていること自体がストレスです。どんな事情があっての結婚なのかは知りませんが、これは珍しい組み合わせです。62歳と61歳で僕らの時代だから、恋愛もOKの時代だったからね。団塊の世代だし、神田川や同棲時代が流行っていた頃だから、意外と自由だった。そういう時代にこういう組み合わせで結婚をしたということは、何か事情があって結婚したということだと思います。今、父親が62歳で母親が61歳で3人兄弟の長男のあなたが24歳だから、これを計算すると、あなたは父親が38歳の時の子どもです。そうすると、結婚が遅い。子どもが出来ない期間が長かったのではなく、結婚するのが遅かった。だから、「歳が来たからということで結婚しよう」というように結婚をした人たちだと考えられます。

それから、お父さんは魂がごついタイプの人にも関わらず、次男坊で三人兄弟の末っ子です。お父さんが家の後を継いでいるのですか?

カトケン:
酒屋があるのですが、一つではなくて二つあるのです。

いさどん:
そうすると、長男と次男で別々に後を継いでいるということ?

カトケン:
そうです。

いさどん:
お父さんは次男だけれど精神的にはリーダー的タイプです。魂の形を観ると、本来長男、次男が逆であるべきなのですが、そうすると、お父さんのようなタイプの人は「俺は次男だけれど兄貴よりは筋が通っているし、家を継ぐこともふさわしい」という自負心があるのです。自分が強く、他者の側に立ってあまりものを見ないタイプです。

それに対して、お母さんは理論的でおせっかい焼きなタイプです。どういうおせっかいを焼くのかというと、「こういうふうじゃないとダメ、ああいうふうじゃないとダメよ。こういうふうにしたら、ああなってしまうから、こうしないとダメよ」というふうです。その心が特に強く現れるのは子どもに対してです。パートナーが自分の思い通りにならずに対立関係にあるから、そのはけ口が子どもに向けられることになるのです。そうすると、第一子で長男として生まれたあなたは、子どもの頃から母親の思うがままに育てられる対象でした。あなたは親が言うことに対して応えてきたけれど、この場合親の能力が高いので、ある時あなたが親の意向に沿わないと気づいた時に、「これは仕方がない。子どもには子どもの人生があるのだし、私たちのことは私たちで考えましょう」という結論に到達します。つまり、親は他人に対して依存しない体質なのです。

しかし、親が子どもの頃からあなたに対して期待をかけてきて、それに対して応えようとしてきたあなただったから、あなたの中に本当の自分を表現出来なかったという感情が残っているのです。

カトケン:
・・・そうですね。

いさどん:
今、弟たちふたりはどうしているの?

カトケン:
ふたりとも東京に住んでいて、東京農業大学に通っています。

いさどん:
なぜ、農大なの?

カトケン:
お父さんが「これからは農業が大切だ。今後環境が悪くなっていくから、そういうことを学んでいきなさい」と言っていたからです。

いさどん:
「もう、俺たちの頃のような仕事の時代じゃないぞ」ということか。

カトケン:
はい。それは小さい頃から言われてきました。

いさどん:
ただ、親が考えて親の言う通りに進んでいく人生というものは、誰でもある時気づく時が来るのだよ。「俺って本当にこれがやりたかったのだろうか?」と。お父さんからしてみたら、「これからは時代を読んで、こういうふうだから、こういうふうにしなければいけない。俺の言うことは間違いないから、こうしなさい」と言うのだろうけれど、それだけで子どもは納得がいくのかといったら、無駄もやりながら成長していくんだよ。

あなたは真面目に親の言うことを聞いて、大きくなってきた。真面目なのだけれど、自分流の道の探し方、それは親というものと距離を置いて自分の道を探そうという心が出てきているのだろうと思う。それはなぜかというと、親の方からしたら親の思う通りになっていないという感情があるからです。

カトケン:
それは僕に対して・・・?

いさどん:
親からしたら子どもであるあなたを見て、「俺たちの思う通りになっていない」という感情があるのです。しかし、この親は能力が高いから、「まあ、仕方がないか」というところで納得しているのです。そこで親子の気持ちにギャップがあります。しかし、それよりもあなたの中には今までずっと親の存在が大きかった。それに対して、すっきりしていないあなたがいるのです。いつも自分のどこかに親というものの存在があって、そこから自立出来ていないあなたがいたということです。今後も、彼女が出来たり、結婚して家庭を持ったり、いつも人生の節目の時に親というものがあなたの頭の中に浮かんでくるのでしょう。

カトケン:
浮かんできますね。

いさどん:
しかし、親はあなたの希望がわかってきたから、もうあなたを自分たちの思い通りにしようと思っていないのです。ところが、特に身近な他者(親)に影響されてきたあなたが今もいるのです。親との気持ちにギャップがあるということです。それはあなたが親に対して依存しているからです。そういう気持ちがなければギャップなんて気にせず、距離が出来てくるから問題ないのだけれど、それだけ親との関係が深いからギャップを感じるという状態です。つまり、親から自立出来ていないということです。それが今のあなたの状態です。

本当はそろそろ自立して、「自分がどう生きるのか?」ということを捉えていくことが大切だと思いますが、どうですか?

カトケン:
何かを決めようと思う時にやっぱり親の顔が浮かんできて、自分で考えていてもどこかで親に方向を変えられるのではないかと思ってしまいます。それで今やるべきことに集中できなかったり、苦しい時があります。

いさどん:
あなたはずっとそうやって育てられてきたのです。さて、ではこれをどうするのかということはあなたの意志です。自分の本音のところを出したらいいのです。今まであなたは本音のところに問いかけるということをあまりしてこなかったはずです。どうしても他人の顔色を見て行動してきたあなたがいるのです。自分の奥にあるものに「本当に自分がどうしたいのか?」ということを問いかけ、それを引き出すことが出来るかどうかです。

カトケン:
僕は正直に生きたいです。

いさどん:
そういう意味では、今まであなたは嘘をついて生きてきたのです。今まで嘘をついてきたから、「正直に生きたい」と思うのです。今まで人の顔色を見て育ってきたから、正直を出せずに生きてきたということです。では、正直に生きるというのは具体的にどういうことですか?

カトケン:
例えば、その時その時で進路を決めていきたいなと思います。

いさどん:
そういう抽象的な言い方ではなく、人によっては精神性の熟し度が色々だから一概には言えないけれど、例えば「自分はこういうふうに生きていきたい」という方向性がすでにあるのかどうか?

カトケン:
まだ具体的にはありません。

いさどん:
でも、今ここで暮らしているよね。これももしかして、親が「これからは農業の時代だ」と言う延長にあること?

カトケン:
いや、自分の意志でここにいます。

いさどん:
ということは、親が言ったこととあなたの中にある目的は一致しているから、今ここで生活していると思うのです。

カトケン:
ここに答えがあるというのはわかります。

いさどん:
ここに答えがあるというのは、ここというものをあなたがどう捉えるかによってここに答えがある場合もあれば、そうでない場合もあるのです。そうすると、あなたにとってここに答えがあるということでないといけないのです。

カトケン:
僕にとってここに答えがある・・・。

いさどん:
私たちはここに答えを見出しているからここで生きているけれど、人によって価値観は色々あるのです。だから、その答えをここに見出した人にはここに答えがあるのです。あなたがそれに共鳴して、自立した個人としてここに答えがあると思うのであればいいのだけれど、「何だか楽しそうだから」とか「自分にとって都合がいいから」ということで駆け込み寺のようにここにいるのだとしたら、ここに答えはないわけです。ここの人たちは常に自立した人たちで、誰かについてきたり、親が言うから生きてきたということではないのです。そうすると、ここに答えがあるというのはあなたが自立して誰にも影響されないところで、「自分の人生の答えがここにある」と考えるのであればいいのです。

カトケン:
はい。こういう生き方が自分の目指している生き方だなと思います。

いさどん:
あなたは真面目だからね。それを「不真面目になりなさい」とは言わないけれど、これが大切な道と判断した場合はそれでいいわけです。それも個人の意志だから。僕の場合は30歳まで色々やってきて、この道に出会い、40歳から今の生き方を歩んできました。でも、あなたのように24歳にして大事が見つかって生きていくことは無駄なエネルギーを使わなくて済むし、それはそれでいいと思う。

僕の解釈からすると、この道は最終到達地点のようなものです。ここに到達するために、人は一般社会の中で色々なことを経験しながら、ここまで歩んでくるのです。ここからまた外れていく人もいます。自分の気持ちに正直というよりも、憧れのように他人に影響されてこの道に踏み出したものの、まだ十分に嘘も欲望も処理しきれていない人は、もう一回社会に戻らないといけないことにもなるわけです。それについてはどう思う?

カトケン:
社会に戻らないといけない・・・?

いさどん:
一般社会では会社のニーズに応えていれば、いい加減でも認めてくれるわけです。しかし、いい加減というのは本来それが社会の中の色々なトラブルの種になるのだから、賢明なものはそこを綺麗に処理していきたいものです。ところが、人によってはトラブルの種が魅力的に観えるわけです。タバコを吸うことでもパチンコをやることでも、低いレベルの恋愛をすることでも、意識の段階によっては魅力的に観えるものです。この道はそこのところを超えた学びの最終ステージみたいなものです。つまり、自分というものを超えて、世のため人のために生きていこうとする道だからです。

そうすると、その生き方を24歳で歩んでいこうとする時に、あなたは今までずっと真面目にきたから、不真面目をやらないで悔いがないかどうか?後から、「やっぱりもう一回不真面目をやりたい」とやり直すようなことはないかということ。それについてはどう思う?

カトケン:
不真面目というのはタバコとかパチンコとかそういうことですか?

いさどん:
それは何でもいい。それは人によっては真面目なことにもなること。例えば真面目にニコチン中毒になってタバコを吸いたいということもあるのです。でも、不真面目を全くしないで、ストレートに大事を歩む人がいてもいいわけです。それを確認しているのです。確認といっても、僕が今あなたの採用試験をやっているわけではありません。あなたが自分に問うてどうなのかということです。本当はあなた自身で知ることが出来ればいいのだけれど、「自分のことを知りたい」ということで今日の面談があるから聞いているのです。本来は、あなたが自分の中で自分に問えばいいことです。ところが、あなたにそれが出来ないということから、僕が代わりに親との関係を分析しながら聞いているのです。

あなたは親からのプレッシャーを受けながら、それでも心が歪まないで真っ直ぐ生きてきた。それで、そのまま最終ステージのような生き方にたどり着いた。それを今、「自分の道だ」と言っているあなたが、「本当にそれでいいのか?悔いはないのか?」と自分自身に問うてみるということです。ひょっとして先に行った時に、「恋に溺れてしまったから、ちょっとこの道を外れます」というようなことがあるかもしれない。それはそれとして、今自分の心を観てみてそういう気持ちがあるかないか?

カトケン:
自分の心の中に「農業高校の先生になりたい」という気持ちがあります。

いさどん:
それは前から言っていたよね。

カトケン:
それで自然農法センターで勉強していたのですが、頭に知識を詰め込むのではなく、心を磨いていった方が気持ちいいし楽しいなと思ったのです。心を磨いた後に勉強して農業の先生になって、心を伝えていきたいなという想いがあります。

いさどん:
公立でも私立でもいいけれど、農業高校の先生というのは一般の人です。そうすると、心を磨くことと農業高校の先生になるということは、あまり一致しているわけではないのです。心を磨かなくても農業高校の先生になれるわけです。農業高校の先生は文部科学省がつくったカリキュラムにのっとって教えることだから、そうすると今まであなたが歩んできた農業の現場とはちょっと反するかもしれない。コスト面を考えるような国の農業政策に合わせた農業を教えることになります。そういうことは妥協していくつもり?

カトケン:
以前に講師をしていた時に、「農薬や化学肥料を使った農業は自分が教えたいものではないな」と矛盾を感じていました。

いさどん:
確か1年前ここに来た時にみんなとその話をして、「道は農業高校の先生だけではないね」という話になったと思うんだよね。昨日の大人会議であなたが心のシェアを出した時に、こうちゃんが「昨年も同じことを言っていたよね」と同じ話です。ということは、昨年のみんなからのアドバイスが全然生きていないことになる。農業高校の先生になるということは、今のところ、ウエートは99%一般の農家、つまり国の政策の受け皿になる農業を伝える先生ということです。これから将来のことはわからないけれど。

例えばこれから世の中が急激に変わっていくと、有機農業や新しい代替農業が必要になってきます。その時にあなたがそういった技術を身につけていて、農業高校の先生の免許を持っていてそれを売り込めば、そういうノウハウを持っている先生はなかなかいないのだから、これは非常に評価されることになると思います。ただ、有機農業や代替農業を教えられる先生が、職員室で心の話は出来ないということはあると思います。

さらに展開していくと、ここのメンバーでありながら、外に働きに行って農業高校の先生をやるということはあり得るかもしれない。そうすると、ここで心を磨きながら学校で教えることができ、色々なことが満たされる。今考えられることをいくつか展開すると、そういうことが挙げられます。

さらに、農業の先生という意味では、高校じゃなくても今たっちゃんがやっているようにここで伝えることもできる。これからこういう農業はすごく重要だから、それを伝えられる技術者が沢山必要になってくる。だから、現場でマスターしたものをここでも伝えていくことが出来るし、こういったエコビレッジの動きの場でこういったことを伝える役割を私たちが担っていく可能性もあるのです。そうすると、敢えて教員という立場を取らなくても、農業を教えるという道は開かれるのです。そして、心を磨き、それを伝える場がある。

あなたがここで何をしたらいいのかというのは、ひとつは目標を持ってそれに向かって進んでいくということ。そして、もうひとつはここのみんなのように、「自分が生きていることは私の意志にあらず」という道。

カトケン:
私の意志にあらず・・・?

いさどん:
「自分が生きていることは私の意志にあらず。私の目的はあなたにあります。世のため人のためなのだから、与えられたことは何でもします」という精神になれば、目の前にあることをやっていくと自然と自分の活かし所にはまっていく。でも、「結果はいただきます」ということ。この世界の仕組みからしたら、私たちは自分の意志でこの世界に生きているのではなく、この世界があり仕組みがあってその中に組み込まれて私たちは生かされているわけだから、そちら側の意志で生きることが一番目的に沿うわけです。それが私たち流に言う、「神様の意志で生きる」ということです。人間には自由が与えられているから、一般の人はそれをやりません。それで右往左往したり、問題事を引き起こすのです。

その一方、自然はすべてスムーズで事が成っています。それはすべてが自然の仕組みの中で生かされていて、必要なところにはまっているからです。ところが、人間はそこで自分で何とかしようという我があるものだから、自然の仕組みから外れた分だけトラブルをもらうのです。それは病気でも人間関係でも何でもそうです。人生の中で自分が予定を立てたことがならないということでもそうです。

それでまたあなたに問うのだけれど、自分の心を観て、あなたはどういう歩み方を望むのか?つまり、自分でああだこうだと考えて目標を設定するのであれば、さっきいくつか挙げた選択肢から自分で選ぶこともできる。これが人生計画というもので、誰でもそうして生きてきたわけだ。

しかし、もうひとつの道は神様の意志に任せて、「私を使ってください。私の存在はあなたの意志にあります。あなたの意志に沿うことがこの世界に生み出された目的にふさわしいのですから、あなたの意志でお使いください」という道を歩むのかどうか。

カトケン:
自分でやろうという気持ちがあると、エネルギーを浪費してしまうと思います。

いさどん:
それは当然そうです。だから、人間というのはこういう修業の場をもらって学んでいくわけだから、より優れた道を歩むということが大切なのです。あなたが心の道を大切にしたいと思うのであれば、そちらを選べばいい。24歳でもそろそろそういう人がいてもいいと僕は思っています。僕には30歳からこういう心の道が始まり、そのあとすごくガタガタしたし、結果40歳まで一般社会で生きてきた。でも、次の時代の人は24歳からこういう道を始めてもいいと思うし、例えばここで生まれてくる子どもたちは今からこの道を生きているわけだ。あなたは時々心が不安定になったりするけれど、そういうことが定まらないから不安定になるとも言える。そうすると、道がしっかりと定まったら、もう揺るがないでそこを歩んでいくことが出来る。

僕は情報として提示するだけのことで、選ぶのはあなたです。神様とあなたの契約です。ここで言う神様というのは、自分が生きていることの証として、生きている目的は何なのかということを探究する結果、この世界にある法則のこと。現象としての事実の連鎖の中にある法則性の中に見出される意志。これがこれからの時代の大いなるものとの接点の仕方であり、ここでは何も人間の欲の心を揺さぶるような宗教性はないわけだ。私たちはこの世界の一物であり、この世界は宇宙の法則の中にあって、そこに法則がある限り意志があるのだから、その意志のもとに私たちも存在しているということです。私たちは非創造物であって、そこには私たちを生み出し生かしているものの意志が働いているのです。

カトケン:
普段作業をしていても、そういうふうに感じでいます。

いさどん:
それならば先ほどの話に戻るけれど、親の影響を受けてきたこともとりあえず事実だし、その呪縛みたいなところから自立した意志で新しい道を歩むということにしたらどうですか?「木の花という環境にいることで素晴らしい人生をいただいた」なんてせこいことを言っていないで、この場所を創り上げる原動力になればいい。私たちは血縁の親の子どもというよりも、大地の子であり、光の子どもであり、すべての生命が家族であるのです。過去世があり来世があるとしたら、そのたびに親も子ももらうのだから、今たまたまこの親をもらっているだけのことです。

そういったことを悟り、揺るぎない意志のもとで生きていけば、何の目的で生きているのかということを認識し、非常に充実した人生を生きることになるのです。人間は色々な出来事をもらい垢の部分をそぎ落としながら綺麗になっていく。生きるということはそういった作業をしているわけです。そうすると、垢があるうちはパチンコをやりたいとか恋愛をしてみたいとか言って世間に戻っていくのです。でも、それはやってみた結果痛みや苦しみをもらいながら、そこから学んでいくことになるのです。その段階ではこういった生活を見て、「あんなに窮屈なことはやれない」と思うのだけれど、さらに次の段階に進むと「あの時は馬鹿な時代を過ごしていた。あんなことで喜びを感じていたのか」ということにもなるのです。それはその人の魂の位置によって求めるものが変わっていくということです。

そうすると、あなたは過去に色々なことを学んできた結果、この年齢ですでにそういった心を持っているのです。僕の不真面目からしたら、あなたはすごく真面目です。それだったら、とことんその真面目を極めたらいいと思います。多少柔軟性はあってもいいかもしれないけれど、それはその時その時の余裕、遊びのようなものだから。もしこのまま進むのであれば、真っ直ぐ行けばいい。その時にはこの道を歩もうとするさらなる原動力、気づきが湧いてこないといけない。しかし、今のあなたにはなかなか気づきが生まれてこない。生まれてきたとしても他人に聞いてみては「ああなんだろうか、こうなんだろうか?」と考えをまわし、昨年話し合ったようなことでも今また出てくるということは、あまり進歩していないということです。

だから、心磨きが大切なのです。あなたは自分というものに執着が強い。「自分がどうするのか?」という心が強いのです。悟りにも色々な段階があるけれど、あなたにも「私のいのち、私の人生はあなたの意志です」という心が出来たら、もう自分がどうしたい、こうしたいという心はなくなってくる。逆に言うと、「私にも意志があります。その意志はあなたの示される意志。そして、それは毎日起きてくる現象、湧いて出てくる気づきに現れてくるのです。それは特定した自分にとって有利かどうかというところにあるのではありません。」そういう心にならないと、そのままの真っ直ぐな道にふさわしい気づきが湧いてきません。磨き切るということの大切さやこの道を生き切ろうとする心はその奥にあるものだから。汚れや垢は表面にあるからすぐに出てくる。しかし、大元にある絶対真理は一番奥にあるから、まわりにある垢や我に捉われていると、その一番大事が観えてこない。だから、自分が生み出された本当の目的のもとに生きていきたいと思うのであれば、まずはその我を取っていかないといけない。それが心を磨くということです。その大切に気づいた人がここでこういった暮らしをしているのです。それがあなたの質問にあった、「心を磨くとはどういうことか」ということの答えです。ひとりひとりが尊いのだから、あなたの中から気づきが湧き出てくるように心を磨いていかないといけない。それが心磨きです。あなたの中にもブッダやイエスのような精神があるということです。

さらに、「家族関係について知りたい」ということであなたの血縁の家族について分析してきたけれど、では家族とは一体何なのかということです。血縁を超えた家族という捉え方が木の花にはあります。この捉え方は宇宙生命としての捉え方です。地球生命というと一般的に私たちが言う自然のことだけれど、もっと大きく捉えれば宇宙生命と捉えることができます。宇宙生命というのは宇宙に存在するすべてのいのちのことです。これを言いかえると、宇宙に生きている神ということです。過去生にご先祖様も子孫もあって、来世にもご先祖様や子孫がいるとしたら、今の特定の家族に執着する必要があるのかということになります。

カトケン:
いや、ないです。

いさどん:
万人が家族であって、すべての人の幸せを願うことが世のため人のためという生き方になるのです。あなたがそういう視点を持つかどうか。心を磨くということはそこに到達することが目的なのです。そうすると、あなたの最初の質問に戻って、あなたは「自分のことが知りたい」と思った。その問いを探究してきた結果、私たちは宇宙生命の一部であり神の一部分となります。そしてそのことをより明確にして、揺るぎのない自分でありたい。人間として生まれてきたということは汚れがあるわけです。だから、「心を磨く」ことが必要で汚れを取り去っていくと、この世界すべてが一体の生命であり、宇宙のいのち、神の「家族」であるということです。これがあなたが聞きたかった「自分のこと」「心を磨くこと」「家族関係のこと」についての答えです。

この道は狭い道です。高くなれば高くなるほど、富士登山でも道が狭くなっていくのです。下に行けば登り口はいくつもあるけれど、上に行ったら頂上はひとつしかない。それが本当の目的なのです。すべての生命の目的です。そこを今、あなたは目指すかどうかです。

カトケン:
僕は悔いなく生きたいので目指したいです。

いさどん:
「悔いなく生きたいから」ということで、好き勝手に生きてみてもう一度戻ってきてもいいんだよ。そういう道もある。しかし、逆に言えばそういう無駄のない道をとことん歩み続けたいという人がいてもいいわけです。僕もこの道に出会ったばかりの頃は、自分の中にずるい性格や欲深い人がいて、それを目指す自分が苦しんだ。しかし、消去法をやっていくと幾つもの人生を生きられない。人生は一本道であることがわかる。「あっ、そうか!」と。今ある心は順番に消していくものであって、それを持っていくものではないと気づいてくる。だから、ウッとしながら自分を消してきた。その時はそのしようもない自分が大切なように思える。そちらの方が誘惑的だし、心をそそられる。それをあえて消してきたけれど、考えてみたら最後に残るのはこの心の道しかないことに気づく。この道は死んでも消せない道なのです。宇宙真理、探究の道だから。それである時気がついた。「もうつまらない考えは捨てて、これだけ、一本で行こう」と思った。そして、24歳にしてそれに気づく人がいてもいい。それはあなたの意志です。ここで「どうする?」と僕が質問すると、かえっておかしいでしょう。あなたの人生ではないみたいだから。だから、あなたが自分で考えてみんなに宣言するなり、自分の中で決意するなり、それは自分で決めればいい。神様とあなたの契約だから。ただ、ぐだぐだして昨年と今年で同じことを言っているようなことは、そろそろ卒業したいものだね。

それに対して親が何と言うかは親の考えだけれど、あなたの親は生活力もあるのだからあなたの道を歩ませてくれると思う。ひとりひとりは自分の魂の位置でものを判断して行動しているものです。しかし、どんな魂も最終的には行き着くところは一緒です。そうであるならば、必ずいつかは、「うちの息子の道はこれだったのか」と理解する時が来ます。今、木の花のことを理解できる人が世の中にどれだけいるのだろうと思ってみると、1000人に一人はいないと思う。しかし、志が高ければ、まわりから理解されなくても歩んでいくことが出来る。それは自分の価値です。世の中の先頭を歩んでいる道だからこそ、まわりの評価を一番に求めるようなことでは、このような道は行けないのです。だから、志を高く持たないと歩めないのです。

あとは自分で考えて、こうやって面談をしたのだから、大人会議で皆に報告できるのであれば発表してもらえればいいと思う。こういう話を聞きましたが、今後の課題として取っておきますと報告してもいいのです。それはあなたの人生だから。しかし、ぐだぐだ先延ばしするのはエネルギーがもったいないからやめよう。

カトケン:
わかりました。ありがとうございました。

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その数日後、カトケンは大人会議で「いさどんとの面談を終えて決意したこと」という心のシェアを発表しました。

カトケン:
いさどんとの面談を終えて、自分なりに決意したことがあります。今までは農業研修生としてここで生活していましたが、7月から仮メンバーとしてやっていこうと思います。なぜ7月かというと・・・。

たっちゃん:
はい!答えは僕の誕生日があるからです(一同、笑)。

カトケン:
(苦笑いしながら)7月5、6日に地元のお祭りに参加したいと思っています。今までお世話になった人たちへの感謝の気持ちを表現できるよう、悔いのないようにやってきたいです。それから、6月下旬に足の不自由な知り合いの方の草刈りを手伝いに行こうと思っています。

なぜ仮メンバーになろうと思ったかというと、ずっとここの生き方に共感していて、僕の生きる道だと思ったからです。ここでこの道を生きていきたい!昨年の数ヶ月の滞在からかなりの時間が経ったのに、なかなか自分の気持ちに踏ん切りがつきませんでした。僕が進路を決断する時にいつも思い浮かぶのは両親のことです。いつも彼らの顔色をうかがって生きてきました。でも、今回は自分で決断しました。
その決断を両親に伝えたところ、母親は賛成してくれました。父親は、「新潟は過疎化しているのだから、木の花で学んだことを新潟で広めてもらいたい」と言いました。それを聞いて少し動揺しましたが、「こうでなくてはいけない!」という親の顔が浮かんだ時に、光輝くいさどんの姿が見え(一同、笑)、父親の顔がかすんで見えました。その時に「やっぱり僕はこの道で行こう!」と思いました。

ひろっち:
僕も親とのことで同じような経験をしています。その時に考えたのは、神様はどういう決断を喜ばれるのかということ。ここで世のため人のために生きることこそ喜ばれることだと思って、この道を選びました。それで親子関係が切れるわけではないし、ここでしっかりやっていけばいいと思います。

あっちゃん:
私も3年前、メンバーになるかどうかの決断ができずにいました。その時じゅんじーに「ファーストインスピレーション!最初に感じたことを真と思って進んでいったらいい」と言われたことを思い出し、メンバーになる決意をしました。カトケンの決断は素晴らしいと思います。

ちなっぴー:
カトケンが心を磨いていけば、それが親孝行になり先祖供養になると思います。

いさどん:
カトケンの両親は賢明な考えを持っているので、最終的にはカトケンの決断に委ねるだろうと思います。地球人として、地球のためにみんなで生きていけたらと僕は思います。

なかのん:
仮メンバーには今日からでもなれるんじゃないかな?みんなはどう思う?

いさどん:
僕もそう思ったけれど、カトケンにも思うところがあるってことだし・・・。

カトケン:
では、今日から仮メンバーになってもいいでしょうか?(一同、拍手)

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こうして、木の花大人最年少メンバーは28歳のりょうちんから、24歳のカトケンにバトンタッチされました。

それから2カ月半が過ぎ、田植えの時期が訪れました。自らの希望で田んぼ隊チームに入り、木の花での初めての田植えを経験しているカトケンは、いつも嬉しそうに作業に出掛けています。「今、悔いのない生き方をしています。みんなと一緒に。では、行ってきます!」

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宇宙の仕組み

3月21日春分の日、いさどんとみちよちゃんがヤマギシの春日山に向かう車中にて話した内容をブログにまとめました。

PDFファイルはこちらをご覧ください

み:宇宙的に観た山岸巳代蔵さんについて、いさどんに聞いてみました。

い:昨晩は、今朝早く起きることを意識して、早めに床に着いたが、眠りにつくのに時間が掛かった。その時に、山岸さんの気配を感じた。最近、特講の時に始めた瞑想をやっている。特講のときに、咳が出たので特別室(一人部屋)にいて毎晩寝る前にやっていた。それは、太陽系神、地球神、それから地球の聖者達、宗教の教祖達などの名前を順番に挙げながら、そういった御魂がこれから力を合わせて地球人類を導いていくことを意識して行っている。この世界に存在する全てのものは意識を持っている。
銀河も太陽系も意志を持っている。その意志が我々を創造しているからこそ我々も意志を持っている。その意志に通じたもの達は、銀河や太陽系や地球の運行に関わっている。それがあるということに確信を持って呼びかけると、その呼びかけは、我々が対話するのと同じように通じている。しかし、信じない人にはそんなことは不可能である。すなわち、この世界は、その人の思いが、どのレベルかによって、それに相応しい世界に生きることになる。その意識レベルによっては、物理的世界の背景にある我々が見ることの出来ない世界に通じることができる。
今、そういった世界に通じる瞑想をしている。昨晩、1時半過ぎに寝ようとしたが、全く眠れなかった。その時に、今日の日の意味を思っていた。やはり山岸さんのことを思ったし、そこに彼がいるのを感じた。ということは、僕が考えていることを彼も考えていたから、互いの周波数が合っていたといこと。朝、そろそろ時間かなと思って目が覚めた。外はまだ暗い様子。もうそろそろ起きる時間かなと思っていた。7時に起きる予定だったけど、一向に誰も起こしに来ないし、目覚まし時計も鳴らないので、そのまま考え事をしていた。今何時だろう?と思って時計を見たら、5時45分だった。まだ時間があると思って寝ようとしたが、目が冴えて眠れない。その時に、やっぱり山岸さんの存在を感じた。ということは、僕の今持っている意識レベルに彼もいるということがわかる。そして色々な彼の残した書物、「実践の書」など資料を見ていると、彼には癖があって個性的である。人間としては、癖があるからわかりづらい人。そのわかりづらさの原因は、色々なところで、話の中にフェイントが掛かっているということ。フェイントというのは、あえて話をわかりづらくしているということである。そのわからないところで、あえて人々が考えていくように表現が打ち出されている。それで、ヤマギシ流世界を表現しようとしている。しかし、そういうわかりづらい表現をしながら、ポイント毎に目的の意思がしっかりと示されている。特に戦後間のない時代だったから、人々は争いに懲り懲りしていた。だから戦争のない世界、「仲良し社会」、それから物理的貧しさから「豊かになる」、そういったことを打ち出しながら、もう一方では、それを否定して、精神性の重要さを最後に置いている。常人ではわかりにくい巧みな表現をしてヤマギシズムの表現にしている。これは、普通の人間では中々やれないこと。単なる山岸巳代蔵という、情欲が深く、駆け引きのある人ではやり切れない。こういう人が普通に人生を生きたら、ある程度の財は成すだろうが、それを大盤振る舞いしたりして、そうしたものを無にしてしまったり、親分肌で波の大きい人生になる。そうしたことを考えると、ある意味超人的な人である。やはり宇宙人。少なくとも、僕の意識の周波数にいる存在。僕は今、宇宙を意識して生きている。それは、地球の外側に地球をつかさどる神界(神々の世界)というところがある。そこに所属する魂意識があって、それが地上に降りて、地球の意志として、人間の本来あるべき境地を語る位置、つまりインドのグル(覚者)の意識、そして今、日本で普通の人間として人々に語っている、これは宗教で言えば教祖的立場、それから、普通の戸籍で生まれてきた自分、そういう立場をいくつも持っている。山岸さんは、そういうことと同じような立場の人ということ。だから、ここのところではこういう人、ここではこういう人という風に立場、立場で色々な表現をする人であった。
山岸さんが書いたものを読んでみると、そこにヤマギシズムの中での夫婦について語っているところがある。夫婦というものを1組にして考えていくというものである。しかし、我々は既に夫婦というものを1組ではなく、一人の人間として独立して考えて行く考え方になっている。それは時代背景からして、次の時代の考え方。それは、夫婦という単位を否定していることではなく、既に夫婦単位で取り組む段階を超えているということである。これまでヤマギシでは、夫婦が1組で取り組むことでやってきたが、その中には相性とか縁を無視して夫婦にしてしまうという「結婚調整機関」と言う組織が山岸さんの発案として出されている。これ自体は山岸さんの発想なのだろうが、今ではそれが、色々な乱れや矛盾を生んできている。そういう時代に合わないものが、丁度彼が亡くなって50年。賞味期限が切れようとしている。本当にこれは賞味期限だと思う。だから、彼は僕のところに来て、僕の手を握って、バトンタッチしたことは、色々なことを調べていくと本当にそうだと思う。それで、今の僕の立場があるのだと思う。これからそれがどうなっていくかと言うことに対して、昨晩、彼と話をした。
仮に、ヤマギシを僕に託すとして、「一体全体、この理念にほれ込んで、踏み込んだのは良いが、理念だけに没頭して個々の人間を磨くことを忘れてしまっている人々をどうやって、導けと言うのか?あなたはどう考えるのか?」と問いかけをした。
そうしたら、「人間の世界は、こちらの世界(彼が今いる世界)に比べると時間が掛かりますが、流れはできておりますので、しばらくこのままよろしく」というようなことを言われた。
まぁ、そういうことなのだろうな。大本教の出口王仁三郎聖師にそういう話をしても同じことを言う。でも考えてみたら確実に時代はそちらの方に進んでいる。だから常にスタンスとしては、目の前に起きることをやっていく。一切戦略を持たない立場で、今日もいる。先にどうなるだろうと考えたら、私心が入ってしまう。

み:話を聞いていていくつか質問がある。今のヤマギシは日本の縮図的なところがあると思う。戦略的で対立があり、鬱の人がいて、自殺者がいて、と言う風に、日本社会が凝縮されている感じがある。いさどんは、今年からおやじの館を正式にオープンして自殺者を減らそうという話をしていたでしょう?でも、最近来るケアの人たちは、ヤマギシの人たちが多くなってきたよね。そこを手始めに、日本全体の問題も解決されていくのかな?それは、ヤマギシから来るケアの人たちへの対応を通して出来た実績を元に、日本全体の問題にも、ノウハウが応用されるような印象を受けたのだけど、その辺はどう思う?

い:その質問に対しては、わからないから答えない。それは、この国の未来が、そして世界がどうなっていくかは、僕の思考や興味を超えたものだからだけど、僕が5月3日の葬式(生前葬)後に一番大切にしていくことは、自殺者をなくす活動をすることは事実。これは、そういう風に決意していることだし、それがこの国にとって最も大切なことであって、最も難しい問題。昨秋にヤマギシに出会う前は、対象は一般の人だった。そういう人たちが口コミで来るのだと思っていた。そうしたら、ヤマギシとの出会いがあって、今、こういう話が進んでいる。ここで事実として挙げられることがいくつかある。ヤマギシは日本社会の縮図であり、そして日本という国は調和の高い理想の国だが、現実には全くそこが生かされておらず、精神性より経済的な発展を優先させてきた国であり、本当にヤマギシは、そのミニ日本。そこに凝縮して自殺者やうつ病が出ていると言うことである。そして、それが改善されていくと、そこに実績ができる。ヤマギシの中の実績が、今度はヤマギシの中でそういった改善のケアが出来るようになる。そのためのノウハウは、全てヤマギシに伝えられる。あの人たちのように心一つで団結できる人たちは、それこそ色々な分野の人たちがいるから、それをマスターしたら、将来には統合医療の見本となる可能性がある。それは、新たなヤマギシの社会貢献に繋がることになる。そうすると、今、ヤマギシは世の中から偏見を受けている状態にあるが、それは世の中にもう一度認められるチャンスでもある。それがどこから来たかというと、木の花であり、僕がきっかけでもある。そうすると、我々の取り組みも、そこを通じて広がっていくことを考えると、昨秋、ヤマギシとの出会う前に考えていたことは、ずれていることではなく、僕が予測していなかっただけのことで、ヤマギシを通しても、それが広まっていくことになる。ばらばらで取り組むよりも、ヤマギシがこれからそれに取り組んでいくと、集中的に色々な実験もできる。だから僕は想像していなかったことだが、これは与えられた道かと思っている。そうすると、今回の春日山行きの目的は、柿谷さんとの話だが、その後に、現在預かっているヤマギシからのケアの人たちの話もあるから、春美さんやよりどんたちと話をする。その中で、この話は出る。そしてこれから、そちらの方が大切な取り組みになって進んでいくだろう。しかし、これは見通しであり、ヤマギシの人たちの心にかかっていることだから結果は常に決めない。

み:ヤマギシのピンチをチャンスにという感じがする。

い:どんなことでも、全て活かすつもりになれば活かせる。それを問題ごととして決め付けてしまえば、問題ごとで終わってしまう。しかし問題ごとは確実に活かすためにある、それを活かさない限りは目の前にあり続けることになる。

み:今、ヤマギシは結構畜産系の仕事が多いでしょう?やはり世界的な動きや環境のことを考えていくと、そうした畜産系の仕事は環境に負荷が大きいじゃない。

い:環境に負荷が大きいことも勿論だけど、畜産というのは、経済ベースで捉えると農業経済ではわかりやすいが、エネルギー的にすごく非効率である。そして何より人間の心を食としてそそる。人間の心をそそるということは、心を躁的にしていく。それは、収めしずめるのではなく、激しく活性する効果がある。経済効果を目的の人たちにとっては、魅力的なものである。これからの時代を考えると、そのところがどうかということになる。畜産自体が経済効果が高いから進められるけど、それ自体が地球環境や人間の精神性にとっては良くないということで、見直していく必要があるのだが、そのことにいつメスを入れる決断をするかということについてだが、それは霊的なことにも深く関連する。現在、木の花では光の瞑想をしている。我々人間が、どれほどたくさんの無念の魂を地球上で発生させているかということを理解する必要がある。その魂は確実に地球の霊的な環境を汚染している。それを浄化するとしたら、まずは発生源を断たなければならない。それこそイヌイットなどネイティブな人たちが生存のために動物達の命を食べていくことは、全く問題はない。それは命が伝播されているだけで、自然界のシマウマとライオンの関係と同じである。ところが、現在の人類の営みの中で、畜産の現場で起きている命の扱い方を観たときに、膨大な数の無念の魂を生み出している。それは見えないところに、大きな影響を与えている。ヤマギシが特にこの社会の縮図として負の部分が多いのは、動物をそういう形で屠殺していることが大きな原因でもある。いつここにメスを入れるかということは大きなことであり、勇気のいることである。そのことは、何よりも重要だが、結局はハードルの低いところから取り組んでいくから、重要なことは結局最後になる。本当は気付いたら、重要なところからサッと取りかかると他はあっという間に切り替わっていくのだが、一般的には下から順番にやっていくわけで、どちらになるかは、結局は上(神界)の意向であり、そこでもヤマギシの人たちの心意気にかかっているのだから、僕は知らない。今僕に必要とされていることをやっていきながら、僕自身も結果をもらいながらやっていくということになる。

み:ふと思ったのは、どこかの小規模な実顕地の1つを、実験的に健康上の観点からベジタリアンにしてみて、例えば、成人病(糖尿病や精神疾患)の人たちがどのように改善されるかを実験データとしてきちんと取って、それを活かしていくと、霊的なという話がヤマギシの人たちにわかりにくくても、健康を改善していくという切り口であれば、結果を見ながら、他の実顕地でもそれを取り入れていくことは出来るのではないかな。

い:霊的なというとわかりにくいが、人間の心も霊的なこと。そうすると人間が対立的、疑心暗鬼、悩む、愚痴る、そういうことも全て霊的な作用なわけで、肉食や屠殺による影響でそういうことも生み出している。そこの重要さをまず知るということ。いつ頃それに気付き出すかと言うことだが・・・。
どこかの実顕地でそういった取り組みをすると言うのは、すごく良い提案だよ。本来、ヤマギシ自体が試験場だから、どこか手ごろな実顕地でそういう取り組みをして、モデル化する。それは大いにやるべきことで、今後、何かの形で提案をしていくと良いと思う。ヤマギシと昨年出会ってから、いくつかの問題点が見つかった。例えば、特講の内容にしても、青本すら、日本語だけど、もう古くてなじめない日本語になっている。もう50年たっているから賞味期限が来ている。これからの時代に合うように直す必要がある。そうすると当然研鑽学校の内容も変わってくる。そういったことをやろうという一部の人の機運もあるが、さて、いつ頃これをやりだすか?というところである。もうやらなければならないことはわかっている。だけど、やらなければいけないことはわかっているけど、ヤマギシの人々の中に「けど・でもウィルス」が蔓延していて進まない。全人幸福という大儀に向けた、零位に立つ心の覚悟ができていない人が多い。
このことは霊的には、山岸さんに伝えている。「あなたの責任上の問題として、いつそれがなるのか?」と伝えると、「我々のところ(神界)では、それはすでに成っていることですが、人間の世界では時間が掛かりますから。」と返ってきた。
改革ということをもし必要とするならば、もう取り掛かっていかなければならない。これを我々から投げかけるという点では、今の話はすごく良いね。健康とか、環境とか、新しいモデルとかをいくつかのテーマとして、それを実際に顕現する、つまり実顕地(実験地)として一つ指定してやろうという提案は大いにしていくべき。

み:特講に行く前に春美ちゃんからもメールが来たときに、「ヤマギシも食生活を見直していきたいから、相談に乗ってね。」って書いてあった。わたしはそういうことに興味があるから、いくらでもそういう話をしましょうと言っていたが、その後進んでいない。今日、また春美ちゃんとも会えるから、そういう話をまた出してみようかな?

い:春美さんにはそういう意向はあるみたいだが、中々きっかけがないと難しい。あの人たちは、きっかけがあればやると思う。そうすると任しておくといつまでたってもやらない可能性もある。

み:じゃあ、きっかけは木の花が作ってあげるのがいいのかな?

い:そこらあたりが、色々なんだよね。きっかけを木の花が作りすぎると、ヤマギシの人たちって、プライドが高くてへそ曲りなところもあって、自負心が強いから、「俺達には高い理想があるのに、何でよそからそんなものをもらわなければならないんだ!」と言う風になる。だからやはり、自分たちで研鑽して立ち上げたと言うことなら、納得する。今の中央本庁の一部の人たちが動かしていることに対してもみんなで不満を言っている。そういう意味では、全体に投げかけてどうするかを、みんなで出し合って研鑽する。我々はきっかけの提案はするけど、取りまとめはしない。それとも本庁ではなく、新しいプロジェクトチームを立ち上げて、そこが投げかけるのか。何しろヤマギシの内部から投げかけることが大切だと思う。そして、そのきっかけは木の花でもいいと思う。

み:前から聞いてみようと思っていたんだけど、いさどんは金星から来たのでしょう?そうした宇宙的な目で見たときに、山岸さんとかはどこから来たのかな?って思うのだけど。

い:僕の感覚では、山岸さんは金星から来ているのだろうと思う。だから周波数が僕と合う。これは確かではないけど、ほぼ間違いない。

み:それはいさどんの肉体が無くなって、宇宙に戻ったときに同じ星から来たってわかるの?

い:肉体が無くならなくても、これからこの流れが進んでいけばいずれ分かると思うよ。でも、そのことについては、肉体が無くなったときに、わからなくたっていいんじゃない?僕は今、自分の中で、とりあえず金星のことは大きな意味を持っていないと思っている。僕は、銀河全体のことを今は考えているから、先は銀河の旅に行きたいと思っているくらいだから。とりあえず太陽系のことは、今までの自分のグラウンドだったからね。何となく感じるのは、今回こうした役割をもらってここに来たけれど、役割を果たすことによってこの太陽系というところから自分が解き放たれて、次のフロンティアに旅立つのだろうというイメージを持っている。それで、人々(地球人)にとっては、こういうことはとんでもない絵空事のように思うかもしれないけど、実はこれは真実なんだよ。人間の想念と言うのは、全てこの世界の現象の背景にあるものでしょう?人間があんぱんが欲しいと思えば、あんぱんを創り出すのだし、鬱的なネガティブスパイラルを持っていれば鬱が発生するのだし、全部そういう風に想いによってなっていることが理解できたら、今僕が語っていることは事実だよ。
ただ、肉体に縛られて、そこからしか物が観えないと理解できない。この間、僕は金星の精神性の完成度について話をしたことがある。そうしたら杉山開知君(地球暦の開発者)が来て、金星が太陽系の中で最もバランスの良い星、ということを彼が伝えに来た。そうやって真実は必ず証明されるわけだ。だから真っ直ぐぶれない想念をもって表現しきると、常に真実の上を歩んでいくことになる。

み:地球が未熟だから、今、色々な星から色々な魂が降りてきているの?

い:それがね、僕も一時そういう風に考えていたのだけど、この間の開知君のデータを見るとね、水・金・地・火は、硬い岩石で出来ている惑星だということだった。そして太陽は全く異質のものであり、太陽系全体をまとめつなぎとめる役割、太陽系そのもの。その次の木・土・天・海・冥はガスで出来ている星だと言っていた。そうすると、木・土・天・海・冥は水・金・地・火とは違う役割のものなんだよね。そこにも霊的世界がある。それは役割が違う霊的な世界だと思う。そして水・金・地・火は、地球人類のような霊的なものを持っている。その中で、水・火については、ぶれが大きい。特に水星のぶれが大きい。地球はそれに対して、どちらかというと金星に近くぶれが少ない。金星はみごとにぶれが無い星であるけれど、地球は微妙にぶれている。この人類のぶれを、ここの世界で見ていると、本当にわからん連中だなと思う。そして、ヤマギシをこの世界の縮図だとして見たときに、ヤマギシの人たちはいがみ合っているけれど、ちょっと大事を伝えるとすぐに気がつく。それと同じことを地球人に感じる。人間たちも戦争をやっているけど、痛い思いをすると気づくというレベルだと思う。この太陽の周りを回るぶれはほんのちょっとだけなので、意外とアホそうで、アホじゃないと思う。でも、これは太陽系の多様性なのだろうけど、水星とか火星のようにぶれてしまうと、これはもうどうしようもないじゃない。そうすると金星がひとつのモデルで、地球はそれに近い存在。その近い存在に、肉体と言う物質を持たせ、セットにすることによって何か実験しているわけだよね。だから、地球というのは、さっき話をしたヤマギシのどこかの実顕地において、問題点を改善するための実験場という意味合いもある。ヤマギシでいうならば、実顕地のようなもの。そういう風に捉えると面白いと思う。
今まで僕が思っていた印象の地球は、幼いという捉え方をしていたけど、意外と地球は幼いのではなくて、それは観えていないから幼いだけであって、観えたらたちどころに目覚める存在。そうすると、土星とか木星とかの外側の星は、地球のぶれに影響を与える存在。つまり、木星であれば木星の表現がある。土星自体も、それ自体が複数の霊的な魂のかたまりとしての特徴を持っている。例えば、人間の魂だったら、肉体の中に入れてやると一人の人格が出来あがる。そういう種類の魂の分類からすると、木星以降の魂の分類と言うのは魂のパーツのかたまりなのだろう。

み:パーツ?ちょっとわかりにくいんだけど?

い:一人の人間は、百八つの煩悩(カルマ)を持っていて、その組み合わせによってその人を表現している。そうするとその土星以降の惑星の霊的な表現は、百八つのなかのパーツ、つまり、愛とか怒りとかが部品のように個別のカルマとして分類されてあるのだろうと思う。わかる?

み:じゃあ、一つの人格的組み合わせになっていないということ?

い:一つの人格のように組み合わせになっていなくて、パーツごとにそこに存在している、いわば倉庫のようなもの。それが、惑星のラインが整ったりすると、太陽の刺激によって、そこから邪悪なものが地球に降り注いだりとか、愛が降り注いだりとか、人類が戦争を始めるとか、ヒットラーみたいなものを存在させるとか、そんな影響を与えているのだろう、そういう捉え方をするようになってきた。
だから水・金・地・火と木・土・天・海・冥はタイプが違うんだよ。

み:それぞれ今、地球に来ている魂は、目的が違うの?

い:地球に存在している魂のほとんどは、元々地球由来の魂で、太陽系の第三惑星を、現在の地球にするための地球化計画に基づいた目的が最初にあったはず。そうすると、地球のために生成された魂と、それからそれを指導するための役割の魂という分類はある。だから、元々、地球化計画のためにつくられた地球人類、肉体人間のレベルだけではなく、地球には霊的な状態で存在していて、外から刺激を与えて地球の運行を支えているものもあれば、まだ未熟なものとして迷っているものもいる。それが受け皿としての肉体に入って、肉体人間として地上にいるものであるから、人間には色々な魂の形態がある。

み:では、指導的な役割で来ている魂は、金星から来ているの?それとも他の銀河系の星からも来ているの?どれくらい広い範囲から来ているのかな?

い:指導的と言ってもタイプがある。現人神のように人間の肉体に入って、役割をする為に来ている魂は、金星からだけだよ。それ以外に、霊的なメッセージとして、他の星から、これは太陽系だけではなく、他の銀河からもチャネリングのような形で人類にメッセージを降ろしてきているものもある。だから、肉体人間として降りてきているのは、殆ど金星からだけだと思う。後は、太陽系の星々からパーツとして、いわば原発事故があったときに放射能が降って来るのと同じように、太陽の活動の結果として、他の惑星から霊的な作用が地球上に降ってきて、それが人間に影響を与えて、人間の世界の中の争いであったり、調和だったりという様々な作用をもたらしている。

み:他の星からのパーツを降らせる、降らせないという、その辺の采配は、やはり宇宙の意思?

い:大きな捉え方をすればそうだけど、厳密に言えば、それは太陽の意思だろう。だって、ここの世界は太陽系だもの。太陽(光)が元になって命が成り立つ世界だから、太陽が全ての惑星の心臓部、魂で言えば丹田だから、これは太陽の意思だよ。太陽系の範囲は、太陽の光が届いて、太陽のご意向によって成り立っているわけだから、これは当然のことでしょう。

み:じゃあ、わたしたちが神さまとか光をイメージするときには、太陽のイメージをすることが多いのだけど、それは、そういうことから来ているの?

い:そう。全ての元は太陽の意思だからね。

み:でも私が感じてきたのは、いさどんが言っているところの神というのは、それよりももっとずっと大きいものだと言う印象があるのだけど、そことの違いを話して欲しい。

い:太陽系をつかさどる神は、守備範囲としてあくまでも太陽系を任されている。その外の天の川銀河とか、さらにもっと大きな広大な世界をつかさどる神という存在も同然ある。それは、役割分担というか守備範囲のこと。今、僕が知っている天(あめ)の〇〇と言った「天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」とか、「天之常立命(あめのとこたちのみこと)」とか、仏教的に言うと大日如来とかは、全て太陽系をつかさどるもの。一般的に地球人が認識していた宇宙は太陽系のこと。しかし近代に入って、人類がこの世界を物理的に解明していった結果、太陽系の外に天の川銀河があり、更にその外に広大な宇宙(銀河群)があることがわかってきただけのことで、我々が霊的な影響を受けて、人格を含めた生命の仕組みを一つの法則としていただいているのは、太陽系が基準になっている。これは、一つのいわゆるコミュニティで、大きなコミュニティが銀河だよね。だから銀河は、地球で例えると国家のようなものだ。国家の中にあるコミュニティが太陽系で、木の花やヤマギシは、地球上の国家に当たるものになる。更に外に、宇宙と言う世界があるわけでしょう?

み:ふと思ったのは、太陽系が小さなコミュニティだと言われると「へぇ、そうなんだ」と思う。今のこの立場から言うと、地球だけでも世界全体で70億人の人がいて、相当大きなコミュニティだなって思う。でも、今の話のスケールに思いを馳せると、次の社会を作るための代替的なエコビレッジのような活動をしている人たちの中で、世界で活動している人たちはほんの一握りで、一歩海外に出てそういう人たちと会おうと思うと、みんな繋がっていて友達。数えられるくらいしかいない。案外小さいんだなと思う。そうやって考えると、太陽系が小さなコミュニティだなというのは、すごくよくわかる。わたし達エコビレッジ関係者の人たちの背後にも見えない広大な世界があり、その存在の全てを含めてコミュニティなのだと思うと、何となくイメージ的にわかったような気がする。
い:エコビレッジの運動をしている人たちは、何故そういう考えを持ったかということ。背景として環境を無視している人間のあり方や、人が繋がらないで対立しているような不幸があるからでしょう?その不幸があるからこそ、そこでエコビレッジ運動をする意味がある。ところが、金星のような世界は、既に完成されているのだからそれは必要がない。そこで僕は問うた。「この世界はあなたの意志によって動いている世界です。そうすると、人間は全てあなたの子供と言えます。ところが人々の歴史を見ると、血で血を洗うような歴史が営まれてきました。子の出来の悪さは親の愚かしさ。弟子の出来の悪さは師匠の力量不足とも言います。あなたはもっと優れた魂を地上に降ろし、もっと完全なる世界を創ればよかったのに、なぜこのような未熟な人間を地上に降ろしたのですか」と。それに対して神様が答えられました。「私はこの世界において唯一ひとつのものである。それは完全なる世界と言える。それは私だけの世界である故に、孤独な世界でもある。私にも食べ物がある。それは喜びである。喜びが私の食べ物である。私一人の孤独な世界では、絆もなく愛のない孤独な世界である。それ故に、光には闇を、善意には悪意を、愛には孤独を、調和には対立など、それら私の存在と反するものを生み出し、私の存在の表現とした。それにより、私の世界にいのちが生まれ、悪意から善意へ、孤独から愛へ、対立から調和へといういのちの流れが生まれ、その流れの中からこの世界に喜びが生まれるようにしたのである」と。ということは、今の社会に問題を感じて活動をしている人たちが、現代社会のあり方に対して間違いだと言うこと自体が、神の意思に背いていると言うことでもあるということだよ。わざわざ問題を作って変化を持たせたのだから、それを「問題だ、もっと理想の世界にしろ」という主張は、ある意味、この世界の多様性や自然の流れに反することになるわけじゃない?でも、背いているわけではないのだよ。問題を作ったのは、それを改善していくことによって、そこに喜びを発生させると言うメカニズムが目的なのだから、問題を作ったままにしておくのが目的ではない。問題を作るのが目的だった、更にそれを改善していくのが目的だった。改善して、更にそこに喜びを発生させることが目的だった。ということを考えると、問題自体もそれをノーだと言って、反対して騒ぐ人たちも、やがてそれが改善されていくことも、全てプロセスの上にある。つまり全てが目的で、順調よく行っているというわけだよ。
そうすると、我々は何をやっているかと言うと、争っていることも、調和していることも全て神さまの意思なんだよ。道代ちゃんがさっき、「自分から見たら70億の人間とか、地球から見たらこのコミュニティが巨大だと思った」と言っていた。それは、道代の物理的スケールと魂的スケールを基準にするからそうなってしまうのだよ。ところが、そのスケールを一回ご破算にしてフリーにこの世界を観て行ったら、僕の話なんか簡単に理解できる。

み:いさどんの話を聞いていると、その通りだなって思えるんだけどな。

い:ところが道代のスケールに戻るとそんな風になるんだよ。そこが、人の心が自由自在になれるという証拠なんだよね。そしてもう一つ表現していた、この世界の善悪、例えば、今までのようなあり方、ヤマギシで言うと拡大路線とか、人類が物理的な進化の延長に、偏ったテクノロジーの発展を進めてきたことも含めて、それ自体が曲がり角に来ている。しかし、その前の貧しい時代からしたら、それは問題ではなく、産業革命というテクノロジーの夜明けを迎えることになった。それは200年~300年続いた後、今、次のステージに進もうとしている。そうすると、その背景により物事の基準が変わるから善や悪になるだけのことで、善悪などはこの世界にありはしない。だから人間がいつでもフリーに、今出会っているものは何なのかを理解していければ、たちどころに問題ごとは消えていく、そういった自由自在の世界にいるということになる。しかしそれが人々にわかってしまうと、痛みを味あわせては、そこを乗り越えることによって喜びを発生させ、神さま自身も喜んでいるという、神さまが人間に対してゲームを仕掛けていることがわかる。これってゲームの世界でしょう?バーチャル(仮想的)に作っては、勝った、負けたと言って喜んでは、またご破算にして、ゲームをやっているようなもの。それがわかってしまうと人間は、人間の側でなく、神の側(宇宙の仕組み)に立つことになる。

み:なるほどね。最近、自分のトピックとして、二元論で考える自分がいて、何でも「良い・悪い」で判断していることに改めて気付いて、そのどちらかに分けようとしている自分に気付いた。それにはどちらもそれぞれ長所・短所があって、本当は決め付けられない。しかし、今、いさどんが言ったように、その背景や状況によって「こうだ」と決め付けてしまいたがる。そこに何があるかと言うと、決め付けることでそこに「安定」みたいなものをもたらしたいと思っている自分がいる。でも、そこに安定を求めていくと、水が流れるような自然な動きが無くなって、澱んで腐っていく。だから、宇宙は本来そういう風に出来ていないということだよね。

い:宇宙は限りなく循環し、巡りめぐって変化する。それは、一定のものであって、特定のものが繰り返し回っているだけの世界。その循環して巡りながら変化することを「生命」と言うんだ。だから、我々もまさしくその中にいて、自然に帰ったり、自然から戻ってきたり。大きく捉えると、それ自体が自分なのであり、一つの生命であることがわかる。
(宇宙=生命=循環して巡りめぐって変化するもの、増えもせず減りもせず)

み:だとしたら、人間が安定したいと思うその心って何なんだろう?

い:それが、自分への執着なんだよ。だから二元論って言ったよね。この世界は究極の二元の世界なんだよ。つまり、陰と陽で出来ていて、すごく単純さ。そして我々は自分と言うものが無い限り、こういう解釈はできないわけだ。お釈迦様も「自分と宇宙」、「自分と世界」という対比でこの世界を観たんだよ。それは、自分が無い限り、この世界もないんだよ。究極は自分とこの世界が対等、すなわち「自分=宇宙」であって、自分が無くなれば宇宙もなくなるという世界。だから、自分という存在を持っているところに、それがあるわけで、自分を越えたものに、それは無いわけだ。

み:ということは、宇宙を観たいと思っていると、その安定を欲しいと思うのね?

い:いいや、自分を発生させると安定が欲しいと思うわけだよ。自分という基準があると、自分の心地良さや自分の納得とか、自分で測るということになるものだから、自分の範疇の中にこの世界を置いて、特定して観ようとするわけだ。それで、自分を消せば消すほど、自分のスケールは大きくなっていくわけだ。例えば、自らを「自分」という特定にする、「家族」という特定にする、組織だったら「木の花」という特定にする、それから、「日本」、「人類」、「地球」、「太陽系」という風に特定するでしょう?そして「銀河」「宇宙」、それを「全体」と特定したら、「自分」の存在は消えていくわけだよ。つまり、自分という認識は、いくらでも増えたり減ったりするわけだよ。その意識がどの位置にあるかによって、対するものに対して特定しようとする欲求が生まれてくるわけだよ。それだけのことだ。それを自分を持ちながら、かつ自らは宇宙全体という認識を持っていたら、これは、ある意味、究極の世界に踏み入っているよね。そういうものは最終的に、肉体を返上したときに宇宙にその魂が微細に遍満して、宇宙そのものになるのだから、そうなったときには、特定する人間とかには囚われないわけじゃない。それが、悟りであったり神との合一であったりする。
そうすると地球を掌る神がいるとしたら、そのレベルの神とは、地球に囚われているということになる。だから、どこに意識のレベルを置くかということで、道代ちゃんが、一人の人間としての「道代ちゃん」に囚われていれば、その位置の現象が明快にあなたの人生に現れるということ。

み:最近わたしも寝る前に瞑想をするの。それで、その時に繋がるのが自分のハイヤーセルフ(神我)みたいなものと繋がるようにしているのだけど、そうやって考えると、もっと大きな存在と繋がった方がより宇宙的に物事を捉える役割をいただく人になれるのだろうか?

い:確かにその通りだけど、その構造が知識的にわかったとしよう。その時に、自分の魂がそのレベルに達していないのに、想うだけ想って、「わたしはそういう意識に繋がりたい」という意識では、アンバランスじゃない?

み:それも、神さまからいただいたことではなくて、自分の作り上げているエゴみたいなところもある、とも思うんだよね。

い:そう。エゴ的、知識的。自分の意識のレベルということになるわけだから、それだったならば、そういうことは一切抜きにして、明らかにこの世界には秩序があるのだから、その秩序に向かって呼びかけたほうがふさわしい。変にその構造的知識を知って、そこの位置に自分をもって行きたいというのは、よく行者が自らの欲求を達成したいがために、裏づけにする守護霊とか守護神を降ろしてきて、その背景によって道を説いていくようなご利益宗教になってしまう。それは、求める人にとっては尊いものであっても、真理に向かっての道からは遠ざかってしまうことにもなる。

み:何か、それも意図的かなとも思って。だから食事の時にするお祈りでは、神さまのレベルはわからないけれど、「神さま、どうぞわたしをお使いください。神さまが使いやすいわたくしでありますように、お導きください」と語りかけている。

い:「常に私はそのようでありたいと思っているものです。どうか私を相応しい役割に使ってください」だよね。でも、使ってくださいと言っても、向こうからすれば、「始めからそういうものとして、わたしは使っておる。改めて頼まれるような話ではない」ということになるんだよ。
だから、わたしとあなたという意識が存在している限りは、まだ途上ということになる。「既にお前と私は一体であって、お前はわたしの意思によって相応しいところで使っておる。お前の認識している意識は、お前がそのレベルに保っているとも言えるが、逆に、わたしがそうしているとも言えるんだぞ。」
そのことを理解すると、それって「私が今与えているレベルより、上がっていったから、役割を上に上げようか」とか、全て神の意のままの話ということでもある。そうすると、人間の思考っていうのは、何だろう?ということになる。

み:そうなの。そこで、自分なんかいらないとしたら、今までの自分を振り返ると、木の花に来て日々、自分の心の中を観ていくことをやり始めて、自分のエゴがあったりして、気付いていくわけじゃない。なかなか自分で気付かなかったり、改善できなかったり、意識が上がらなかったりするけれど、それも含めて全部神さまが、「いつまでも意識のあがらない道代ちゃん」を作っているというわけでしょう?

い:そうすると、つまらないじゃない。我々に意思が無くて、全部神さまのマスターベーションになってしまうわけでしょう?そこでは神さまもひとりでゲームをやっているのだから、つまらないわけだ。そうすると、自分というものを分割して、「自分 対 〇〇」という相手を創って、自分の範疇を超えた遊びの部分を作る。それが、我々に与えられている自由なわけだ。それをどうするだろう?これは、実験室でビーカーなどにこうした世界を作って、そこに地球世界を培養して、さてどういう風にこれが繁殖していくかを研究して楽しんでいる。それこそ麹でも培養して、発酵具合を見ているような世界でもあるんだよね。だから我々には、神を無視して、神の存在を全く信じない、自分達だけの思考でこの世を作っているという人々すらも認められているということなんだ。それを無神論者というのだけど、本当にそうなのだろうか?あなたはこの宇宙の中の一つじゃない?ということに気付いた時に、もう神の手(この世界の仕組み)の中に無い存在なんて有り得ないということになる。この世界を広くおおらかに捉えると無神論者も神さまの手の中にあって、それは遊びの中に与えられているということになる。

み:そうするとその自由をうまく使うことによって、神さまを結構喜ばせることが出来るね。

い:その遊びがあるからこそ、我々は神を認識することが出来るのだし、人間というのは、神の領域まで到達することができる者になるんだ。神はこの現象世界(三次元世界)を創造されたわけだけど、どうしてこの世界を創ったかというと、その中の殆どの存在は、神の意のままの存在であるわけだ。しかし、人間は、そこの中で唯一自由意志を与えられたものとして創られている。中にはその元本を理解できない無神論者までいるわけだ。つまり、人間という神(命)から隔離して、神から意識が離れていたものが神に近づいていく、そのプロセスを人間に味合わせて、その喜びを神自身が味わっている。だから人間は神の名代として命を生きて、生命としての自らに気付いていくことを目的として生きているとも言える。それに対して、他の植物動物などの生命は、神(宇宙ルール)の意のまま、ルールに則って存在している。人間の存在も神の意思そのもの。最終的には、全てこの世界は神の意思そのものということ。そういう風に考えていくと、またまたつまらなくなる。だから神さまに聞いたんだよ。「この世界にあなたは遍満している。そのあなたの支配する宇宙はあなたの個性ですね。すると、あなたの隣には、あなたの個性とは違うルールの世界があるのですか?」と尋ねた。そうしたら、「それを聞いてどうするのだ?」と言われた。「お前は私のルールの中に存在するものである。その隣の世界があるとして、それを理解しようとして理解できるのか?」と言われた。「それは、理解できません。」と答えると、「では、理解できないものを聞いてどうするのだ」と言われた。「あ、不必要なことなのですね」ということになるわけだが、では、それに対して「隣があるのか、ないのか?」ということに対しては、「あるが、理解できないものである」と言われる。それをどうやって理解するかというと、この世界は全て二元で成り立っている。ということは、「この世界」を認識したら、この世界を存在されるもう一つの世界があるわけだ。それは、物理学でも常識のことである。

み:いさどんが言っている「この世界」というのは、太陽系だけではなく、もっと大きなものを指しているの?

い:そう、宇宙全体のこと。この神が掌っている世界。物理学でも極められない世界。そして、この世界が存在するということは、その対極があるからこそこの世界があるということになる。それは、想像の世界になる。この世界のスケールは、何百億光年という世界だと理解している。それは行ってみてわかっている世界ではない。そして、この宇宙世界を一つの世界と捉えたら、これを存在させる一対がある。これを陰としたら陽、陽としたら陰があるということだ。こちら側を離れて向こう側に行き、向こうからこちらを見たときに、初めてここの世界がわかる。そうすると、物理的には対極に行けるかどうか考えるわけだ。そうしたら「行けない」という結論になってしまう。光を越えて、この四十数億年の、我々の宇宙を超えた世界、その百何十億光年の世界を我々は認識しているわけだ。この我々が存在する太陽系や銀河を作っている四十数億年を超えた世界がある。それすらも理解できないのに、その無理解の更に対極があるとしたら、もうどうしようもない。お手上げだ。それで、物理学では、この探求については諦めたが、僕は諦めていない。そこで、これを認識するにはどうしたらよいかと言うと、この物理的人間を超越して、自らの思考が宇宙意識まで行ったもの、つまり神のいる側 — あってあるもの、無きて無きもの — そこの世界に合一したら理解は出来る。つまり、神さま(宇宙真理)と一緒になったら理解は出来る。しかし、そこまで一体になると面白くないじゃない。何にも無くなっちゃうんだから。その手前のところで銀河でも旅をしようかというところに今の思考が働いている。

み:でも結局は、一般のわたし達みたいに、神の世界と一体にとても成り切れない人たちこそ、楽しみがあるということでしょう?

い:そう!だから、金星のぶれの無い世界に対して、地球のぶれのある世界というのは素晴らしい世界ということになる。その時に、何で地球に完全な世界を表現しなかったのかを神様に聞くと、「完全は完全であるのか?」と言われて気付いた。ということは完全は不完全によって表現されるのであって、完全なる世界とは不完全であると言っている。完全が不完全からできているとしたならば、その完全の世界に不完全を下ろし、そこで完全を超えた完全を創った。つまり、地球という世界は、完全を超えた完全の世界だとわかった時に、何とすばらしい世界がここに創られているのかということに気付いた。

み:今の話は、地球のこと?それとも宇宙のこと?

い:宇宙とも言えるし、地球とも言える。それほどの配慮の世界を創られたとわかった時に、僕は、神様は今まで偏っていて未熟なのではないかと思っていたけれど、そうではなかった。その偉大さに敬服し大拍手を送った。
「素晴らしい!」

み:そんな風に思ういさどんって何者なんだろうって思うんだけど。

い:僕はいつも、そのように対話しながら遊んでいる。面白い世界だ。この世界は想念の世界。想念こそが世界を創っていく。この物理的な世界は、解釈によってどうにでも解釈が変わる。だから物理的な世界も面白い世界だよね。
先日の地震や津波でたくさんの人が亡くなっていった。死を迎えることは誰にでも確実に訪れることである。それは生の学びの卒業でもある。そして修行からの救済でもある。生命として存在することから生まれる苦痛からの救済でもあるのだよ。逆に言えば、津波にもまれながら助かった人もいる。大変つらい経験をして助かった人々。その人々が本当に助かったのかどうかとは、その後の生き方によるのである。人によっては苦痛の世界に逆戻りしたことになる人もいる。それはゲームのようなものでもある。死ぬも生きるもその人の心の持ち方にかかっている。そのことがわかると、自由自在に楽しみ、生きられる。だからどこの位置に心をシフトするかによって、この世界は、喜びでもあり、苦痛でもあり、どんな世界にもつなげられる。そういったところから捉えると、うつ病になってみるのも善し、喜びを感じるのも善し、もう好きなようにしなさい。自由自在の世界なのだから。そしてそこまで意識が行くと、いかに我々が自由な世界にいるかがわかる。自らを特定してしまうと、たいへん不自由な世界に生きることになる。

み:わたしの心の癖だけど、ふと思ったのは、「あぁ、いさどんくらいに思っていたら、神さまは可愛くて仕方ないだろうな」って思ったの。

い:過去に僕がまだまだ目覚めの途上のころには、苦痛を感じたときに、「私に与えられたこの問題は何ですか?これをわたしに与えて、どうされようと言うのですか?」と想い、上を観上げると、いつも神様は「何も問題は無いぞ。滞りなど、どこにも無いぞ。全て順調にいっているぞ」と言ってニコッと笑っている。「そうですね、それを理解できない私がいるのですね」という対話をいつもしていた。ウッとして上を観るたびに、滞りなどどこにもないと癪に障るくらい、いつも言われていた。その当時は、神さまとのゲームにいつも負けていた。ウッとして上を観て、その存在に気付いたときには、「あっ、このゲームを引き分けにしよう。」と思うようになった。

み:わたしが思ったのは、いさどんみたいに出来のいい人は、神さまは可愛いだろうなと思ったの。でも、わたしやみんなみたいに色々と問題を抱えている人たちは、どうかな?って思ったときに、「あぁ、それでも神さまは愛してくださっているな」とすごく思ったら、出来の悪い子ほど、神さまは喜んでくださるなと思った。

い:だって、今ここにいる道代っていう存在こそ、神の目的そのものなんだよ。僕のようになると、心が通じた人ということになるけど、「おまえは、だんだんわたしの方に意識が近づいてきて、ある意味では、わたしの目的から外れている」つまり、僕のようなものが増えてきたら、この世界を創っている意味が無いということにもなる。

み:つまらなくなってしまうよね。ということは、わたしのできの悪さも神さまを喜ばせるという意味では、大事なの?それで、開き直っちゃいけないけど。(笑)

い:そうそう。それでも神様は、苦痛ばかりの中にいて、その意味が全くわからない人も、神さまが創られた仕組みの中の出来事として認めておられる。出来の悪い人ほど可愛いっていうじゃない。

み:うちにケアで来ていて、時間が掛かりそうだなという人たちが、どんどん変わっていくよね。それは、何かある意味、神さまが嬉しいと思うような感覚を、わたし達も味合わせてもらっていると思う。

い:そう、だからそういった人達が木の花に来ることは、我々のためなんだ。我々が何かしてあげているのではなくて、それが我々の存在の生きた証なんだ。してあげていると思っているうちは、まだまだ本当を理解していない未熟なものである。

み:今回、ケアのサポーターをさせてもらって、すごくそれを思った。楽しかったし、すごくありがたかった。

い:僕なんかいつも思う。この人は何でわからないのか、僕の言うことを聞きさえすれば、たちどころに良くなるのに、と思う時がある。何でこの人は自分の矛盾に気がつかないのかな、と思ったときに、この人はこの人で役割として、それを表現しながら歩みとしている。だから、治らないのもプロセスということになる。そうすると、場合によっては、治すことばかりが良いわけではない。だからといって、治さないのも良くない。という我々は大変面白い世界にいる。これは何なんだ?物事の奥にある意志を観る、表面に見える形に囚われるなということ。

み:それも全てお任せしなさいということ?

い:それはそうとも言える。しかし、お任せしてしまうと変化がなくなってしまう。だから結論が出せないところに、我々は存在しているわけだ。山岸さんの青本を読んでいくと、そういうところが出てくる。物事を特定してはいけない。色々なものがいて、それで良いのだとする。でも、この世界に問題ごとはたくさんある。昔は貧しかったし、そうするとその貧しさは解決しなければならないが、どの落としどころが正しいというところにあってはいけない。それを特定したら道は外れる、と彼は言っている。この方はそこの意識レベルの人だから。そして彼は、そこへみんなにおいでということを言っている。行ったらわかるぞ、行かなければわからんぞ、という世界。

このことをなかなか世の中に出せなかった。今回のこの旅はひょっとしてこの時間が目的だったのかもしれない。最近、僕の中にフラストレーションが溜まっていた。出版のプロジェクトも滞っていて、自分の中にあるメッセージが、出せないでいた。これも全て神の意思。しかし僕の中にはさらに色々あるのに、何で出せないのか、とフラストレーションが溜まっていたところだった。
今回の旅は、当初陽子ちゃんが出張するつもりでいたが、結果は陽子ちゃんではなかった、道代ちゃんと行くという風に考えていたら、みかちゃんも行くと言った。みかちゃんに行きたい心があるのならそれもいいか、と思っていたが、結果として、みかちゃんは行かず、二人だけだった。道代は来るけど、向こうの録音だけのつもりで来るのだろうか。僕は車の中の話も重要だと思っていた。そうしたら用意されていた。だけど、その心構えを道代ちゃんがしているかどうかは、僕にはわからなかった。そして道代ちゃんはその大事を心得ていた。そして、そのことで質問もあると言う。そしてこの場が持たれた。それで、僕のフラストレーションも解消した。

み:良かった~♪わたしにはわからないけど、自分が役割として行くと言ったけど、果たせるのか疑問に思った。だけど、どう考えても陽子ちゃんが行けなくて、この役割は運転のことも含めて、わたしが行った方がいいと思った。

い:運転などは、神さまに任せていると全く疲れない。自分の肉体の中に神の意識が入って、そうすると一応ハンドルを握っているけど、さっきからずっとここまでの間、全く運転している意識が無い。あぁ、こんなところまできちゃった。

み:いいなぁ、わたしもそんな風に運転できるようになりたいな。わたしもしてみようかな。

い:一応、もう少し行くと御在所サービスエリアだから、そうしたら道代ちゃんに代わってもらわないとね。ヤマギシの人たちには、いさどんは運転が出来ない人という認識を持ってもらう必要があるから。それは、いさどんが何者であるかという認識を、とことんわかってもらわなければならないから。

み:この間の電話での会話の様子を聞いていると、よりどんはわかっていないんじゃないかな?

い:でもそれは、同時に僕も充分自分のことがわかっていない。それは、時間と共に、自分の言葉に出会うと共にわかってくる。そういう状態だから。

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まだまだです!は順調な証

2泊3日の滞在ですっかり病気が良くなり元気になったけいくん(詳しくは、「2泊3日の滞在でも」をご覧ください)。そのけいくんから、「僕はもう元気になったから、今度はお姉ちゃんの番だよ。お姉ちゃんが木の花に滞在してきたら?」と言われたお姉さんのゆうちゃんが、ここで1ヶ月と少しの間ケア滞在をしました。今回のブログでは、ゆうちゃんのケア滞在記と「主治医」であるいさどんからのコメントを紹介したいと思います。

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「木の花ファミリー ケア滞在記」

2011年2月の中旬から40日間、木の花ファミリーでお世話になりました。最初は弟の病気の相談で弟と母と一緒に木の花ファミリーに来たのですが、私には何かがあり、色々と行き詰まっていたのです。それで、私は木の花ファミリーにケアをお願いすることに決めました。きっかけだった弟の方は、いさどんと面談をして数日滞在しただけで、すっかり統合失調症が良くなりました。だから、自分の方も簡単に良くなるものだと甘く見てケアを受けたものの、なめていた自分がいて、本当に滞在中は苦しみました。

そんな中、ファミリーの人たちは毎日温かく優しく接してくださって、私のうつ的な状態を全身全霊で治してあげよう!という気持ちがいつも温かく伝わってきて本当にありがたかったです。しかし、その反面、私は我が強くて自分のことは棚に上げ、「人を正したい、自分はいつも正しい」という思いがありました。他人の言うことを素直に聞けないので、同じくケアで滞在している人に怒りを感じたり、おせっかいをしてみたり、ケンカをふっかけたりと、以前からの癖がここでも繰り返し出てきました。ファミリーの優しさに心を閉ざし、「早く家に帰りたい」と思ったことは何度もありました。こんなに長い時間をかけて自分の心をみつめる機会はなかったので、挫折して逃げ帰りたいと何度も思った自分でした。そんな我の強い自分も、「自分のやり方で良くしたい、治したい」という思い(この考え方は私の昔からの癖)も滞在中にとうとう底をつき、苦しくて号泣していた時に、やっと主治医であるいさどんの厳しい言葉が心に素直に入ってくるようになりました。親にも言われたことがなかった自分なだけに、直したほうがいい性格上の癖をいさどんに言われた時には辛くて受け入れがたかったです。しかし、そこを受け入れたら、病気になるほど頑固で見栄っ張りでかっこばかりつけていた自分に気がつきました。そうやって自分を正しく捉えることが出来た時に、いさどんの愛情を感じることが出来るようになりました。

その後は毎日作業が楽しく、自分が思っているより自分が小さい器で、情けないところが沢山あることを受け入れたら、ファミリーの人たちと自然の中に囲まれたここでの暮らしが本当に楽しくなりました。毎日目の前のことを集中してやっていく。無駄な考えが湧けば切り替えて、目の前の作業に集中することが健全な心なんだと教わりました。歌をうたって、笑って、みんなと食事をして、クタクタになるまで畑のお手伝いをさせてもらって、美しい富士山や木や花を眺める日々がいただいたものだと思えて、幸せな気持ちをいっぱい味あわせてもらい、いつのまにか苦しい道を抜けて、豊かな心をいただいていました。ここに来る理由となったのは家庭環境のトラウマだったのですが、木の花ファミリーで教えてもらったことは、苦しかったトラウマ時代も実は私にとって必要な経験であったこと。来るべきタイミングがやってきて、木の花のみんなに助けてもらえたこと。すべて与えられ、必要な経験だったのだと学ばせていただきました。

まだまだな私ですが、これからもいただく謙虚な気持ちで、ファミリーのみなさんと学ばせてもらいたいと思っています。今回は体験を書く機会を与えてくださって、本当にありがとうございます。ありがとうございました。

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そして、ゆうちゃんがここを出発する前日の大人会議で、いさどんはゆうちゃんに次のような言葉を送りました。

いさどん:
ゆうちゃんは最初、ケア相談で訪れた弟の付き添いでここに来ました。その時は、「ちょっと落ち着きのない人だな」とは思ったけれど、まさか彼女がここへケアで来ることになるとは思いもしませんでした。弟は短期間の滞在で奇跡のように回復し、それでお姉ちゃんにもケアを薦めてくれたようたようでした。

その後、ゆうちゃんがうつ病ケアを受けにここに来た時には、「この子は難しい子だな」と思いました。というのは、自分で自分の状態を判断していて、「私はそんなに重くない。1週間くらいで良くなる」という判断をしていたからです。それはよくあることで、そういう取り違いをしている人は逆に難しく、時間がかかるケースです。

今は持って生まれた魂のように、謙虚で人に力をもらいながら、そしてもらったことを今度は人のために生かすという人になりました。あなたは陰性だから、人からいただきながら、そのいただいたことを感謝して人に生かしていくというタイプなのです。ところが、ここに来た当初は逆のエネルギーが沢山出ていました。自分のことを自分で判断し、エネルギーもちょっと雑な感じで、ガンガン押し通すような雰囲気でいました。「これは逆転現象が起きているから、このことに気づくのにちょっと時間がかかる」と捉えていました。

しばらくはそういう状態が続いていたのですが、1週間が経って面談をした時に「どう?あなたが予定していた1週間が経ったけれど、これで良くなったと思う?」と聞きました。そこではすでに素直になってきていて、「ダメです!どんどん自分のダメな部分が観えてきました」と言いました。ケアで預かる場合、だいたいいつも最初の1週間をフリーに過ごしてもらい、それからこちらから観える景色を伝え、本人に1週間を振り返ってもらって感想を聞き、その時点で今後の見通しを立てていきます。彼女の場合は、この時点で1週間でいいと思っていた自分の間違いに気づけたので、ようやくここでケアのスタートラインに立てたのです。

その後は、少しずつ自分の実態を認めていく作業に入っていきました。自分を実態とは違うように思いたい、そういう理想を自分にダブらせているとその分だけ余分な時間がかかりますが、彼女はどんどん自分を認めていくという作業に入っていったことを覚えています。

そして、1ヶ月が経った時に僕としては、「今、卒業するのにはちょっと厳しいな」という見解を持っていました。ただし、これはこちらから「ダメだよ」と伝えるのではなく、本人に聞いてみて、本人がどれだけ自分自身を正確に捉えているかということが大事なポイントでした。そこで、「どう?自分で良い状態だと思う?」と聞いてみたら、「まだまだです」と言いました。これが順調だということです。それで、「まだまだです」という言葉を聞けた時に、「卒業はそんなに遠くないな」という見解を持ちました。

それから1週間は、ゆうちゃんがここに滞在していることが気にならなくなっていました。それは何かといったら、ここもひとつの社会ですから、社会の中にいるその人が違和感を発しないという状態です。つまり、調和の生活が出来るようになったということです。調和の原理というのは、まずは謙虚であること。そして、そこで自分が学んでいること。学ぶということは成長しているということです。そういう人は社会では違和感を発しないのです。自分が特別に良くみてもらいたいとか、自分を主張したいといったことがなくなっている状態です。謙虚で学んでいる状態というのは、社会全体を良くすることが出来ているということでもあります。彼女の存在に違和感を感じないと思ったので、急遽面談をすることになりました。それで、「自分のことをどう思う?」と聞くと、本人は「毎日楽しいです」と言いました。そこで、「そうだね、もう卒業の時が来ているね。あとはお母さんと段取りをして、帰る日にちを決めよう」ということになったのです。

ここにケアで来るひとりひとりはその人流に歩んで、その人流に卒業を迎えていきます。歩みも期間もすべて別々ですが、今回も良い物語を見せてもらいました。こういう形で送り出せるということは本当に感謝です。良い勉強になりました。本人にとっても希望のある充実した期間だっだと思うのですが、それが昨日からだんだん不安が出てきて、今日のお昼には僕のところに来て、「私、このままここを離れて大丈夫なのかな?」と不安そうに言いました。「それは当たり前だよ。最後の面談でも伝えたけれど、今の点数は70点だ。だいたい70点取れば合格点。でも、満点にはあと30点足りないよ。この30点をなぜ残して卒業なのかというと、自分の道は自分で歩み、築き上げるものだからです。仮にここで90点や100点をもらったとしても、その点数は仕上がれば仕上がるほどここで与えてもらったものになる。それは木の花依存症やいさどん依存症にもなりかねない。だから、不十分であっても合格ラインがもらえたのだから、そこから社会に出て、自分で築いていく。そうすると、それが自分の人生になるんだよ。あなたらしい人生を歩んでいくことが大切で、自覚のもとに自分の人生を積み重ねていく。だからこそここでの経験をもとにして次もやっていける自信も身につくのだし、それが自分の気づきだからこそ人の役にも立つ人になれる。それがここのケアの原則です。そういうことが本人にとっても大事だからね」と伝えました。

これからの歩みも順風満帆に行かないこともあるでしょう。今は、自分が今までどのように歩んできたのか、なぜ今まで迷いの道にいたのかということはマスターしています。そうしたら、これからは色々な問題事に出会ったとしても、それをチャンスとして活かしていくことが出来るようになっています。最近ゆうちゃんが「ありがたいです」と言うように、問題事によって自分の中にある種を表現させてもらい、自分の行動を振り返って自らを見直すチャンスなのだと気づいたら、問題事は人生を生きていくための糧になるわけです。

そして、私たちは世の中で行き詰まった人たちのために、ここでこのような暮らしをしています。そういう人たちのおかげで私たちも育てられているということでもあるのです。やはりこういう精神性に基づいた仲間を増やしていきたいと思っています。私たちの生き方がそういったきっかけとなることを望んでいるのです。人生はいつどこでどうなるのかはわかりません。これからゆうちゃんは僕たちとちょっと距離を離れて生きていくことになりますが、私たちと同じ志を持って生きていってもらいたいと思います。離れていても、同じ志の仲間として生きていけるということです。

ゆうちゃん、卒業おめでとう!そしてありがとう!

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そして、ゆうちゃんが卒業してから数日後、ゆうちゃんのお母さんからファミリーに電話がかかってきました。

「本当にどうもありがとうございます!ゆうがこんなに変わって、変わって。人はこんなに変われるものなんですね!みなさんのおかげです。本当にどうもありがとうございました。いさどんさんにもよろしくお伝えください。」

けいくんが元気になり、ゆうちゃんも元気になり、お母さんもこれからは安心してご自身の人生を歩まれていくことでしょう。自分の健康はまわりの人も幸せにしていきます。「まだまだです!」は順調な証。けいくん、ゆうちゃん、これからも共に謙虚に学びながら歩んでいきましょうね。

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「おやじの館」から「心の湯治場」へ

2009年7月から始まったいさどんブログ「おやじの館」。ブログが出来たきっかけは、「いさどんの話をひとりだけで聞くのはもったいない!」と思ったようこが、まずは大人会議でその話をメンバーとシェアするようになり、さらに多くの人と共有するためにブログ上で公開することになったのでした。この「おやじの館」という名前はいさどんがつけたものであり、当時58歳のいさどんは、「僕は20年ごとに人生の節目を迎えており、60歳からはうつや自殺者をなくす活動をしていきたい」と語り、そういった人々に心の道を伝える場を「おやじの館」と称したのでした。

それから約2年が過ぎ、この5月3日には60歳の節目として生前葬が行なわれることになりました。生前葬まであと数日となったある朝、いさどんから「5月3日を迎えるにあたって、おやじの館の看板を改めたい。もう僕の体は僕のものではなくみんなのものだから」という話がありました。30数年、色々な人の相談に乗ってきたいさどんですが、これからは世の中の行き詰まりや問題のある人の相談にますます専念していくことになるのでしょう。

うつや自殺願望など心の問題のみならず、親子関係や夫婦関係の不和、子育て、進路の悩み、職場での行き詰まり等、どんな悩み事でも相談にのります。そういった今目の前にある問題事から、「生きる目的は何なのか」、「どうやって精神性を高めていけばいいのか」、「宇宙はどうやって始まったのか」といったスケールの大きな質問までお答えします。

以前いさどんは、「僕の中には5つの存在がある。1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4人間いさどん、そして5古田偉佐美」と言っていましたが、相談者がいさどんから何を引き出すかによって、現れてくる存在が違ってくるようです。そして、5月3日以降はさらに多くの存在が引き出されることになる予感がしています。

みんな一人一人の心に平穏と喜びが訪れ、地球上、さらに宇宙全体が愛・善意・調和で満たされますように。一人一人が真理に目覚めるようサポートしていく場、それが「心の湯治場」です。

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自らの経験を他者のために生かす

2011 年 4 月 22 日 Comments off

31歳のすーくんは仕事のストレスと昼夜逆転の生活が原因で25歳の時にうつ病と診断され、仕事をやめて母親のもとに戻って生活していました。そんなすーくんが母親と一緒に初めて木の花を訪れたのが2月の下旬。その時は木の花に1泊し、いさどんと面談をして母親の暮らすヤマギシに戻っていきました。その約1週間後、ヤマギシの地でいさどんはすーくんと再会し、その時のことをこう語ってくれました。

「1週間後彼と再会したら、『調子が悪いんです』と汗を額から流している。『どうしたの?』と聞いたら、『いさどんが健康になるためには木の花でケアを受けて、薬をやめなさいと言ったし、太りすぎの体は食べ物の食べ方が間違っていて、肉も食べすぎている。それでは体に悪いよと言われたから、帰ってきて薬をやめました。火曜日にお医者さんに行って薬をもらう予定だったけれど、お医者さんにも行かなかったし、肉も食べちゃいけないといさどんが言うから食べなくなった。それで体重は2kgやせたんだけれど、調子が悪くて』と言うのです。『それは当たり前だよ。薬をやめるのは将来の話だし、仮にやめたとしても心を安定させるサポーターがいてやるべきだ。医者に通っていた人が急に自分の判断でそんなことをしたらおかしくなるよ。でも、僕はあなたの言うことを評価する。良くなりたいとそこまで思ってのことだから。その心を忘れないで、とりあえず明日薬をもらいに行きなさい。それからまずは薬で不安定な心を安定させて、木の花においで。そのやる気があれば良くなるから』ということで今度木の花に来ることになりました。」

その数日後、すーくんは「今の自分を変えたい」ということで木の花を訪問しました。ケアサポーターのいさおちゃんと同室になり、ケア滞在がスタートしたのでした。ケアがスタートしてからも紆余曲折がありましたが、薬とタバコの量を少しずつ減らしていき、10日後にはどちらもやめることが出来ました。ゲーム依存や引きこもり的な姿勢も解消され、1ヶ月後には見事ケアを卒業。以下に、すーくんが書いてくれた「木の花ケア滞在記」をご紹介します。

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「木の花ケア滞在記」

自分は自分をどうにかしたくて3月11日に木の花に来た。でも、1週間で帰ろうと思っていた。治したくて来たのに、治らなくても良いと思っていたんだと思う。社会復帰がしたくて社会適応訓練事業に行っても、しんどいからやめるというのを何度も繰り返していたのと同じだと思う。したいことをしてみて、辛かったらやめれば良いというのを何度も繰り返して、自分はダメ人間だと思うことに慣れてしまったんだと思う。

それで、今回もダメだったから帰ろう、辛いから帰るのもダメな自分では仕方ないと思って帰ろうとしたら、母さんに「治るまでは帰ってきても受け入れない」と言われて目の前が真っ暗になった。帰りたくても帰れないから、仕方なく木の花に残ることにした。泣くだけ泣いて、半分ヤケになって「やってやる!!」と思った。     (3月19日)

それでも何回も脱走を考えた。どのルートをどの時間に行けば良いか。だけど、どう考えたところでホームレスになるだけだと思って、もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと思って目の前の事に集中するように努力していったら、「自分にも出来る」と思えるようになっていった。この時から少しずつ明るくなっていったんだと思う。  (3月23日)

次に、薬の離脱症状が出てきた。(22日から断薬)めまいや吐き気、偏頭痛で作業が出来ないくらい辛かったけど、せっかくケアに来てここまで頑張ったのに薬を飲んだらまたふりだしに戻ってしまうと思って、薬だけは飲みたくないと思って耐えた。キッチンスタッフの皆にも、「それは良くなる為に必要な苦しみだよ」と声をかけ続けてもらって頑張れた。26日に母さんが来てくれたのも、すごく励みになった。母さんに元気な姿を見せたくて頑張れたという部分が実際に沢山あったので、来てもらって良かったと思う。

あと、「怠けたいから休む」のと、「体調が悪いから休む」の違いに悩んだ。自分の中の怠けたい心が「体調が悪い」と言っているのかどうかに悩み、「とりあえずやってみて、無理だったら休む」というふうにすることで、朝7時に起きるという生活リズムだけは崩さずにすみ、自信がつくことで気持ちがどんどん明るくなっていった。

だけど、薬の離脱症状で食べられない日が始まって、食事の時間は憂鬱になってしまった。さらに、そこに食養生が始まり酵素玄米を食べるのが辛くて、結局食養生は途中でやめた。

あと、離脱症状が峠を越えたぐらいから咳がひどくて喉が痛くなり、同時に頭痛も来て休むことがかなり増えて、「風邪だろうなぁ」と思っていたら、ケアサポーターのいさおさんに「離脱症状で喉も痛くなるよ」と言われて、自分はもう離脱症状は無くなったと思っていたから驚いた。そして、結局寝込む日が何日も続いた。

何日も寝たり起きたりで段々「すーくんは怠けている」と周りの人に思われているのではないかという気持ちも出てきて、自分にイラついて早く治したくて、いさおさんに「医者に行きたい」と言ったら、その日の午後に面談で「休むのが必要な時に休むのは悪いことではない」と言ってもらって楽になった。それと同時に、「引き篭もるのは自分をいじめること」とも言ってもらって、本当に自分の気持ち次第というか、自分を冷静に見つめる大切さを考えながら休んだ。

あと、後ろ向きな「けど、でも」が自分の口癖になっていることを何度も指摘されて、それは結局何でも悲観的に考えてしまう自分の癖だったり、「自分には出来ない」とすぐ諦めてしまう癖なんだろうなぁと思って、「どんなことも良いことがあるし、どこからでも良い方向に持っていけるんだから、悲観する必要は無い」と思ったら、気持ちが楽になった。

体調が悪い次の日は、皆が「体調はどうですか?」と聞いてくれて、「悪いです」と答えるのもなぁと思って、「良いです」と答えたら嘘をついている気になって、やっぱり「あんまりなんですよねぇ」と答えていたら段々気持ちまで暗くなってきて、薬の離脱症状は短くても3ヶ月続くと言われたからどうしたものかと思っていたら、体と心は別なんだからそう言えば良いだけだなぁと思って、「体はしんどいですけど、心は元気です!」と答えるように変えたら、楽になった。

10日の座談会でいさどんに「すーくんは賢いから、その時求められている答えを判断して出すところがあると思う」と言われて、それは自分でも自覚していたのでどうしたものかと考えていたら、「答えを考えるだけの時間を自分に与えなければ良い」と思ったので、10日のミーティングで出す時も卒業コンサートのコメントもあえて考えないで話して、このケア滞在記も考えずに思ったことを書いています。「正直・素直・相手を信じる」というのをやったら、そういうのも無くなっていくだろうし、評価されたい気持ちは置いといて、自分の良くない所もポンポン出していこうと思う。

これからの抱負としては、11日の晩に「やっていけるかなぁ?」と不安になったりもしたけど、「やれることを一つずつやっていく」だけなんだから、何も不安になる要素なんて無いなぁと思った。やれないことをやれと言われているわけじゃなくて、やれることをやるだけだから。

いらない薬はいらないし、タバコもやめられた。ゲームは使い方次第では有用なものになると自分は思っているから、冷静な自分を常に立てて上手に付き合えたらと思っている。面白くても何の役にも立たないゲームも世の中には沢山あるので。

まずやることは毎朝7時に起きて運動をして、出来ることを一つずつやってリハビリにしていくことだと思っているので、確実に淡々とやって実力にしようと思う。あとは「正直・素直・相手を信じる」を心に置いて、周りの人と沢山話をして沢山言ってもらって、皆から愛される人間になっていく。

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そして、すーくんが出発する前の晩卒業コンサートが開かれ、いさどんは次のように語りました。

「問題を持って来た人が卒業していくことは本当に嬉しいことです。ひとりひとりのことをその人が卒業する度に振り返るのですが、すーくんも途中ではやっぱり大変だったよね。1週間も経たないうちに帰りたい、帰りたいと言い出して(笑)。

初めに、お母さんからすーくんが引きこもっていることを聞いて、何とかしてあげようというところからこのケア滞在が始まったのですが、すーくんはそういった生活を卒業すると同時に、今回はいくつものことを卒業しました。まず、一番良いことは病気が卒業出来ました。だから、薬がやめられたし、ゲームもやめられました。当初すーくんにゲームのことを聞いたら、「絶対に手放せない」と言っていました。布団の中にもぐってゲームをするようなゲーム依存生活でしたね。それから、今はちょっとだけウエートオーバー気味ですが、ここに来てから9kg減量出来ました。そういう色々なことをここで卒業出来ました。そして何よりも、魂の形通りとても愚痴っぽくて前向きではなかった人が、今は客観的に自分を見てそれを語れるようになりました。これは大変大きな変化です。

今回はヤマギシの春日山からケアサポートチーム立ち上げということで6人の人が来てくれて、1週間をすーくんとともに過ごすことになりました。すーくんの変化をみんなで振り返りながら、こういった人たちをサポートし、社会でしっかり通用する人に変えていくという取り組みのためにここを訪れました。これはヤマギシの中だけの問題ではなく、ちょうどこの間大きな震災がありまして、これから色々な意味で世の中が行き詰まることになります。日本中で行き詰まった人を支えていかないといけない時に、私たちのような血縁を超えてみんなで助け合う社会というものがこれから必要になってきます。そういった中で、ヤマギシという大きな組織がそういった世の中の行き詰まりを解決出来るところになるということは非常に大切なことであり、これからの世の中にとってたいへん必要なことだと思っています。そういった意味では、今回はケアの当事者ということだけではなく、すーくんにもその経験者として今後行き詰まった人のためにも生きていってもらいたいと期待しています。これからどうやってすーくんをサポートしていくのかということもありますが、サポートされる側はいずれ卒業して、そういった人たちのために生きていってほしいと思っています。

その人が本当に生き生きとするということは、本人も生き生きですが、他人にも生き生き、喜びを与える人ということです。ですから、自分の存在が自分にも他者にも喜んでもらえるような生き方をしてもらいたいと思っています。それが人の生きている価値なのだと思います。他人の荷物になっていくのも生き方なのかもしれませんが、それはあまり喜ばしい生き方ではありません。ぜひ前向きに生きていってもらいたいと思います。

ケアの人が卒業する時にはいつも言うことですが、私たちに一つの事例を与えてくれ、卒業することによってここの取り組みにまた一つ実績をつくってくれました。そういう意味でいつもありがたいことだと思います。卒業するということは新しい旅立ちですから、気を緩めずに今の気持ちをしっかりと持ち続けて、今の姿勢のもとに今後もしっかりと生きていってもらいたいと思います。

まずは卒業おめでとう!私たちにも良い勉強をさせてくれました。ありがとうございます。これから100点満点というふうにはいかなくても、大変な時にはここで学んだことを思い出したり、アドバイスが必要であればまた連絡をしてください。縁があって出来た家族がここにもいるということですから、また遊びにも来てください。それから、ヤマギシの方にも自分を支えてくれる沢山の家族がいるのだから、そういった人たちと仲良く暮らしてもらえればと思います。

卒業おめでとう!そして、ありがとうございました。

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そして、すーくんが卒業してから1週間後、すーくんの近況を教えてくれるメールがヤマギシのケアサポートチームから届きました。「お母さんが近くにいると甘えてしまうから、お母さんのいる場所から離れたところで自立したい」というすーくんの希望が叶い、新たな場所で新しい仕事に取り組み始めているそうです。そして、ケアサポートチームの勉強会にも参加しているということで、今後自らの経験を他人のために生かしていく人になっていくのでしょう。

すーくんの活躍をみんなで応援しているからね!すーくんが帰ってくる時には、大好物の特製おやきを作って待っているからね。

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2泊3日の滞在でも~その後

2011 年 2 月 19 日 コメント 1 件

いさどんブログ「2泊3日の滞在でも」に登場したけいくん。ヤマギシ会からの紹介でここを知り、いさどんとの面談を受け、ここに2泊3日滞在しただけで断薬することが出来たとブログの中でお伝えしました。そして数日前、ここを訪れたことがあり彼を知るヤマギシの方から、「僕のブログにこんなことを書きました」というメールが届いたのです。

――

先日、大阪のおっさんの集いに参加したら、けいくんが参加していた。彼は長い間、精神的な病気で家にずっと引きこもっていた青年なんやけど、そういう自分を変えたくて、今年の最初に木の花ファミリーに行ってきた。
1月の中旬ごろに彼に会ったときは、「今の自分でええんやなあと思えた。他人と比較しても仕方がない。今出来ること、今思えることからやってみようと思う」と言って、何かしら明るくなったように思った。
そして1ヶ月経過して、今週彼に会ったら、別人のようになっていた。何と人材派遣会社に就職して仕事をやり始めていて、今後はパソコン教室に通って、安定した生活をしていけるようにしたいと前以上に明るく話していた。
自分の気持ちに素直に表現しているように思う。とっても楽そうに話している。彼の発言に、みんなうなずくことが多い。こんなけいくんを見て、その日のおっさん達は驚きやら感動やらで、その場にいい風が吹いているように思えるんや。
彼をこんな短期間に変えさせたのは一体何やろうかね?勿論自分しかないんやけど、その自分のエネルギーはどこから涌いてきたのかな?

――

そして、今日けいくん本人から次のようなメールが届いたのです。

――

過日は二泊三日でお世話になりました。今、姉がお世話になっているのと、現状を伝えるため報告も兼ねてメールを送らせてもらいました。

あれから脳から何かが溢れてくるような感覚に襲われました。止まっていた思考が動きだしたような…。
物や物事が点で捉えられるようになり、思考は常に「それは本当はどうなんだろうね?」と自問自答を繰り返す毎日でした。例えば、「寒い。」「本当はそれはどうなんだろうね?」「案外寒くない、暑いかも知れない。」「冬だから」みたいに固定観念にとらわれない感覚になり、思い込みが少なくなり、冬なのに裸で過ごしたりしても平気なぐらい、人とは感覚がかなり狂っているようでした。今はその脳から溢れる感覚は大分落ち着き、寒いものは寒いといった感じになりました。落ち着いたらおかしな事に、長年あった震えの体質がほとんど出なくなりました。だから今は元気といえば元気です。

現状ですが、木の花から帰ってから今まで精神安定剤や睡眠薬の類いの薬を全く飲んでいません。薬抜け成功したと言ってもいいのでしょうかね…。最初は眠れなかったのですが、最近は睡眠時間が短いなりに熟睡もできています。上で書いたような震えも止まりました。かなり健康体です。

今は自分で環境を整えるべく、資格を取るため職業訓練の申し込みをしました。近々面接と試験です。受かれば補助金を受けながら職業訓練、今はパソコン時代なのでWindows検定を手に入れるつもりです。
試験の合否はわかりませんが、職業訓練が始まる3月までの間に繋ぎとして登録制の日雇い派遣を始めました。なので、微妙にですが引きこもりから復帰も出来ました。繋ぎとはいえ毎日仕事がないのが残念です。

沢山の人を導きたい自分…。いさどんほどではありませんが、自分もそれなりに人と出会っていろんな体験をしたつもりです。今、ネットを駆使してmixi内でアニメのキャラになりすまして、アニメキャラのカリスマ性を利用して人生相談所を開いています。悩みを抱えている人たちに対してアドバイスをして、いい方向に導いています。結構評判もよく、導いた人はいい方向に進んでくれています。いい方向に進んで感謝されたりするのが、堪らなく嬉しいですね。

小さいとはいえ、自分なりに環境を整えたり、導いたり、やりたいことをやれて前に進めているように感じているのが現状でしょうか…。今はこんな感じです。一つ一つを大事にして進んで行きたいですね。

追記:
今、姉が心の立て直しということでそちらに滞在していますが、弟としてはみんなの力で姉の認識の甘さを打ち砕いて、大事なことが何かに気づけるように導いてほしいと思っています。いさどん含め木の花にはそれだけの環境があると思っているので、姉をよろしくお願いします。

――

そして、けいくんから「僕はもう元気になったから、今度はお姉ちゃんの番だよ。お姉ちゃんが木の花に滞在してきたら?」と言われたお姉さんが今、ここに滞在しています。こうやって、心が元気になっていった人が次の人を元気にしていく。この「弾み車の法則」があるからこそ、ここではみんなの心がどんどん健康になっていくのです。ひとりひとりの健康が社会全体の健康をつくっています。さあ、あなたの心は健康ですか?

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聖者イサジ、道を説く

2011 年 2 月 17 日 コメント 5 件

今回のブログでは、いさどん改め「聖者イサジ」がメンバーになるためにお試し滞在中のゆたかくんと面談した時の模様をお伝えします。(注:ちなみに、いさどんには1宇宙人ピトピ、2御中主命(ミナカヌシノミコト)、3聖者イサジ、4いさどん、5古田偉佐美の5つの名前があります。)

PDFファイルはこちらからダウンロードできます

――

イサジ:
今日は何が聞きたいの?

ゆたかくん:
とりあえず、今世の自分の役割を知りたいです。

イサジ:
今世での役割か。。。それはあなたの自覚です。

ゆたかくん:
自覚ですか?

イサジ:
人は自分の世界というものを自分の思考の中で持つ。そうしたら、自分を喜ばせる思考がどこにあるか。

ゆたかくん:
自分を喜ばせる思考。。。

イサジ:
あなたは毎日何を喜びとしている?

ゆたかくん:
今ですか?

イサジ:
今でもいいし、将来のことでもいい。

ゆたかくん:
今は作業をやっている間に色々と気づくことがあって、それが嬉しいです。

イサジ:
気づきというのは自分が成長するということ。新しいことを知ってそれを積み重ね、自分が広がっていくとか大きくなっていくこと。その結果、何か目的につながる。そうなることを喜ぶということは、その次に望むことがあるから。それは何?

ゆたかくん:
そこまでなっていない人をそこまで上げてあげることです。

イサジ:
それは世のため人のためということ。いつからそんなことを思っているの?

ゆたかくん:
25、26歳の時に仏教を勉強していて、そのくらいからです。

イサジ:
どうして25、26歳の時に仏教を勉強したの?

ゆたかくん:
それ以前にちょっと素行が悪くて、ちょっとひどい目にあって。。。

イサジ:
どんなことをしていたの?

ゆたかくん:
薬物を吸引していました。マリファナと幻覚系の合法ドラックです。

イサジ:
合法ドラックだけれど、今は合法じゃないけどね。

ゆたかくん:
はい。それをやっていて、事故に遭ったのです。

イサジ:
どんな事故?

ゆたかくん:
マンションの2階の手すりを乗り越えて、飛び降りたのです。

イサジ:
それは気分が良くて飛べるつもりだったということ?

ゆたかくん:
混乱していて、よくわかっていませんでした。

イサジ:
それで大怪我をした。

ゆたかくん:
はい。それで入院をしました。

イサジ:
マンションというのは自分の家の?

ゆたかくん:
会社の寮です。

イサジ:
会社の仲間とそういうことをしていたの?

ゆたかくん:
いえ、会社にそういう人はいませんでした。前の職場ではいました。

イサジ:
そのつながりでそういうことをしていた。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それで?それをやって入院してどう思ったの?

ゆたかくん:
これじゃいけないと思い始めて、そこから指針を見つけようと仏教を勉強し始めました。

イサジ:
仏教といっても幅が広いけれど、どういう仏教ですか?

ゆたかくん:
全般的にです。色々なお坊さんが書いた本を読んでいました。

イサジ:
それで何に気づいたの?

ゆかたくん:
何に気づいたか。。。

イサジ:
仏教の本を読んで、さっき言っていた「自分を高めていきたい、学んでいきたい」という思いが湧いてきたわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
世の中の人に学んだことを伝えていきたい?

ゆたかくん:
まずは自分が出来るようになってからですが。

イサジ:
それから5年経ったけれど、学んだことはある程度マスター出来た?

ゆたかくん:
マスター。。。いや、全然出来ていないと思います。

イサジ:
今までの5年間は何をやっていたの?

ゆたかくん:
介護ヘルパーなどの仕事をしたり、インドに旅行に行ったりしました。

イサジ:
インドは仏教の勉強の延長に行ったということ?

ゆたかくん:
そうです。

イサジ:
何か気づきはあった?

ゆたかくん:
気づき。。。

イサジ:
インドも今は改革、解放だからね。あそこは精神性の発祥の地ではあるけれど、欲の世界でもある。その両方の誘惑の世界だからね。

ゆたかくん:
そこでもちょっとマリファナをやってしまって。。。

イサジ:
ハッハッハ。弱いね。

ゆたかくん:
でも、そこで精神的に高い人たちに会ったりして、ダライラマにも会ってきました。ダライラマが住んでいるところに行って、そこでティーチングのような講習を受けました。

イサジ:
その結果は?

ゆたかくん:
日本に帰ってからは、自分を逆に見失ってしまったというか。。。

イサジ:
自分を見失うということは、インドでは何かを持っていたわけだ。その前の飛び降りてしまったことから仏教を勉強した時にも、何かを持っていた。でも、日本に戻ってきて日本人を眺めていたらそれに流される自分がいて、その何かを見失ったということではないの?

ゆたかくん:
はい。。。

イサジ:
だから、日本に帰ってきて仕事に就き、今の一般的日本人の価値観の中に流されたということだね。

ゆたかくん:
はい、そうです。

イサジ:
それで、こういうところを探していたというわけだ。ここへ来て何日になる?

ゆたかくん:
1週間くらいです。

イサジ:
そうすると、「そろそろ自分の探していたところに行き着いたな」という感じはしていない?

ゆたかくん:
しています。

イサジ:
そうしたら、さっきの質問はもう既に答えが出ている。

ゆたかくん:
・・・?

ようこ:
今世の役割という質問。

ゆたかくん:
ここに来て、「一段落ついたな」というふうには思っています。

イサジ:
さあ、これからだ。これからどうするか?今編集していた原稿にこんなことが書いてあったぞ。「この世界は想いで出来ています。自分の中に今日はお酒が飲みたいとかパチンコをやりたいという思いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起こるのです。」「自分の中から湧き出てくる無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくるのです。そして、その結果次のステージはどうしようかと考えていて、そのどうしようかの想いの中から次の世界が実現していく。」

つまり、自分の考え、自分の中から想いが湧き出てくるということは、自分の中に想いの種があるから湧き出てくるわけだ。だから、自分の意識レベルに合わせた未来が訪れてくるわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
それが想念の連続となり、未来を創っていくわけです。そうすると、損得勘定をして辻褄合わせをしながら生きる姿は、今時の人々が生きている姿そのものです。それもお金が欲しいとか、欲しいから他人の物を盗むとか、そういうことも現実に創り出すけれど、しかしもっと大きなスタンスで捉えていくと、もっと古い過去、今世のものではなくて前世の時代というのは記憶から離れている。それが私たちの中で記憶の書棚、図書館のようなものになっていて、ふっと想いとして湧き出てくる。それが過去の軌跡の中で培ったもの。今湧き出てくるものは過去の延長にあるものであって、そういった過去から現在までのものが積み重なって今の魂が取る思考となり、人間性が出来ているわけだ。

例えばマリファナを吸うことも、飛び降りることも、その結果仏教に出会うことも、それからインドに行くことも、そして日本に戻ってきて普通の世界に入ってそこで矛盾を感じることも、今、新鮮に経験しているようで、実は過去のあなたの積み重ねが今の思考を生んでいるのであって、その思考がもとになって現在から未来を創っていくわけだ。

そうすると、「理由はないけれど何かがしたい」とか、「なぜだかわからないけれどあの国に惹かれる」というのは、いきなり今湧き出てきた想いではなく、ずっと積み重ねてきたその人の物語の中にあるもの。そして、その積み重ねの延長に今回生まれてきたというわけだ。

ゆたかくん:
はい。

イサジ:
そして、その話を今こうしてしているということは、つまり未来は決まっているということだ。わかる?

ゆたかくん:
いや、ちょっとわかりません。。。

イサジ:
過去があって、過去の積み重ねに今がある。今は今の上で今を生きているようだが、そのベースは過去の積み重ねによってここまで来ている。だから、今の思考はこれまでの過去の積み重ねでここにある。ということは、過去にも現在があって今にも現在がある。現在の連続が過去になっているということ。現在の連続が過去になっているということは、現在の連続が未来を創っていくということだから、今自分の中から湧き出てくることは過去の積み重ねの結果、今湧き出てくるのだし、今湧き出てくることはこれが積み重なって未来を創っていくわけだ。

自分がこれからどう生きるのかは、マリファナを吸いたくて仕方がない心があれば、未来にマリファナを吸っている自分がいて警察に捕まるという未来を創っていくわけだ。今、「人のためになりたい」と言っているということは、そういう過去の積み重ねがその心になっていて、これはそのまま想っていけば未来にそういう人になれるということになる。

「世の中のためになりたいという大事に気づいてそれを人に伝えるということが、僕の役割なのでしょうか?」と思ったことを誰かに「そうです」と言ってもらって、それで進んでいくのが本当に自分の目覚めなのだろうか。僕はその問いに私心をはさまない。あなたの人生にはあなたの私心をはさめばいい。

そうすると、今のようにあなたの思考を分析して、それはどのような思考の仕組みかを情報としてあなたに伝えると、あなたが自分で判断出来る。そうすると、人生というのは誰と契約して、どういう目的のもとに生きて、そして未来はどうすると観えるのかということがわかってくる。ここで注意しなければならないことは、私心がある人に相談するとそちらの目的プラスこちらの目的が合わさって、「あなたはこうあるべきだ」と言われ、あなたの心が濁ることにもなる。

ゆたかくん:
そうですね。

イサジ:
それはあくまでも、そちらの人生はそちらにあって、こちらの人生はこちらにあるわけだ。しかし、それでは冷たい、寂しいということにもなる。では、ここに集っている人たちが何をしているのかというと、独立して自分を観て、他者とつながり、そこからもう一つ大きな自分を観た時に、人は一つの枠の中で共通した他者との自分を持つことが出来るのだ。例えば私たちの体で髪の毛と皮膚が共通した自分を表現出来るのと同じように、我々も別々だけれど共通したものを表現出来ると気づいた時に、こういった世界が展開出来る。これは何を表わしているのかというと、宇宙の実相。自然界の実相。

その中に我々がいることに気づけば、この生き方はこの世界を表現しているすべての人々にそれを伝えることが出来る。人々に伝える方法として、過去には宗教などの教祖的な伝え方があったけれど、それはもう古い。なぜ古いのかというと、人々は独立した貴いものだからである。優れたものがいて一方的に伝えることは、教祖と信者という関係が出来て、いつまでも信者は信者で在り続け教祖が必要になってしまう。すべてが貴い。平等の貴さがそこでは現れてこないことになる。そういう時代は終わり、すべての人々が独立して自分の意志を持ち、平等の中で世界は出来ている。それがこれからの時代の在り方ではないか。

今、あなたが問いかけた「僕の今世の役割を知りたい」ということについて、私はその答えは出さないけれど情報だけは提供した。答えはあなたが持っているのだから、自分で出せばいい。そして、答えを出した人が今ここに集っている。それがあなたの問いに対する答えだ。

一人一人がしっかりと自立して光って生きている。教祖と信者というランクが出来たら、本当に平等に光っていることにはならない。この世界を自らが担っているということに気づいた時に、人は本当に生き生きしてくる。そうだと思ってやろうとした時に、どこで行動しても真実は観えてくる。宇宙の中の どこにいてもみな平等なのだから。例えば木の花で与えられている役割でもいいし、外で与えられている役割でも同じこと。ここだけが特別な世界なのではなく、すべて平等な世界だから。それを知っていくために、我々は敢えてこういうライフスタイルを取っている。そのスタイルがもっと展開されていけば木の花はなくてもいいかもしれない。しかし、これがある意味在り続けることも大事かもしれない。その答えは我々が持っているのではなくて、この世界を動かしているものの意志の表われであるということ。

ゆたかくん:
よくわかりません。

イサジ:
何が?

ゆたかくん:
わからないものからの意志?

イサジ:
そういうことか。わからないものはわかるんだよ。わからないというのは、わからないところから見たらわからないのであって、わかるところから見たらわかるんだよ。この世界にあるものの目的は何なのか。ただ、木があって土があって、植物と土の関係、空気、風、太陽の光、色々なものがある。そこにあるものがあることはわかりますか?ではこれは、ただただ無秩序にあるのかということです。そこには秩序があるのです。しかし、秩序は木を見ただけでは見えない。その秩序は見えるものから見ていってそれをつなげていくと、見えないものが見えてくる。それがあちら側の意志の現れ。それを観ようとするとそこに感じられる。そこに木があって雨が降っていたら木が濡れる。雲っていたら太陽が照らない。雲が去れば太陽の光が射してくる。すべては完全なる秩序の中にある。その秩序というのは意志がないと保てない。それがあちらの意志。我々はその秩序を学びながら、すでにその秩序の中に組み込まれている。我々はその秩序の中にいる。我々が個々に目的を持って生きているということは、結局そこにある木や土、雨や水、太陽の光の秩序と同じものであるということ。

難しい話だけれど、あなたが仏教の話を出すからこういう話になるのです。もし子どもにもっとわかりやすく言うとしたら、「生きていることは自分の力で生きているの?」と聞く。「今日、ご飯を食べたでしょ?今、呼吸をしているでしょ?水を飲んだでしょ?心臓が動いているでしょ?そういうふうに生かされているんだよ」と伝える。そういった原則、生かされているという原理の上に我々は表面的な意識を持っていて、自分が生きていると思っている人はそういう意識でいるわけです。しかし、その深いところまで気づいていったら自分の思考というものは薄くて、その前に大前提の原理、原則があって初めて現象が成立しているということに気づく。そうすると、その薄い思考で捉えているという意識は消え去ってしまい、生かされているという意識になる。

あなたが本当のことを人々に伝えたいと思ったとする。それはニセモノがこの世界にあると思うから、本当を伝えたいということを思う。何かを「本当ではない」と思うから、本当を伝えたいと思うのである。そうすると、今は人々が本当を知らない世界ということになる。自分も知らない。人々も知らない。そこで、自分は本当を知って本当を人々に伝えたい。では、その本当は何かといったら、思考のベースに観えてくる原理。その原理から生み出される現象が現れる。そして、その現象の奥にある知恵が現れる。宇宙の知恵、真理。その真理のもとに人がある。それが歓びであり、その歓びのもとに原理、原則が示すこの世界の目的がある。それは「浄土」とも言うし、「地上天国」とも言う。色々な言い方になる。

ここにあるメンバーのこまねちからもらった手紙にこんなことが書いてある。「正しい食べ物を正しい食べ方でみなと食べ、自分に正直に暮らしていく。こうした身魂磨きを続けていくことこそが、あちら側の意志に基づくことにつながると信じているのだがどうだろう。最後に一句。神様の 教え守りて 粛々と 歩み続ける 我こそ 神なり。」つまり、粛々と歩み続けることが目的なのだと。

ゆたかくん:
粛々と歩み続ける。。。

イサジ:
ただただ学び続けて、磨き続けること。それがこの世界に生み出された目的であって、形が現れるとさらに次の形が現れ、それは変化し続けるものだ。だから、求め続けること。

ゆたかくん:
求め続けること。。。

イサジ:
そこに歓びがあって、それが求める原動力、エネルギーになる。それが続いていく限り、我々はいつも新鮮な気持ちになっていく。それが生命。いのちの表現ということ。だから、どこかに終着地点を設けてはいけない。

それで、「僕のやるべきことは何でしょうか?」という最初の質問に戻る。あなたのやるべきこととは?

ゆたかくん:
何だろう。。。

イサジ:
いきなり答えを出そうとするのではなく、心の扉を開けた時に今目の前にあること、一番身近に想うことにまずは取り組んでいけばいい。テストをもらって満点を取りたいと考えるよりも、最初の一問目を見てそれを解くことをするべきなのだ。人はテストをもらったら、先に満点を取りたいという心が働く。満点を取りたいと思う前に、1問目から取り組んでいけばいい。

ゆたかくん:
目の前にあることからやっていけばいいだけか。。。

イサジ:
そうすれば、間違っていれば間違いがもらえるから、またやりなおせばいい。合っていればそれを糧にして次に進めばいい。

ゆかたくん:
それが心磨きですか?

イサジ:
心を磨くのも、「磨こう!」と思って磨いたら、正解を先に求めることになる。しかし、それで正解かどうかはわからない。それは磨いた結果、答えをもらうだけのこと。ということは、どうしたらいい?

ゆたかくん:
これからもよろしくお願いします!

イサジ:
ハッハッハ。これで今日の話は終わりだ。良い時間だった。

ようこ:
「聖者イサジに弟子の僧が教えをいただきに来た」という感じだったね。

ゆたかくん:
今日のような光景は、昔、映画で観たことがあるような気がします。

イサジ:
本来は、こうでなくてはいけない。つまり、師がいてすべてを伝える。それを忠実に守る弟子。それは師弟の関係をつくるだけ。たしかに、語りかけることは必要だけれど、自らの中から知恵を引き出し自らで悟っていくことが大切だ。そうでないと、人は成長しない。

ゆかたくん:
その通りです。

イサジ:
仏教の下地があってよかったね。

ゆたかくん:
ハッハッハ。たしかに。

ようこ:
インドに行ったことも、今日の学びの肥やしになっている感じだね。

ゆたかくん:
今日は本当にどうもありがとうございました。

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銀河の旅へ

昨年の大晦日の大人会議では、いさどんが「銀河の旅」と題して2時間近くにわたるお話をしてくれました。今回のブログではその時の様子をご紹介したいと思います。

なお、今回の原稿のテープ起こしは、地球家族を実践している情熱家、もとやんも半分以上受け持ってくれました。もとやん、どうもありがとう!

PDFファイルはこちらからダウンロードできます

いさどん:
今日は大晦日、通常のミーティングとは違ってこんな時間になりました。この時間が持たれるきっかけになったのは、1週間くらい前のことです。朝、ようこちゃんと話をしました。僕はいつものように夢の中から帰って来たわけです。最近の僕は、この世界に肉体を持っていることを不自由に思ってきています。僕の中にある想いはいつも広く大きな想いの中にあるのです。心を上の方に向けると、僕の中に浮かんでくるイメージの世界では雲が観えます。その雲は地球上で見える雲ではありません。なんとか星雲とよく言われるような、銀河の雲、宇宙雲です。それが想いの中に浮かんで観えます。日々、そんなことに想いを馳せていると、目が覚めてこの世界が現実なのかどうなのか考えてしまいます。

私たちの生きている世界は、移ろいゆく世界です。僕は来年の5月になると60歳になるのですが、ついこの間、3歳だったという意識があります。ついこの間小学校に上がった記憶があります。そして、ついこの間高校を出て、20歳で社会に出ました。自分の記憶をたどってくると、すべてがあっと言う間のように思います。一年前の今日を想うと、あっという間でした。元旦の初日の出を見に行った記憶があります。その時に「今年が始まる、今年も種蒔きが始まるなぁ」と思っている間に、もう今年が終わろうとしています。年が明けるとまた種蒔きの事を思います。そして、あっと言う間に月日は流れていきます。これがこの世界ですね。そして、生まれた時はこんなに小さかった。その時は髪の毛があったのかなかったのか記憶はありませんが、今は髪の毛がありませんけれど(笑)、途中はあった時もあります(一同、笑)。あの生まれてきた時の姿を想うと、今は妖怪のようですね(一同、笑)。

私たち人間は3年を区切りにしてすべての細胞が変わると言います。そうすると、60年という年月は、単純に言えば20回も入れ替わったことになるのです。どこからどこへ変えたかと言うと、土と自分の循環です。そして、そのエネルギー源はすべて光です。私たちは光と生きる旅をしているわけです。そういったことに想いを馳せていると、日々の移ろいゆく生の在り方が想い出されます。子どもの頃の無邪気だった頃から一人前になって恋をし、そして当たり前に欲を持ってお金を稼ぎたいと思い、それも実現してきました。僕は30歳で今の生き方の元になる心をいただくようになりました。普通の人たちより20年も早く、40歳にして定年を迎えました。それから20年を経て、来年の5月3日で60歳になろうとしています。その間には色々なことがありました。そして、「私はこういうものです」とか、「こうである」とか、自分を特定することは出来ませんでした。その時その時に起きる現象を通して一喜一憂しながら歩んできたのです。これは生きているということの証です。今までのことは良い思い出になっています。

そして、この間朝起きた時にようこちゃんに、「ようこちゃん、僕はそろそろこの器の中に入っていることが窮屈になってきた」と言いました。どうも今の自分の発想が、肉体の中に入っている魂にしては大きすぎて窮屈に感じています。ですから、魂が内側から圧力をかけ外側の皮をグングン押して、バカバカバカバカと圧力をかけてくるのです。バリバリとヒビが入ってきて、僕の中から魂のヒナが出ようとしている感じです。人間は肉体の中に魂が封印された状態でいます。これが肉体人間の姿です。肉体人間と言っても肉体が生きているわけではありません。魂が生きているのです。生命力のもとになる光が魂から放たれています。それは肉体の設計図でもあります。その光の設計図にふさわしく肉体ができている。原料は全て光です。原料が光だということは、我々が光で出来ている霊的なものだということです。それに対して肉体という物質は、陰陽で言えば陽です。そして、見えないものである魂(陰)がそれを束ねているのです。肉体人間という我々は3次元の世界にいただいている姿です。その体が窮屈で仕方がないと思い出したのです。ということで、まとっている衣(肉体)を取り去って魂だけになるということは、どういうことか分かりますか?

みんな:
死ぬ。

いさどん:
はい、死ぬということです。僕は「死にたい」と言っているのです。ただし、最近よく流行っている自死ではありません。30年前に流行っていたのは家庭内暴力でした。最近、離婚もよく流行っています。ここのところニートやひきこもり、うつ病が流行っていますね。ここ10年ばかり流行っているのは自殺ですね。あまり良い流行ではありませんが。こういった人々は生きることの意味を理解出来ないでいるために、生きることを儚んで、死を選ぶことになってしまいます。僕の言っている死はそういった暗いイメージの死ではなくて、「肉体の中にいることが窮屈だから、積極的に体の中から抜け出したい」という思考を持っているということです。ただし、これを実行するかどうかは、僕の意思にかかっているのです。僕がそれを望んだ時にはそうなるでしょう。望まない時にはそうならないでしょう。死ぬことは誰でも可能なわけです。ただし、それが自分の生きている目的にあっているかどうか、ということについては色々です。その結果、自分に何がもたらされるか。そこに大切があるのです。

そんな会話をしていたわけです。その結果、器を抜けて自分は何がしたいかということを思ったわけです。僕がその時に思ったのは、「旅がしたい」でした。それは新幹線に乗ってどこかに旅行に行くような、そういう旅ではないのです。ここでみなさんにお断りしておかないといけないのは、ここで一緒に家族として暮らしているメンバーの人たちは、僕が奇妙な人間であるということはよく知っていると思います(笑)。訪問されるゲストの中にも、奇妙だからこそここにおいでになる方もいらっしゃるのですが、今日はそういったことに全く慣れていない人もいるかもしれませんので、ちょっと断っておきたいと思います。今からお話しする話は、この大人会議の中の「みんなの心のシェア」ではありません。それから、みなさんに理解してもらいたいと思って話す話ではありません。ここにいる、「いさどんのひとりごと」です。「いさどんワールドを語る」ということで話します。そのことがみなさんの中で何か新しい視点を生むかもしれない。みなさんの価値観を正すかもしれません。

そんないさどんは、人間です。そして、みなさんと同じように生きていて、同じように思考も働いています。ただ、ちょっと普通の人と違うみたいです。ここの生活もこの日本という国にあって、もうじき18年目に入るのですが、こういった生活を提案してきたのも、そこいら辺りにはありそうにないことです。ひょっとして、このマニアックな生活は世界中に類を見ないかもしれないですね。こういった世界をみなさんに誘って歩んできたということは、ここに集った人たちも変わり者なのですが、僕自身が飛びっきり普通でない発想を持っているということです。その飛びっきり普通でない発想の奥にある、日頃みなさんにお話ししていない、そして最近生まれてきた新鮮な部分を公開しよう、というのが今日のこの場所です。それはいくつかの分野に分かれていまして、分けると五つにも六つにもなるものです。ようこちゃんやみかちゃんは日々そういったものに付き合ってくれています。(他にもいますけれど。)それを公開することは日々が忙しくて出来ませんでしたが、今日はその中の一つ、「銀河の旅」についてお話しします。

というわけで、そういうことを了承いただいて聞いていただければと思います。人によっては新しい視点、「それは面白い!ぜひ自分もそんな旅を行ってみたい!」と思うかもしれません。僕には以前から体から抜け出したい願望がありました。生きていることは不自由でした。ところでみなさん、毎日食べ物を食べる、これは自分の意思で食べていますか?面倒くさいでしょう。食べるだけならばいいのですが、美味しいとかまずいとか味覚もあってお腹も空きますから、それを満たすということで食べ、喜びもあるようですが、食べた結果全部自分に取り込めばいいのに、排泄しなければいけないですね。この排泄するのを喜びを持って排泄する人いますか(一同、笑)?1週間も便秘だったら出た時は嬉しいかもしれないです(笑)。そういうことは出来ればないほうがいいと思ってしまいます。食べた分を全部使い切れば、こんなに食べなくてよいはずです。それから、呼吸することは休みなくやっていますね。呼吸することを1分間止めることは、普通の人にはなかなか出来ません。たいていの人は1分以上止めると、みんな気絶しますね。僕は1分くらいはやれますが。昔、3分くらいやったことがあります。訓練すると長く出来ます。しかし、30分止めるといっちゃうかもしれません。そういうふうにして、私たちは日々自由に生きているかのごとく思っているのですが、この世界では縛られて生きているわけです。

極めつけは心臓の働きです。生命の始まりの時、お母さんの胎内で細胞分裂が始まります。細胞が2つ、4つ、8つというふうに2分割で分裂していく中で、最初に出来るのは血液です。機能としては始めに心臓が出来ますよね。それからどっくんどっくんと鼓動を始めます。これは一時も休みません。心停止ということは死ですから。これをなんとか休めてやりたいと思ってしまうのです。ずっと働いているのだから、私たちは毎日眠ります。疲れたら休みますね。しかし、それとは違う意味で休みなく働いているのがこの心臓です。血液の流れも休みがないのです。これだって休ませてやりたいと思うのです。へそ曲がりなことを考えるとですね、「生きているということはなんて不自由なのだろう」と思うわけですよ。この体というのは、さらに地上に縛られて生きている。それで心臓が止まらず呼吸も止まらず、食べ物も食べ続け、排泄し続け、そして赤信号も止まらなきゃいけない。もう、縛られっぱなしでしょ?

そういう中で、まだ縛られているものがある。そういったものの仕組みの中に取り込まれている、この「思考」がある。思考は見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという五感によって反応して動いているのですが、それって表面的なことでしょう。人間はそんなことにも良いとか悪いとかで縛られているのです。もし五感がなかったら、そういう思いは必要ありません。美味しいとかまずいとか、美しいとか汚いとか、そういうことはなくなるのです。というふうに、私たちは不自由な世界で縛られている。どのくらい縛られて生きているかといったら、100%完璧に縛られている。何に縛られているかというと、この肉体に縛られているのです。私たちは肉体が思考しているわけではないのです。肉体が生きているわけではないのです。肉体が歩いているわけではないのです。物を食べているわけではないのです。話しているわけではない。そうすると、そこの中に自分と言える存在を特定する五感を束ねている意志、それは六感の部分ですね。それが「心」です。それがあって、それが五感を束ね、五感と心を合わせて「六根」と言います。その六根が健全であるから私たちは健康に生きられるのですが、そういう仕組みで私たちはこの世界に縛られているのです。この肉体というものを持つことで、この地上に縛り付けられているのです。肉体から私を取り去ってやると、肉体の殻を抜け出したということで死ぬということです。そして、死んでどうなるのかというと、どうなりますか、みなさん?     

ちなっぴ:
魂と分かれて、肉体は微細になって自然に還っていきます!

いさどん:
そうです。どうなるかというと、この肉体の生命を束ねている元が魂、生命力ですね、それが抜けますから、そうするとこの世界に微細になって広がっていきます。腐って、そして自然界に全部散らばっていきます。自然に還るわけです。今もそうですよ。自然からもらっては返し、もらっては返しているのです。60年僕が生きると、20回も総入れ替えしたことになります。それと同じように、死を迎えると肉体は繰り返しの因縁から解放されるものですから、全てをこの世界に還元します。そうすると、魂だけになります。これを見ることは出来ません。物質ではありませんから。これを消滅させることはとりあえず出来ません。消滅させる方法はあります。ありますが、この状態を消滅させることは出来ても、大元の魂を消滅させることは出来ません。これはこの世界を創っている元の二つの中の一つだからです。もう一方の肉体は塊との縁から離れて消えたのかということになりますが、これは消えたのでしょうか?

みんな:
消えていない。

いさどん:
消えないでしょう。宇宙は何も供給されないし、減りもしない。ただ充満しているだけの世界なのです。ですから、肉体を構成している要素というのは、新しい構成物質として他者に移っているだけのことで、何も消えていないのです。この世界では私たちは消えることがないし、そういう意味では今世の縁が切れたことを死と言っているだけで、実は死んでいないのです。この世界に死はないのです。ただ在り続けているのです。それが「あってあるもの」という言い方なのです。

そうすると、僕が「この殻を破りたい」と言ったのはどういうことなのか。「抜け出したい」と言ったのはどういうことなのか。この姿から卒業したいということで、この姿を卒業して殻との因縁をお返しして、魂の縁だけになるということです。それはどういうふうになるかというと、質量がありません。先程の六根ということからすると、一根だけになる。意識だけになるのです。しかし、この意識がここの世界にとらわれていると、自由ではありませんよね。死んでからもこの世界に未練が残って成仏出来ない、というのがそういう例です。

僕はこの広い世界、宇宙のことをずっと考えているのです。そうすると、そこが自分の故郷なのです。自分の思考の中にあるルーツ、それが故郷です。それで、僕の故郷は銀河です。みなさんの故郷はどこですか?

けいごくん:
東京!

いさどん:
東京!ハハハハハッ。分かりやすかった。そういう言い方も出来るよね。他にみんなの故郷ってどこにあるの?

メンバー:
太陽!

いさどん:
それは全ては光だということ?それは物理的な光という意味でもあるよね。他に故郷ってどこにありますか?

メンバー:
地球!

いさどん:
地球。地球がみんなの故郷。他は?

メンバー:
大本の神様。

いさどん:
色々な捉え方で自分を捉えていった時の出発点が故郷ですよね。だから、僕で言ったら岐阜県の美濃市というところが故郷だと言ってもいい。そういうことでもいい。東京だと言う人もいるわけだよね。例えば、お母さんっていう人もいるでしょう。お父さんだとかね、土だとか、地球だとか、いくらでも故郷はあるじゃないですか。故郷ってどこにあるの?そうやって並べていったら、どこにあるの?

どんどんどんどん故郷を並べていったら、それをまとめるとどこにあるの?この世界が故郷じゃないですか。すると、私たちは故郷にいて、故郷を思っているという。僕が「銀河の旅」と言ったけれど、ここはどこにあるのですか?

みんな:
銀河!

いさどん:
銀河にあるじゃないですか。それで、今、宇宙の旅をしているじゃない(一同、頷く)。宇宙船と言ってもいいし、惑星と言ってもいい。それに乗って固定しているわけではないのです。太陽のまわりを高速で回っている。自転しながら。そして、太陽系の太陽は止まっているのかというと、実は天の川銀河の中の端のほうにあって、銀河自体が回っているのです。では、旅をしているんじゃない?みんな、銀河の旅をしていない?

みんな:
してまーす!

いさどん:
それじゃ、今日の話、「銀河の旅」は終わっちゃうじゃない(一同、笑)。今、実際に私たちは銀河の旅をしています。そして、私たちは地球人だろうか?

みんな
宇宙人!

いさどん:
宇宙人ですよね。というふうに捉えていくと、私たちは日々を特定してなんだかんだいって生きているのは何なんだろう?そう思えてくる僕の気持ちがわかりますか?「この殻から抜けたいなぁ」って。ご飯がどうだとか、ちょっと食べ過ぎてここが苦しいとか、ちょっと厚み増してきたなぁとか、髪の毛が薄くなったなぁとか。それこそどうでもいいことじゃない?単なる形状にしか過ぎなくて、それは一時のもの。変化するもの。なんだかどうでもいい話でしょう。そして、今のような気持ちになったのです。

ここでまた付録の話をします。(ここからいさどんは立って話し始めました。)僕の田舎の話をしたいのですが、「待っていました!」って言う人はいる(笑)?僕の故郷、岐阜県美濃市乙狩1872番地。江戸の中期頃から続いているうちのご先祖様。もしも僕が後を継いだら、14代目の家でした。今は猿と猪が住民登録をしているようなところです(一同、笑)。おじいちゃん、おばあちゃんばっかりでね。それで若い衆が75才を過ぎているかな(笑)。そんなところになっていますが、最近は行っていません。昔、僕はそこで木の花の生活を実現しようと思っていました。そこを「菩薩の里」と名付けようと思っていました。そこに住む人々は自らの喜びを喜びとするのではなく、他者の喜びを自らの喜びとする。そういった人々が集って、そして村を作り、桃源郷のような理想の世界を生きること。そんな村をつくる夢を持っていました。そこにはまだ両親が住んでいました。僕が40歳の頃です。

その前にもう一つ、大事な話をしなければいけません。僕は今度の5月3日で60歳になります。これは僕の認識では4回目の生まれ変わりなのです。ゼロ歳で生まれました。それから20歳で名古屋に出ました。それで職業を持つ時代を過ごしました。20年間。その間の30歳の時に心の道に出会ったのです。自分の人生を80年としたら、その半生の40年を折り返し地点として、あと10年自分の中から湧き出してくる欲の想いを実現していこう。そして、残りの半生40年は、世のため人のために生きていこう。40歳からはお金を得るために日々を生きることをやめようと決めたのです。そして、40歳で職業を辞めようと思いました。そこで定年を迎えたわけです。40歳で定年を迎えるのですから、普通の人と比べると20年は早いのです。おかげさまで20歳で社会に出て、25歳で会社を立ち上げ、30歳で啓示を受けて、そこから10年残り火のように仕事をして、そして40歳の誕生日の前日に、「もうこれからは日々をお金のために生きない。世の中のために自分の人生を生きる」と決意し、そこから始まったのがこの出会いです。

そして、木の花ファミリー、エコビレッジの生活。60歳からの20年間は僕の最後のステージです。ここでもうひとつ、この間ようこちゃんに話した内容をお話しします。それがまた、この銀河の旅の話のきっかけにもなっているのです。今までは5月の誕生日には当然誕生日会をやってもらいましたが、今度の60歳の誕生日には何をするでしょう?

メンバー:
お葬式?

いさどん:
もうだいぶ噂が広まっていますね(笑)。そうです。葬式をします。

みんな:
エッー!!

いさどん::
僕の肉体人間としての精神を葬ろうと想っています。そして魂として生きる。葬式をするといっても、肉体はまだ続きますから心配しなくても大丈夫(笑)。ただ、物質的な価値観のもとに日々を生きないというだけです。僕は40歳から「菩薩の里」を自分の故郷につくろうと思っていました。ところが、「両親のもとに行って両親の面倒を見ながらご先祖を守りたい」と思っていたら、両親があまり喜ばないのです。当時の僕は愛知県小牧市で内装の仕事をしていました。それまで仕事も順調にいっていたものですから、生きていくには十分なお金がありました。それで、これから両親のもとで暮らしながらこういう心を人々に伝えていく人生を歩もうと思って、半年くらい両親のもとにいたのですが、次第に両親が悩むようになったのです。40歳は若いですよね。いい若いもんが仕事もしないで、毎日箱の上に土を入れて種を蒔いているのです。何をやっているのかといったら、花の種を蒔く勉強をしていたのです。「お宅の息子さん、病気なのですか?うつ病になって、リハビリで家に帰ってきているのですか?」という感じ(一同、笑)。世間様にどう説明していいのかという親の気持ちは分かると思いました。

そして、そこでもう一つ僕は気づきました。自分は最高の親孝行をしようと思っていたのです。普段から求めている心は、世のため人のために生きていくはずだったのです。ところが、知らない間に自分の両親、自分のご先祖様のことが主になっていました。そのことを両親は教えてくれたのだと気づいたのです。親孝行や親切も、相手が望んでこそ初めて親孝行や親切になります。押しつけては不幸を生むことになると気づいたのです。そして、仲間の待つ小牧に帰ってきました。そこで今ここでともに暮らしている創設メンバーの人たちに伝えました。僕は結局、世のために生きると言っておきながら、自分の身内、親、先祖のことを優先に考えていたこと。人の喜びを自らの喜びとするのが菩薩の生き方だと言っておきながら、自らのことを優先していたことを伝えました。その反省から富士山麓での生活を決意しました。そして、それが今世の故郷からの出発だったのです。

僕は30歳で心の道をいただくようになりました。さかのぼって、19歳の時に頭の上におばあさんが座っていることに気がつきました。この人は僕が15歳の時に亡くなったおばあさんです。この方は一般の宗教でいう守護霊さんという存在でしょう。私たち子孫に色々な利益をもたらしてくれる存在です。ですから、僕にも仕事のことや色々な人間関係の中で、僕の努力以上に良いことを引き起こしてくれるのです。それは僕がそれにふさわしい人だったからです。子どもの頃から両親のことを大切にし、そしてご先祖様を敬う心が強くありました。そういう不思議な子どもでした。だからこそ、おばあさんが亡くなった後に、大事な子孫に対して先祖を代表して僕を守りに来てくれていたのだと思うのです。それはありがたいことです。

でも、今はそのようなことを全く歓迎しません。もしもおばあさんが今僕の上に現れたら、僕は伝えるでしょう。「ばあちゃん、自らに近いものを大事に想って、いつまでも後ろの方を向いていないで、まっすぐ前を見て次の自らの生き方に向かって、魂磨きにまた地上に降りておいで。そして、いずれ綺麗な心になって昇天する道を歩んでください。それが守護神であっても、そういった特定の人間の欲を叶え利益を与えるような神が存在するから、御利益宗教がいつまでも地上にはびこるのです」と。でも、その当時はそういうことを「ありがたい」と思っていました。僕もそういったレベルだったのです。そして、ご先祖様のおかげで商売は順調良くいきました。色々ありましたが、僕の努力以上のことが叶った時代だったのです。

そして、30歳の12月26日のことです。僕の頭の上にいたおばあさんに代わって、知らない男性が頭の上に現れたのです。そこから心の物語・木の花ファミリー物語が始まりました。本当はもっと前からあるのでしょう。実際には5年ほど前にのりちゃん、れいちゃん姉妹には出会っていました。その後じゅんじマンやはるちゃんにも出会いました。そんな中で僕の頭の上にいたおばあさんの代わりに現れた男性が、のちに黄金の仏となって僕の上に現れるのです。それがみなさん良くご存知のお釈迦様だったのです。。。(いさどんは目に少し涙を浮かべています。)その時のことを思い出すと言葉に詰まってしまいます。それから9年間、この道についての学びをいただくことになりました(みんな、静かにいさどんの言葉に耳を傾けています。)この学びの物語は、簡単に言葉で表わすことは出来ません。いつか改めてそのための機会があると思います。

僕はこの道をいただいてから29年になります。そして、世の中の不幸な人たち、問題事に出会った人たちの話を聞いて、問題事の奥にある意味を学んできました。そんな中で人の在り様を見て、それを活かしていくことを教わりました。ですから、お医者さんや心理学の世界で人の心を研究している専門の人たちでも理解出来ない心の仕組みを捉えることが出来るようになりました。これはどこかで学んだものではなく、この世界で他にはない方法であり、天からいただいたものです。それがあるからこそ、心身の病気や人々の行き詰まりがどこから来るのかということを僕は伝えることが出来るのです。そして、それが問題事なのかといったら、問題事は私たちに問題事の種があることを教えてくれるものです。問題事を避けて通る人は、常に問題事とともにあることになります。人生は常にひとつのことを克服すれば、新しい問題事がその人の前に現れてきます。それはその人に問題事の種があるからです。学習してそれを取り去った時に、病気でも何でもそうですが、その問題事は消えるものです。そういったことを学ばせてもらいました。

そして、その出会いから1年後に僕はお釈迦様の故郷へ行くことになりました。師匠の吸った空気、嗅いだ匂い、そして踏んだ土、それを体感したいと思ってインドへ行ったのです。でも、あの方はもう二千数百年前に亡くなってしまいました。僕のインドの旅は2週間ほどの旅だったのですが、毎日泣いていました。インドに着くまで全く気づかなかったのですが、インド行きの飛行機の中で同乗した添乗員に、なぜ自分がインドに来たのかという話をしていたのです。そうしたら、そろそろカルカッタですという機内放送が流れて、その時僕は「ところで今日は何日ですか?」と添乗員の田中さんに聞いたのです。「今日は12月26日ですよ」と彼は答えてくれました。12月26日はその方が自分の頭の上に現れた記念日なのです。誰もそんな計算をしていないのに、その記念日の日にインドのカルカッタ空港に降り立つことになりました。

そして、飛行機の扉が開いたのでした。その時にふぁーと吹いてきた風とともに出会ったその空気の匂い。その時に僕は何を感じたかというと、「帰ってきた」という想いです。今までの自分が懐かしいと思う経験の中ではもっとも強いもので、「久しぶりに帰ってきた」という感じがしたのです。そして、その時に僕はわかったのです。自分が過去にインド人だったことを思い出したのです。それからインドの旅をしました。その旅はブッダの聖地巡りの旅だったのです。行くところ行くところで、自分がそこにいたことを思い出す旅をしました。

今、僕が相談に乗る時には自分の中から話が湧き出してきます。僕が話す話で、僕自身も初めて聞く話をすることがあります。しかし、それは新しい話ではありません。僕の中には記憶の奥にある無限の泉があるのです。その中に折りたたまれている記憶がよみがえってきているだけなのです。だから、それは過去の事実なのです。そして、その記憶のもとに想いが湧き出てくるのです。その時も故郷へ帰ってきたという強い想いが湧き出てきました。それは、僕が今回日本人として生まれてきて、30年ちょっとこんなに強い郷愁を覚えたことはなかったことでした。「インドは私の故郷なんだ」と気づいたのです。それと同時にわかったのは、「僕はあのヒマラヤの標高が高いところで、長い間暮らしていたことがある。それから何回か人間の体をいただきながら、今回日本人として生きている」ということがわかったのでした。そしてその旅が終わり、日本に帰ってきました。

そして、いつの頃からか記憶にないのですが、毎日夜になると星が気になり出したのです。たった一つの星が気になるのです。その星がいつも僕の気を引くのです。チカチカチカチカしながら。それは風の作用でチカチカなる、そういうものかなと思ったのですが、そのチカチカが僕の心を引きつけるのです。それで、いつも気になるからその星を見るようになりました。そして、ある時それをジィッと見ていたら、その星に無償に郷愁を覚えるのです。その懐かしいと思う郷愁の強さは、あのカルカッタの空港で感じたものよりはるかに強いものでした。僕がインドで感じた郷愁よりもはるかに強いものがその星から感じられるのです。「この感覚は何だろう?」と思い、それをずーっと見ていました。そうすると、その星が何かを僕に言っているのです。何かを伝えてきている。「何を言っているのだろう?」と思っていました。

はい、ここでみなさんに質問です!その星は僕に何を言っていたでしょうか?

ちなっぴ:
早く帰ってキンセイ(一同、笑)!

いさどん:
その星は僕に、「早く帰ってキンセイ。早く帰ってキンセイ」と言っているのです(笑)。「あの星は何という星なのだろう?」と思っていたら、金星でした(一同、笑)。だから、「早く帰ってキンセイ」と言っていたのです。僕はその時に気づいたのです。「僕はあの星から来ているのだ。あの星が故郷なのだ」と確信しました。僕は以前インド人であったことを確信していましたが、でもその前はあの星から来ているのです。そして、今間違いないのは、僕は岐阜県の美濃市というところで生まれた。これも確信です。今、3つの故郷のことを言いました。

最近、僕はこの体の中にいることを不自由に感じています。だから、いつも死にたい願望があるのです。でも、自殺のような死にたい願望ではありません。この体の中にいるのが不自由で仕方がない。だから、いつでもこの体を返上したいと思っています。しかし、その時はまだ来ていません。今回生まれてきた目的があるからです。その約束は果たさないといけません。それは自覚しています。ですから、自殺するようなことはありません。でも、もし神様が僕に「おまえの願いを一つだけ叶えてやる」と言われたら、私には一つだけ願いがあります。それは、この体をお返ししたいということです。しかし、それは今は出来ないのです。僕が今回生まれた目的を果たすことが条件ですから。そのことは理解しているのですが、相変わらずそんなことを想っているわけです。それが強くなって、今回脱皮したいということを言っているわけです。

そして、これから僕の故郷、金星の話をします。僕には、以前より金星が自分の故郷であるということがわかってきました。でも、「自分がその故郷にいた頃、どうやって生活をしていたのだろう?そこにはどういう人々がいるのだろう?」ということまではわかりませんでした。これはみんなに話していないことですが、僕はヒマラヤで暮らしている頃の自分がどういう生活をしていたか、ということを知っているのです。それはまた別の機会に話をするとして、今日はもう一つの故郷、金星の話です。僕の田舎です。そこには車はありません。テレビもありません。家もないのです。僕の故郷にも大気はあります。地球の大気は何となくブルーですね。地球を外から見ると青っぽいじゃないですか。私たちが地上にいて見てもブルーに見えませんが。この大気が金星ではもうちょっと濃いのです。物理的にも太陽に近いところにあります。ただ、地球とはちょっと仕組みが違います。それは物理的な要素が優先されているところではないのです。霊的な要素が優先されているところなのです。宇宙はすべてそういった世界ですね。3次元で生命の形を取っているのは、今のところ地球だけだと思います。わざわざそういうふうに創ったのです。金星も物理的生命の世界ではないのです。ですから、金星にも人々はいます。僕の金星の家族というのは、あのウルトラマンに出てくるようなウルトラの父とかウルトラの母とか、そういうものではありません。でも、お父さんやお母さん、兄弟のような人はいます。

みんな:
・・・?

いさどん:
これからちょっとイメージしてみます。自分がいるでしょう?この自分の中にある自分が大きくなった。そうしたら、この器をパッと脱いで、そしてヤドカリのように新しい器をもらうでしょ。そういうスタイルとか、もう一つは自分が大きくなっていって、自分というものを形成するよりも余分なものが出来たら分裂していくのです。余分なところを切り取って、離してやるのです。そうすると、それが大きく育っていきます。クローンみたいなものです。すると、これは親子とも言えるし、兄弟とも言えるし、同じものとも言える。僕の田舎にはそういう人々がいます。わかるかな?宇宙にはそういう人々や生活あってもおかしくないでしょ?そういう人たちが故郷にいるとして、僕は単身赴任で来ているから、かみさんや子どもたちのような人々がいるのです。どの人もすべて身内なのです。

大気はピンクです。地球はブルーの星でしょ?それに対して金星はピンクです。鮮やかなピンクではなく、ちょっと爽やかなピンクです。そういった世界に人々はいるのです。その生活は地球とはちょっと違います。私たちは肉体と魂のセットになったものです。金星は3次元世界には生命のない世界です。ということは、肉体のない状態です。魂の存在だけです。そこで、暮らしている人々の姿をちょっと説明してみますと、ある人は楕円の縦長で、背の高い人は4メートルぐらいあります。細くて長いです。ある人は3メートルくらいでちょっとメタボかな。ひょろっとしている人もいれば、ちょっとメタボかなという感じの人もいます。私たちにはひとりひとりに個性的な表情があります。ところが、この人たちは顔を持っていません。足も持っていません。でも、個性はあるのです。どういう個性を持っているのかというと、色と先程の形です。その色が面白い!全部「虹」で表現されているのです。地上の虹というのは光が屈折して七色に変化します。これは霊的な世界でも物理的な世界でも同じです。そして、金星でも地球でも同じです。

今、私たちには肉体があります。そこから肉体を取っても、いきなり魂になるわけではないのです。肉体から魂(肉体の生命力)が抜けると肉体生命との縁が切れるから、肉体はすべて消滅して自然に還ります。私たちが通常生きている状態では、肉体の内側には幽体というものが形成しています。そして、その中に霊体というものがあって、その中心部分に私たちの元になる光の設計図があります。これは生命の完成されたものです。光の設計図ですから、宇宙の創造主が設計したもので完璧な姿をしています。それに基づいて肉体が形成されているのです。僕は今肉体人間です。たまたま指を落としてしまいましたが、これは物理的に指がないだけで、幽体、霊体の世界では指はあるのです。だから、僕が死んだとしても、幽体、霊体の状態でみんなの前に現れることは可能です。これはイエスの復活と同じです。その時には完璧な状態で、髪の毛もふさふさなのかは知りませんが(一同、笑)、その人が一番エネルギッシュな状態で現れます。僕の場合は今のこのままの姿かもしれません。

僕の故郷の人々は肉体を持っていませんから、いきなり幽体、霊体の世界です。幽体、霊体の状態を幽霊と言うでしょ?幽霊には足があるのです。完璧な姿なのです。その幽体、霊体というものが何で出来ているのかというと、わかるかな。例えば4メートルの背の高さの縦長の楕円形の人がいたとします。それは幽体の姿です。私たちにはそれにふさわしく肉体が形成されているわけですから、肉体がなくなっても霊体はあり続けるわけです。だから、死んでも健康な状態で出てくるのです。死んだ時に血をだーっと流していたり足がないという姿は、不健全な状態です。健全な幽霊は健康体です。肉体から解放されているわけですから。みんなは不健全な幽霊ばかり考えているけれど。うちの田舎の人たちの体は虹で表現されているのです。虹が横にチチチチチチッと表現されているのです。だから、七色になっているわけです。普通、地球上の虹というのは円形状に七色で出来ています。でも、僕の田舎の人々の姿を形づくっている虹は、虹が細かくみじん切りの状態になり、連なって体のまわりにある感じです。

みかちゃん:
プリズムシートで光見ると、全体がチチチチチチッとなっているよね。

いさどん:
そうそう!そういうイメージだと思ってください。つまり、もとの材料は光です。大気がピンク色のところに、ちょっとオレンジっぽいような、ちょっと黄色っぽいような、ちょっと赤っぽいような違いがあるだけです。薄いブルーもあります。黒いものとか、地球でいうネガティブ的な色の人はいません。ずんぐりの人がいたり、のっぽがいたりということです。

そこでお話しするわけです。対話をする時にその人の方を見るでしょ?名刺はありません(笑)。ぱっと見ると、「あなたはそうですね」、またこちらを見て、「あなたはそうですね」ということです。話さなくても姿を見ただけで、どういう人かわかります。音声ではないのですが、音声に変えると、「ブッ」「ブッ」「ブーン」「ブーン」「ブッ」と、なかなかリアルには出来ません。上手に出来ません(一同、笑)。でも、そうやってここの世界でも話せない?言語をやめてね。(「ブッ」「ブッ」といさどんはみんなに話しかけてみます。みんなも真似してみますが、なかなか難しそうです。)でも、こんなに不自由なものではありません。それで、話す時に光の強弱でバッ、バッと反応するのです。これは音声ではないのです。空気で伝導しませんから。光がザッ、ザッと振動するのです。それは音にしたら今のような不細工なことになって、イメージが壊れるのですが(笑)。それが僕の故郷の人たちです。

ともちゃん(書記):
あっ!データが消えちゃった(一同ざわめく)!

いさどん:
どうも話がぶっ飛び過ぎで、パソコンが飛んじゃったみたいです(笑)。でも、録音しているから大丈夫!さらに田舎のことを思い出してみると、自分の中の記憶が湧いてくるのです。僕は今ここの地球で変わりものでしょ?変わりものというのはある意味では良いかもしれないけれど、ある意味では孤独なところもあるのです。だから、こうやってここに変態ばかりを集めて(笑)、孤独じゃない世界をつくっている。一般社会に生きていたら、孤独になっているでしょう。僕はさみしがり屋ですから、同じような変態を集めて仲良し社会を創らないと寂しくて仕方がないのです(一同、笑)。

どうも向こうでも僕はあの人たちに馴染めなかったようです。「あなたたちは何が毎日楽しいの?」と。つまり、あの人たちは喜びを持っていない。そのかわり、悲しみもない。ただただ素晴らしい。素晴らしい、本当に素晴らしい世界!ブッダやイエスそのままの人ばかりがいる。そんなところで暮らしてどう思いますか、みなさん?

みかちゃん:
わからない(笑)。

いさどん:
わからない?例えば想像してみて下さい。そこで毎日暮らしていたらどうですか?

ちなっぴ:
素晴らしいだけで感動がなさそう。

いさどん:
でも、素晴らしい。素晴らしかったら感動するはずじゃない?しかし、私たちが素晴らしいとか感動するというのは、つまらないことを知っているからです(一同、頷く)。辛いことを知っているから、素晴らしくないことを知っているからでしょ?だから、ここには喜びが沢山あるのです。あそこは素晴らしい世界です。本当に素晴らしい!多分、宇宙はそういうふうにしてほとんど創られているのです。なぜ宇宙は始まったのか、なぜこの世界を創り出したのかという話ではその物語が出てくるのですが、そのままの物語が金星にも火星にもあって太陽にもあります。それぞれ個性は違うけれど。そこにいる人々にはそれぞれにふさわしい人柄というか、人類柄というか、星柄というものがあるのです。

僕はそこで思い出したのです。「そういえば、つまらなかったなあ」と。この世界を創造された神様も、はじめは一つだけだった。偏った一方の世界だけだったのです。それは完璧だから、つまらなかった。この世界は陰陽のバランスで出来ています。すべては相反する二つによって創られ保たれています。陰と陽は50:50の関係ですが、先にあるのは陰の方です。陰(魂)がもとになり、それにふさわしく陽(物質)が形成されていきます。聖書の言葉に「はじめに言葉ありき」とありますが、言葉は言霊であり陰のことを指します。はじまりは想いだけであり、物理的なことはなかったことになります。その陰だけの世界から物理的世界(陽)が生み出されてきたことになります。

そうすると、私たちの世界は観えない想いによって創られているわけです。創られた世界(陽)と想いから生み出す世界(陰)。想いの世界だけでは片方の世界なのです。善意、愛、調和(陰)の世界。幸せはそこにないのです。喜びもそこにはないのです。僕はその世界はつまらないと思っていたようでした。そうしたら、「おまえは劣等生ではないか(そこでは劣等生というものはなく単なる個性なのですが)。劣等生としてその個性を活かしてきなさい」ということで、1000年ほど前に地球に派遣されて来ました。それで、まずはインドに降り立ったのです。今回の派遣はとりあえず1000年契約です。時給がいくらかは知りません(一同、笑)。年給かもしれませんが、給料は多分ないと思います(笑)。「役割をしっかりと果たした」ということでおそらく何かはあると思うのですが。向こうでも馴染めなかった。僕がそれを間違いとしてではなく、愚かさとしてでもなく、「個性として役割を果たしてきなさい」ということで地球に来たのです。向こうの貴さをもとにして、ここにある喜びを表現すること、それが役割です。ここには喜びがあり、幸せがあるのです。そして、喜びや幸せがあるということは不幸がもとにあるということです。だから、両方がセットになっているのです。喜びも不幸も超越した一方の世界へ行きたいのなら、僕の田舎に行けばいい。それで、いつぞや故郷のことを思い出し、向こうは「帰ってキンセイ、キンセイ」と僕を呼んでいることがわかりました。最近になって、僕はそろそろこの殻を脱いで自由に世界を旅したいと思うようになりました。スペースシャトルはいらないのです。このままで行けます。

この世界は想いで出来ています。自分の中に「今日はお酒が飲みたいな」とか、「パチンコをやりたいな」という想いがあったり、いつも子どものことやお金のことばかり考えていたりすると、未来にその世界が展開されるのです。それがこの世界です。私たちが想ったことが起きるのです。その究極は核融合です。太陽の中には核融合が起きていて、毎日、水素爆弾、原子爆弾の爆発が起きているのです。そして、そういう世界を人間は頭の中で描いたのです。現実に兵器にして戦争のネタにしているのです。そんなことも出来るのです。つまり、私たちが想うことは何でも出来ます。パソコンでも携帯電話でも、全部私たちが頭の中で描いたことなのです。そこで想うのは、自分の中から湧き出る無限の記憶。それが過去をよみがえらせてくれるのです。故郷のこと、そこでどうだったのか、そしてここへ来てどうなったのか、心の旅はどうだったのか等です。

その結果、次のステージはどうしようかと考えていて、「旅行に行きたいな」と思ったわけです。その時に、「自分の故郷だけではなくて太陽系を旅したい」と思ったのです。それは可能だと思ったのです。普通の人々は地球由来の人たちですから、地球で肉体を終わると宇宙空間、地球の外側に行き、そこのどれほど高い位置にいるかによってまた下がったり上がったりするのです。外から来た人々は元いた惑星に戻ります。僕は「故郷には合わないから、違う惑星に行きたいな」と思うようになりました。

そこで今日の「銀河の旅」の話になるのです。いやいや待て、太陽系なんてそんな狭いことを考えなくても、天の川銀河だけでも200億もの恒星があるのです。その一つ一つに惑星があるのです。そこには私たちのような3次元世界の生命世界はほぼありません。そういう世界が現実にあって、3次元世界の思考ではこの宇宙は理解出来ません。その思考の延長に「太陽系を抜け出してしまおう!」と、宇宙雲のイメージが湧いてきたのです。「銀河から銀河へ旅しよう!」ということを考えていました。僕が「銀河の旅へ行くよ」と言ったら、ようこちゃんが「私も行こうかな」と言いました。ここにいるみんなは「一緒に行きませんか?」と言ったらどうしますか?

みんな:
行くー!!

いさどん:
今日のゲストの方、このとんでもない話はいかがですか(笑)?なかなか初めて出会ったゲストにこういう話をする人はいません。ここが怪しいところと思われるだけですから(笑)。僕は5月にお葬式をします。そして、物理的な目的のもとに日々を生きないという生活をしようと思っています。しかし、まだ肉体はあります。とりあえず契約はあと20年、今世の最終章です。その後どうするのかです。「ここに残るもよし、好きなようにせい」ということらしいです。それで、僕は銀河の旅に出ようと思っています。その時にみんなが一緒に行くかどうかはその時になってみないとわかりませんが、別にあわてなくても時間といったものを超越した世界ですから。多少後から来たって、最近良いナビも出来たし(笑)、いつでも合流出来る世界です。心配することはありません。

今、僕は現実世界のこの地球を自分の役割分治めているのですが、先程1000年ほど前にこの星に来たと言いました。1000年が派遣の一区切りですから、今世で僕の派遣が終了することになりますので、新たな旅に出ようかなと思っているのです。ひょっとして、みんなもそうかもしれない。みんなの記憶がそのようによみがえってくれば、そうなるでしょう。そして、人間はどうしてこの地球に生まれてきたのかということがわかってきます。今、アメリカでは何年か前から火星の地球化計画というものを立てているのを知っていますか?具体的な話は知りませんが、これは1000年かけて行なう計画です。火星の大気をつくるために地下に眠っている水を蒸発させるのです。そのことによって大気をつくり、1000年後に人類を移住させるという計画があるのです。それは物理的な体を持っていく計画ですから、非常に幼稚な方法です。

しかし、僕のシュミレーションは、人類が地球上で生き辛くなった時に、もしくは細胞分裂のような形で地球を離れる必要が起きた時や人類が増え過ぎてしまった時に、人類移住計画を考えているのです。その方法の前提として、人間が肉体人間であるという執着から離れる必要があります。離れるということはいのちを絶つということですが、絶たなくてもいいのです。自動的(自然)に抜ければいいのです。幽体離脱のように体から抜ければいいのです。そうすると肉体からの束縛から自由が得られます。肉体人間の時のように心臓が止まることはないし、呼吸に縛られ、体の機能のためには食べないといけないといったことから解放されるのです。では、何を持って存在しているのかです。それは、プラーナです。気、生命力を持ってのみ、生きている状態になります。

その状態でみんなで行くのだったら、簡単な乗り物でもつくりましょう。これは重力といった一切の物理的なものに影響されません。エネルギーは想念です。ですから、「みんなで移住しましょうか!」と旅に出るのです。「今度はどこに行こうか?」と語りながら銀河を旅していくのです。そのうちに新しい移住先も見つかるでしょう。移住先の星を見つけたら、魂たちはその星を取り囲みます。その魂たちは強い生命力の念を持っていますから、星のまわりにいてその星に念の影響を与えていくのです。そうすると、その星が変化していきます。二酸化炭素の熱い星だったのがだんだん冷やされていきます。冷やされていくと雨が降って海が出来ます。そこには色々な物質が存在しています。もし地球のようにしたければ、アミノ酸を原料にして細胞分裂させればいいのです。そうやって酸素対応型の生命の星を創ったとしましょう。その次に何をするのでしょうか。哺乳類を創ろうか?いや、やめておこう、それは前に失敗したじゃないか。二足歩行で不安定で、「不安だ不安だ」と愚痴ばかり言っていたじゃないか。四本でも安定するのだから、六本だったらさらに安定するだろう。六本足にしよう。そして、あの時失敗したのは、まず目が前に二つあるというのがまずかった。それを横にずらし、もっと広い視野にする。さらにそれをとび出させてもっと大きくして、ひまわりの花のように目の中にいくつもの目をつくったら、さあ、これを何というでしょうか?

みんな:
・・・・?

いさどん:
複眼!これで視野が広がる。さらに、今までは地上に縛られて視野が狭かった。どうしても物質的な肉体を持つと、惑星の重力に縛られることになる。だから、この重力に縛られない装置をつけよう。地上に縛られていたからこそ、地表にはいずりまわって、「何か良いことはないかな?」と下ばかりを見て、物を拾うかケンカをするくらいだった。だから、もっと視野を広く高くしたい。そして、羽をつけた。でも、鳥の羽ではだめです。鳥はバタバタと羽ばたかなければ飛べません。ちょっと休みたいとなったらそのまま真っ逆さま。これは今、人間が考えている程度のことです。そうすると、今度の私たちの魂の受け皿は何がいいでしょうか?

みかちゃん:
トンボ!

いさどん:
そう。トンボは空気を泳いでいる。だから、羽が止まっているみたいに見えても瞬間移動出来るし、ちょっと疲れたなと思ったら風に乗っていればいいのです。こういう生命が出来るのを待っていて、魂の受け皿が出来上がったら天孫降臨です。地上が収まってきたゆえ、天の神々が地上の整備のもとに降りてきた。いのち(命)は「みこと」ですから、神々のことです。天のみことが降りてくる。そして、子孫を増やしていく。今度は不調和や対立のない世界、貴い魂だけが降りて、イエスやブッダばかりの世界を創ろうと。しかし、そうするとまた「つまらないなあ」ということになるのでしょうか(一同、笑)。「また旅に出ようか」と(笑)。そうやってどんどん繰り返して、きっと私たちの先祖も、「あの失敗はもうやめようか」ということになったと思うのです。そして完璧を目指したのです。それは一方の世界でした。それでここに来て、あの故郷を思い出し、「あの完璧はやめておこう」となって、またこの失敗作を創って今、楽しんでいるのかもしれない(笑)。

さて、私たちは今、銀河にいますよね。さっき、「銀河の旅に行く人!」と言ったら、みんな手を挙げました。でも、今この瞬間もその旅の途中なんじゃない?私たちは現在銀河の旅人なのです。10億年先だか30億年先だか、50億年先だか、次の旅立ちは来るでしょう。その時には、ぜひまたみんなで一緒に旅立って、新しいフロンティアを楽しみたいと思います。とりあえず今、いかに私たちが面白く広い世界にいるのかということです。今日はそういうことをみんなに伝えたいと思いました。これについて話をしていると、私たちの心は広がっていきます。そして、大晦日どころか、来年1年中でも話してしまいそうです(一同、笑)。また、この仕方のない話を聞いてくれるみんながいるからこそ、僕もまだここにいて生きがいがあります。誰も聞いてくれなくなったら、本当にこの殻を破って「さようなら!」と行きたいところですが、付き合ってくれる沢山の変態たちがいるから、僕は地球上にいてまだうつ病にならずにすんでいます(一同、笑)。こうやって話しながら、「僕は幸せものだ。まだ旅立たないぞ」という確信を持ちました。とりあえず、今日の話はここまでにします。どうもありがとうございました(一同、拍手)。

みかちゃん:
ここで2曲歌います!

♪岩の舟

月夜の晩に 岩の舟 人々乗せて 海へとすべり出す
人々どこからか集い来て 次々と舟にすべりこむ

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも 
雲の波かき分けてゆくよ 人々集い 人々歌う 月の宴

人の世の海を渡る 岩の舟に乗って 夜の海をどこまでも
月の光を浴びてゆくよ 月の宴

♪星がささやく
ああ 星が降る
ああ 星が降る夜
ああ 無限の星が
ああ 私にやってくる
ああ 星がささやく
ああ 星がささやく
忘れていた記憶 今よみがえる
星々の記憶が 私の中で目覚める
この宇宙のすべてが 私の中にある
星がささやく 私の体の中で
星がささやく 星がざわめく
星がささやく 星がざわめく
からだに こころに おまえが宇宙だと 星がささやく
星がささやく 星がざわめく
こころに からだに おまえが宇宙だと 星がささやく

(一同、拍手。)

―そろそろ我々も、宇宙人として地球の意識と対話して歩んでいきたい―
             宇宙人ピトピ(旧名 いさどん)

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